かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:オルフ祝祭合唱団演奏会を聴いて

コンサート雑感、今回はオルフ祝祭合唱団の演奏会を取り上げます。

オルフ祝祭合唱団・・・・・実は私にとって、非常に馴染み深い団体です。川崎市宮前区のアマチュア合唱団「宮前フィルハーモニー合唱団『飛翔』」に入っていた時、団員にオルフ祝祭合唱団にも参加している人がいたからです。

当時、私はオルフの「カルミナ・ブラーナ」を、あのブロムシュテット指揮N響の演奏で知ったばかり。オケと合唱だと思っていたところに、なんと!バレエも入れてしまうなんて!(けれどそれが本来だというのは、かなり後で知ったことでした)

その先進性ゆえ、当時の私はついていけず、しばらくは様子見だったことを覚えています。今からすれば絶対に見に行かないと!ってないようですけれど・・・・・

オルフ祝祭合唱団はその母体がO.F.C.。歌と踊りの総合芸術を目指す団体です。ですからバレエが入るのは当然であり、そのうえで合唱団にも躍らせるという、合唱曲がまるで演劇になってしまうという、すばらしい活動をしている団体なのです。

https://www.choraldancetheatre-ofc.com/about

https://orffsyukusai.jimdo.com/

カルミナすら、私にとっては衝撃。当時の多くの日本のクラシック・ファンもそうだったようで、ようやくオルフのカルミナが普通のコンサートピースとして演奏し始められた時期です。そんな時期に、O.F.C.はさらに先を行っていたってわけです。どんだけ私は恵まれていたんだろうって思います。

O.F.C.はさらに先を行きます。当時まだネットの解説でようやく「勝利三部作」という言葉が躍るようになった時期に、いち早く日本でまとめて勝利三部作を上演したのも、O.F.C.でした。これは本当に聞きに行きたかったんですが、予算と時間の関係で断念せざるを得なかったのを覚えています。

そんな経緯もあって、今回、カトゥーリ・カルミナという日本ではまず絶対といっていいほど演奏されない作品を、O.F.C.傘下のオルフ祝祭合唱団が演奏するからこそ、行こうと思ったのでした。ただ、日程は毎年聴きに行っており、今年も誘われていたアプラウス演奏会の前日・・・・・明けにしていただいた上司に感謝です!

プログラムは、オルフの「カトゥーリ・カルミナ」とストラヴィンスキーの「結婚」。実はこの二つは関連があるそうで、まず先にストラヴィンスキーの「結婚」が成立し、影響を受けたのがオルフであり、「カトゥーリ・カルミナ」へとつながったのでした。

結婚 (ストラヴィンスキー)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E5%A9%9A_(%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC)

カール・オルフ
舞台作品
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%95#%E8%88%9E%E5%8F%B0%E4%BD%9C%E5%93%81

打楽器とピアノという、究極までそぎ落とされた編成。ともに生命力あふれる、魅力あるリズムと旋律。ロシア的でないかそうではないかしか違いなどありません。けれどもその違いが強烈な個性を生み出してもいます。

演奏としては、ストラヴィンスキーの「結婚」のほうが全体的にレベルが高かったといえると思います。前半の嘆きの歌はソリスト中心ですし、そのソリストもソプラノとバスは本当に存在感があってよかったです!妖艶なソプラノに負けない、バリトンの加耒氏。瀬川サロンで幾度か聞いている素晴らしい才能ですが、今回もその存在感は半端なかったと思います。低音はどうしても底支えになる傾向がありますけれど、その中でしっかりとアンサンブルの中で存在感を出していたのはさすが加耒氏だと思います。

一方、大問題作だともいえるオルフの「カトゥーリ・カルミナ」。まあ、難しいんです、この作品・・・・・なのであまり悪く言うのは酷だとは思うんですけれど、やっぱり前半の性行動はもう少し生命力をもって演奏してほしかったなと思います。どこかに恥ずかしさがあるんだと思います。というか、演奏そのものが、日本人の恥らいとオルフの奔放な性を描いた内容と、どう折り合いをつけるのかでもがいていたように思います。そんな中では、素晴らしい演奏だったと思います。アンサンブルは素晴らしいですし、アマチュアでは申し分ないレヴェルの演奏ではあったと思います。

特に残念だなあと思ったのが、前半の性行動における「喘ぎ声」と判断できる部分なんですよね。叫びきれなかったんです。それはしょうがないんですよね。日本人のセックスはそういうものでもありますから。

一番わかりやすいのは、AVは男性目線だという話題でしょう。まさにカトゥーリ・カルミナの歌詞は男性目線の歌詞であり、ある意味AVなんです。一方、プログラムの冊子にある訳詞を見てみると・・・・・・メントゥーラが「あたなの・・・・・」になっているんですよね。これ、女性が恥ずかしくてそのものを言えないっていう、なんともセックスであれば男性としてもキュン!とする言い方ですよね?これも一つの訳し方ではありますし、メントゥーラをN響定期では「お○○ち○」と大胆にそのものとして訳していたのとはある意味対照的なんです。ただ確かに、普通セックスで女性に「ねえ、お○○ち○なめていい?」なんて聞かれないですよね。「ねえ、なめて(しゃぶって)いい?」ですよ。恥ずかしくて、そのものなんてセックスの最中だってそう言えることではありません。いえるんだったら、相当スケベですw

女性が訳しているので、なるほどなあって思いました。これはこれで勉強になる訳詞だと思いました。けれども、合唱団がそれにとらわれて、性行動(つまりセックス)における、奔放さだったり、激しさだったりという点はそぎ落とされてしまったのではないかという気がしました。それはオルフが表現したかったものと、果たして近いのか離れているのか。私は離れてしまったのではないかと思うんです。

奔放な性と人間性の葛藤。それがカトゥーリ・カルミナの精神なのであれば、合唱もその精神に裏打ちされた合唱をしたほうがよかったのではないかと思います。これが動きやバレエが入るとまた変わるのかもしれませんが・・・・・

その典型が、まさに「あなたの・・・・・」だと思うんですね。自分がセックスしているときなら、相手にどう求めるだろうか・・・・・そこの共通認識が、果たしてできていたのか。そこが残念な部分でした。

それでも、よく表現できていると思います。団員の中には歌詞を見て顔が真っ赤になったという人もいる中で、その羞恥心を手放し、作品の精神を伝えようとする合唱は、レヴェル的には高かったと思います。特に、劇中劇に入ってからは、合唱はあくまでも合唱なので・・・・・そこでは、しっかりとしたアンサンブルでよかったと思います。一方、ソリストはソプラノの妖艶さが光る一方、テノールがレスピアを求める「恋焦がれる」感じがいまいちだったかなあって思います。今、レファレンスで以前「今月のお買い物」でも取り上げました、ケーゲル指揮ベルリン放送合唱団の演奏を聴いていますが、ソリストの演技力の秀逸さが光ります!その音源、旧東独という社会主義の時代の演奏です。一方、現代日本は資本主義陣営の自由主義です。その日本で、越えるソロが出なかったのはとても残念です。

そんななか、ストラヴィンスキーの「結婚」のバリトン加耒氏は本当に光りました!さすがだと思います。

ある意味、次に期待って演奏だったと思います。O.F.C.が次はバレエ入りでやるのか。あるいはカトゥーリ・カルミナの場合は、もう演劇にしてしまうのか。そんなところも興味深いですね。その「次」で、妖艶かつ人間の内面をえぐる演奏になってくれることを期待したいと思います!




聴きに行ったコンサート
オルフ祝祭合唱団 カトゥーリ・カルミナ ストラヴィンスキーの「結婚」
カール・オルフ作曲
カトゥーリ・カルミナ
イーゴリ・ストラヴィンスキー作曲
「結婚」〜歌と音楽を伴うロシアの舞踏的情景〜
中江早希(ソプラノ)
輿石まりあ(メゾ・ソプラノ、「結婚」)
松原陸(テノール
加耒徹(バリトン、「結婚」)
秋山友貴(ピアノ1)
早坂忠明(ピアノ2)
三谷幸(ピアノ3)
河内菜穂(ピアノ4)
打楽器アンサンブル
 新井悠美
 磯村一弘
 伊藤瞳
 芹澤美津穂
 千秋修子
 高橋淳
 皆川論
 三宅純子
 山本勲
斎藤栄一指揮
オルフ祝祭合唱団

令和元(2019)年5月18日、東京中野、なかのZEROホール大ホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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