かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:グラズノフ 交響曲第1番・第4番

今月のお買いもの、先月の3月に購入した残りをご紹介しようと思います。グラズノフ交響曲第1番と第4番です。ナクソスから出ているシリーズで、ディスクユニオン新宿クラシック館での購入です。

このコーナーの前のエントリでもグラズノフをご紹介していますが、実は最近グラズノフに興味を持っています。

いや、最近ではないです。もうずいぶん前から、県立図書館で借りようかどうしようかと、散々迷っていた作曲家なのです。

県立図書館にはグラズノフが作曲した交響曲の、一部しか置いてありません。で、いつものように一気に全部が欲しい私としては、借りるか購入するかで迷っていた作曲家でした。

以前であれば、ブリリアント・クラシックスから交響曲全集が出ていましたから、そちらを購入するのが普通で、実はその線で考えていました。つまりは、基本、銀座山野楽器で。

ところが、最近ブリリアントの棚に見かけなくなりました。ブリリアントはよく廃盤にもなりますので・・・・・いやあ、それだけは勘弁してほしいんですけどねえ。

人気筋だけになってくるのは、メーカーとしては仕方ないのでしょうが・・・・・

ということで、グラズノフに関しては再考を迫られることとなったわけです。そこで、図書館で借りつつ、CDも買いましょうということで、最近グラズノフ交響曲を固めて購入しています。

ただ、ナクソスはいろんな面白い編集をするので、番号順だとかではなくても面白い発見があるものですが、このCDもそうでした。

まず、第1番はグラズノフの名をとどろかせた作品ですが、第1楽章が一番長く、4楽章制など、実に古典的な様式にもとづいた作品です。「スラヴ」とある通り、勿論その内容はロシア民謡にあふれ、所謂「ロシア国民楽派」の一角を占めるのに十分な内容になっています。

交響曲第1番 (グラズノフ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC1%E7%95%AA_(%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%8E%E3%83%95)

で、第4番は一転、古典的というか、さらに古い様式へと向かっていきます。

交響曲第4番 (グラズノフ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC4%E7%95%AA_(%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%8E%E3%83%95)

まず特徴的なのは、3楽章制を取っているという点です。この時代の作曲家にしては珍しい様式です。フランスの作曲家であればともかく、グラズノフはロシアの作曲家です。にも関わらず、3楽章制を採ったのです。

さて、グラズノフはどういった作曲家だったか、もう一度ウィキのURLを呈示してみましょう。

アレクサンドル・グラズノフ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%8E%E3%83%95

そう、けっしてロシア的なものだけにこだわった人ではありませんでした。むしろ、チャイコフスキーのような言わば「コスモポリタン」の音楽に対しても興味を失わなかった人でした。言い換えれば、新しい流行に対して、決して受け入れることはないが、拒否もしないという姿勢でした。

そのテクストで考えれば、グラズノフという作曲家は、その後来る新古典主義音楽をも見通していたかのような作品を、この第4番で作って見せた、ともいえるのです。

例えば、同時代の作曲家であれば、ブラームスが典型です。彼は厳密に言えば新古典主義音楽にカテゴライズされる作曲家ではありませんが、その萌芽とも言うべき音楽を作曲した人です。しかし、所謂「温故知新」のその考え方は、当時のヨーロッパでは国境を越えても決して不思議はありません。

グラズノフが3楽章制を採った理由はいくつかあるでしょうが、当時のコスモポリタン達に影響されたという可能性は十分にあるでしょう。ナクソスの英語解説書を読みますと、スクリャービンなどの名前も出て来ます。

アレクサンドル・スクリャービン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%B3

であれば、グラズノフが3楽章制を採る可能性は十分あるわけです。勿論、スクリャービンの3楽章制の最初の交響曲は第3番「神聖な詩」で、それはグラズノフの第4番より後なので、むしろスクリャービングラズノフに影響されてという可能性のほうが大きいでしょうが、グラズノフ自身もスクリャービンの4楽章制にこだわらない作風に影響を受けた可能性は否定できません。

基本的に、20世紀の音楽において、フランス以外の作曲家が3楽章制を採る場合、以前の自分の作品からの革命的脱却など、「自由」がキーワードになることが多いのですが、ウィキの説明にもある通り、この作品もそのキーワードが作曲において重要な役割を果たしていることは確かです。つまり、ここで作風が変化するわけで、グラズノフはその宣言を、単に音符の羅列だけで示したのではなく、3楽章制を採ることで誰の目から見ても明らかにしようとした、と言えるかと思います。

実際、第4番が作曲された1893年という時代は、世紀末にさしかかった時代で、交響曲も大きな転換期を迎えようとしていました。マーラーはこの時期までに第2番「復活」を書き上げており、第3番の作曲に取りかかっていましたし、サン=サーンスは第3番「オルガン付」をすでに作曲し、新しい音楽にも興味を持っていました。

そんな時代の影響を、グラズノフも受けないはずはありません。後は本人がどのような選択をして、作品として仕上げるかです。第4番はそのグラズノフの結果だった、と言えましょう。

第4番では決して冒険はしていません。しかし、民謡を取りいれることをなるべく避け、3楽章制という非ロシア的な様式を採ることで、これらの自分の音楽は決して国民楽派だけではない、と言いたかったのだろうと私は思っています。

つまり、このCDは実は、グラズノフの音楽の変遷を、2つの交響曲でもって呈示しているのです。そこが、とても面白いのです。

演奏は先日とりあげた第2番と第7番と同じ、アニシモフ指揮モスクワ交響楽団のコンビですが、のびのびとした演奏となっています。決して力まず、つまり力任せにしないで、端正さを徹底的に追及しています。しかしそれがいろんなことを雄弁に語っているから不思議です。奇をてらわず、ただ音楽を鳴らし続けることのむずかしさは、私自身が十分知っていますが、勿論この演奏はプロですし、また楽器です。でも、それぞれの楽器は人間が演奏するということは、人間の運動によって音が出ることを意味しますから、当然「情熱と冷静の間」を摂ることが難しいという側面を持っているということになります。

この演奏はそれがきちんとなされています。あまりにもなされ過ぎていて人によってはつまらないと思うかもしれませんが、そこを少しだけ我慢して聴き続けますと、いつの間にか演奏があらゆることを語り出すのです。

上記の私の見解も、それ故ですし、まるでグラズノフ本人と対話しているかのようです。こういう演奏が楽しめるようになって、私はやっとクラシック音楽の広い海に船出できたように思うのです。この演奏はそんな中で出会った、素敵な入り江のような気がします。



聴いているCD
アレクサンドル・グラズノフ作曲
交響曲第1番ホ長調作品5「スラヴ」
交響曲第4番変ホ長調作品48
アレクサンドル・アニシモフ指揮
モスクワ交響楽団
(Naxos 8.553561)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。



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