かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ストラヴィンスキー 詩篇交響曲他

神奈川県立図書館所蔵CD、今回はストラヴィンスキー詩篇交響曲などをご紹介します。

このあたり、ストラヴィンスキーが並びますが、まとめて借りてきたのを覚えています。というのも、当時ストラヴィンスキーもそれほど好きな作曲家ではなかったために、ハルサイくらいしか聴いたことがなかったためです。

ではなぜ、ここでストラヴィンスキーをまとめて借りたのかと言えば、一つには某SNSでの同時鑑賞会の存在、そしてもう一つには合唱団時代の友人がストラヴィンスキーの宗教曲を紹介してくれたことが理由でした。そして、聴く機会がその時だった、というわけです。

ストラヴィンスキーは様々な様式を試した作曲家で、カメレオンとも言われる人ですが、それは芸術の極みを常に追求した姿勢故だと言えるでしょう。

イーゴリ・ストラヴィンスキー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC

出世作が「春の祭典」」というバレエ作品だったのも、音楽を芸術ととらえ、ジャンルにこだわらなかった姿勢故だと言えます。その代わり、交響曲はあまり顧みられることはない作曲家だと言えます。その中でも例外的に圧倒的に有名なのが、詩篇交響曲だと言えるでしょう。

詩篇交響曲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%A9%E7%AF%87%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2

交響曲とは言え、むしろ合唱付きの交響詩と言うべき作品だと言えます。それでも、カテゴライズでは交響曲に入れられる作品で、その点からも、詩篇交響曲交響曲の枠を超えた存在として作曲されたように思います。

交響曲としてとらえるならば、3楽章形式はフランス風と言えるので、隠れたキーワードはやはり「自由」ということができるでしょう。1930年という時期からしても、それは決して的外れではないと私は考えます。けれども、単に3楽章の交響曲とも言えないスケールの大きさが、この作品の特徴であると言えるでしょう。

歌詞も、キリスト教詩篇からとられている関係で、非常に宗教色が強い作品でもあります。その点ではミサ曲などの宗教曲の枠にも収まりきらない作品だと言え、その意味でも誠にスケールの巨大な作品だと言えます。

実は歌詞はとてもシリアスな部分が選択されており、ストラヴィンスキーが20世紀前半という時代をどうとらえていたのかを、私たちに考えさせるものになっています。ロシア革命ナチス・ドイツの台頭によって2度も亡命を余儀なくされた、ストラヴィンスキーの内面も、詩篇交響曲からは見え隠れします。

以下に、楽章ごとの歌詞のページを、ウィキの「詩篇」のページのURLで示します。是非とも読んでみて下さい。詩篇交響曲のイメージががらりと変ると思います。

第39篇(第1楽章、なお、楽章は私の註です)
https://ja.wikisource.org/wiki/%E8%A9%A9%E7%AF%87(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#.E7.AC.AC39.E7.AF.87

第40篇(第2楽章)
https://ja.wikisource.org/wiki/%E8%A9%A9%E7%AF%87(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#.E7.AC.AC40.E7.AF.87

第150篇(第3楽章)
https://ja.wikisource.org/wiki/%E8%A9%A9%E7%AF%87(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#.E7.AC.AC150.E7.AF.87

この歌詞、つまり選択された詩篇を考えますと、まさしくウィキの言う「この作品における「交響曲」という語は、古典派の意味でいう「交響曲」ではなく、より"Symphony"の語源の意味に近い「アンサンブル」という意味で解釈する方が近い。」というのは納得できるものです。

苦しみに耐える第1楽章から第2楽章、そして喜びに至る第3楽章。それはベートーヴェンの第九をも想起させます。ストラヴィンスキーベートーヴェンの「重石」を、交響曲という名前に囚われない思想で乗り越えたと言えます。その意味でも、実に第九に匹敵あるいは超える作品であり、その点でのスケールの大きさを感じる作品です。

カップリングの3作品も、味わい深く考えさせる作品が並んでいます。幻想曲「花火」は「ハルサイ」を作曲するきっかけになった作品で、初期のものとはいえ、すでに貫録を十分備えている作品です。

花火 (ストラヴィンスキー)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E7%81%AB_(%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC)

星の王は、和声が特徴的な作品です。このメインの詩篇交響曲の成立を予感させる優れた作品ですが、演奏が難しく録音はそれほど多くありません。その点で、この音源を借りることができたのはとても幸せです。

星の王
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E3%81%AE%E7%8E%8B

そして最後が、交響詩「うぐいすの歌」。ウィキで検索しても管弦楽では出てきません。じつはこの作品、元々オペラなのです。それを後年ストラヴィンスキーが歌の無い交響詩へと編曲したのでした。カンタービレが美しい作品であるのはそのせいでしょう。

夜鳴きうぐいす (ストラヴィンスキー)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E9%B3%B4%E3%81%8D%E3%81%86%E3%81%90%E3%81%84%E3%81%99_(%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC)

ナイチンゲールの歌
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%AD%8C

ハルサイなどのバレエ音楽と比べれば、保守的だとも言えますが、ストラヴィンスキーの熟練した作曲技法による和声はとても美しいものであり、ストラヴィンスキーの表現の幅を感じさせる作品です。

演奏は、シャイ―指揮ベルリン放送交響楽団及び合唱団。これは以前取り上げた、オルフのカルミナ・ブラーナと同じコンビです。詩篇交響曲だけでもいくつか棚にあった中でこの音源を選んだ理由は、このコンビの演奏の熟練さ、表現の豊かさが理由でした。それゆえに実はカルミナの演奏は私自身はあまり評価していませんが、4作品においてはしなやかで豊潤な演奏が実現されており、カルミナのようなある意味野性的な作品よりは、このような様々な要素が複雑に絡み合う作品を表現するのに卓越しているように思います。

というよりも、だからこそ、カルミナでは考えすぎてしまっているのかもしれません。それゆえ、カルミナが持つ野性的なリズム、それはストラヴィンスキーでいえば、ハルサイペトルーシュカなどでは多少物足りない部分があるのかもしれません。その一方、演奏が難しいとされる「星の王」などは豊潤で美しく、何かを憧れるような、耽美的な点がしっかりと表現されているのは素晴らしい!

ストラヴィンスキーの作品をハルサイのような作品だけと考えてしまうと視野教唆に陥る可能性もある中で、ストラヴィンスキーの作品が実はハルサイも含め、そのスケールの大きさに気づかせてくれ、なおかつその魅力を伝えてくれるこのような演奏は、より多くの人に聴かれてしかるべき演奏だと思います。




聴いている音源
イーゴリ・ストラヴィンスキー作曲
詩篇交響曲
幻想曲「花火」作品4
カンタータ「星の王」
交響詩「うぐいすの歌」
リッカルド・シャイ―指揮
ベルリン放送交響楽団・合唱団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村