かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲全集6

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、ヴォーン・ウィリアムズ交響曲全集を取り上げていますが、今回はその第6集を取り上げます。

最後の集となるこの第6集には、南極交響曲(第7番)、第8番が収録されています。

さて、第4番以降番号で呼ばれてきたヴォーン・ウィリアムズ交響曲ですが、この第7番に関しては番号で呼ぶのではなく、南極交響曲と呼ばれます。第9番で初めて番号が付けられた、いや、第4番からだと様々ですが、この第7番に関しては、私は番号で呼ぶのではなく、作曲者の意向通り「南極交響曲(第7番)」のほうがいいように思います。

というのも、以下のウィキの記述をみれば明らかなのですが、この第7番は、元々は映画「南極のスコット」のサウンドトラックを、交響詩あるいは交響組曲のように再編成したものだからです。

南極交響曲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%A5%B5%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2

南極を表現した作品らしく、ウィンドマシーンも登場しますが、実はこのウィンドマシーンが登場するのは、南極だからという理由だけではありません。登場するのは、第1楽章の最初の所で、実は第1楽章に登場する旋律は、第5楽章において繰り返されるのです。言わば、循環形式だとも言えます。しかも、女声のハミングはまさに、ウィンドマシーンと共に登場します。

なぜこの様になっているのか。それは、映画のプロットをみれば一目瞭然です。

南極のスコット
http://movie.walkerplus.com/mv15308/

実は、第1楽章冒頭は、スコットの死の場面が表現してあるのです。ですから、死を同じく表現している第5楽章でも同じ旋律を使っているのです。単なる映画音楽の再構成だとしてしまうと、なぜそのようなことになっているのかが理解しにくくなります。

ついでに、スコット大佐の生涯もおさらいしておきましょう。

ロバート・スコット
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88

わが国でも、白瀬矗中尉がほぼ同じ時期に南極を探検で訪れています(その探検を記念して白瀬氷河が命名され、現在の二代目砕氷船「しらせ」の由来になりました)が、南極の探検は困難を極めました。白瀬矗中尉は南極点には行けず、極地探検と領土獲得に終始せざるを得なくなりましたが、それまでの経験が生きての帰還に繋がりました。一方スコット大佐は南極点には行けたものの、帰還時に命を落とす結果となったわけです。

その帰還できなかった悲劇が、まるで音楽劇のように、そう、ベートーヴェンの「エグモント」のように、音楽で紡ぎだされているのがこの交響曲だと言えます。各楽章ごとに引用句があり、この録音ではそれが常に楽章が演奏される前に朗読されます。ウィキではそれはあまり感心しないとありますが、実際はどうなのでしょう?楽譜を見てみないと何とも言えません。作曲者が明確に楽譜に第3楽章と第4楽章は続けて演奏するようにとあれば、いちいち引用句を朗読するのはどうかって思いますが、少なくともこの演奏を聴く限り、問題はないように思われます。

これまでの音楽史における、音楽劇や交響詩と言った様々な手法が、この交響曲には詰まっていて、その様式に注目しますと本当に面白く、興味深い作品です。

次の第8番は多少原点回帰な点もありますが、かといって旋律的な点が強いわけではなく、むしろ不協和音も目立ち、その意味では南極交響曲とも通じる点があります。

交響曲第8番 (ヴォーン・ウィリアムズ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC8%E7%95%AA_(%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%82%BA)

様式的には、4楽章という古典的なものに回帰したことのほうが、回帰という点では重要でしょう。楽曲構成から言えば、個性的なものが並んでおり、第1楽章の変奏形式採用はまさに、古典的ですがとても特徴あるものです。こういった「温故知新」の部分は、もっと評価してもいいのになあと思います。

演奏はこれまでと同じくプレヴィン指揮ロンドン響ですが、特に南極交響曲が秀逸です。映画音楽の再構成とはいえ、しっかりとした構成を持つ作品を端正に演奏しているのは素晴らしいです。映画音楽かと思っていたら、いや、違うよね・・・・・と認識するに至るだけの説得力を持っています。

それはまさしく、ロンドン響が実力オケだからだとも言えます。当然と言えばそうですが、かといっていい加減に表現してしまうと、作品が持つ「スコット隊の悲劇」という部分がかすんでしまいます。映画音楽を借りた交響曲なのですから、その交響曲の部分を楽しみたいものですが、そこがしっかりと表現されているのがいいのです。

第8番に至っては、素晴らしいアンサンブルが作品が持つ「不協和音と旋律とのバランス」が絶妙に表現されていますし、ここでもオケが聴衆に対してしっかりとコミュニケーションが取れていることが分かります。そこが嬉しいのですよね〜。

ヴォーン・ウィリアムズの作品はわかりやすさという点で語られることが多いのですが、必ずしもそうではありません。ただ、いいオケは良いメッセージをするので、わかりやすくなります。ヴォーン・ウィリアムズの作品を演奏している音源は、やはりその「一見すると分かりずらい部分をいかにしっかりと表現して理解につなげるか」という点において、名演ぞろいだと言えるでしょう。このプレヴィン/ロンドン響も、その一つだと思います。




聴いている音源
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ作曲
南極交響曲交響曲第7番)
交響曲第8番
アンドレ・プレヴィン指揮
ロンドン交響楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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