コンサート雑感、今回は令和7(2025)年4月9日に聴きに行きました、ムシカ・ポエティカ2025受難曲の夕べのレビューです。
ムシカ・ポエティカさんは東京の音楽団体で、主にドイツの作曲家シュッツの作品を中心に据えて、現代までの作品を取り上げている団体です。
とはいえ、ムシカ・ポエティカという合唱団やオーケストラがあるわけではなく、その活動を支えているいくつかの団体が傘下にあります。今回はその中のハインリッヒ・シュッツ合唱団・東京の事実上のコンサートになりました。
コンサートでは主にホールを使い、大体毎月最終日曜日に西荻窪の本郷教会でSoli Deo Gloriaを開催しています。今回はならホールなのかと思いきや、何と何と!東京カテドラル聖マリア大聖堂だったのです。なぜそこで驚くの?という、ア・ナ・タ。ムシカ・ポエティカさんが主に取り上げるシュッツは、ドイツプロテスタントの音楽を紡いだ作曲家です。今回もシュッツの音楽が主です。なのに、会場の東京カテドラル聖マリア大聖堂はカトリックの聖堂です。
学校で世界史を学んだ人がある人ならピン!と来るかと思いますが、そもそもプロテスタントはカトリックの堕落を批判して出発した宗派です。あまり仲が良くないはずなのに、今回、シュッツの作品が演奏されるのに、会場はカトリックの聖堂だということなのです。実はこれには理由があると個人的には考えます。今回は今年から始まった、シュッツ全作品連続演奏会の第1回なのですが、メインはリストの「十字架の進行」なのです。リストと言えばピアニストや管弦楽では交響詩を確立したことで有名ですが、以前私もエントリで述べましたがカトリックの僧侶になっているため宗教作品も数多く残しています。今回はそのリストの宗教曲が取り上げられると言うことも注目ポイントでした。お誘いいただいたFBFにこの場を借りて感謝申し上げます。そのカトリックの宗教曲がメインと言う事こそ、会場が東京カテドラル聖マリア大聖堂だった理由ではないかと個人的には考えるところです。では、シュッツを取り上げる団体がカトリックの僧侶であるリストを取り上げる理由は?それは後半に述べましょう!
今回のプログラムは以下の通りです。メインはリストですが、大部分はシュッツの作品で締められており、その中でも受難曲の夕べに相応しく「ルカ受難曲」が入っています。実は今回ルカ受難曲であると言う事こそ、リストの「十字架の運行」が入ったと考えられます。
①シュッツ 「小教会コンチェルト集1」より
おお助け給え、キリスト、神のみ子よ
天地は滅びるが
②シュッツ 「十二の宗教歌」より「ニカイア信条」
③シュッツ ルカ受難曲
④リスト 「十字架の運行」
アンコールはありませんでした。
①シュッツ 「小教会コンチェルト集1」より
おお助けたまえ、キリスト、神の子よSWV295
天地は滅びるがSWV300
シュッツが作曲した作品は膨大ですが、その中でも宗教曲小品は圧倒的な数を誇ります。この2つの作品もそんな作品の一つです。1636年に出版されSWV282~305が収録されました。今回の演奏会ではその中からSWV295とSWV300が選択されました。
コンチェルトとありますが、オルガンの伴奏というよりはオルガンと共に歌うという感じなのでコンチェルトとなっています。合唱ではなく基本的にソリストとということになります。
このシュッツの2つでは、SWV295ではテノールが2人、SWV300ではバスが3人となっています。ソロも合唱も合奏もあるため、明らかにコンチェルトと言えますが、その割には人数が少ないと感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか。まさしく、人数が少ないからこそ「小教会コンチェルト集」となっているのです。その背景には、17世紀中欧で勃発した30年戦争があります。この戦争によって多くの人が命を落とし、プロテスタント教会においてもその文化が破壊される結果となりました。
一応、ウィキペディアにあるシュッツのページも提示しておきましょう。シュッツの後半生はその30戦争において破壊された教会音楽の再構築に充てられ、その中の一つがこの「小教会コンチェルト集」なのです。時期的にはまだ戦争は終わっていませんが人数が少なくなり教会音楽が崩壊していくのを必死に止めるために作曲されたと言っていいでしょう。
その中で今回SWV295とSWV300が選択されたのは、このシュッツの作品が作曲され成立した1636年という時期に、現代が似ているということが背景にあるのではと個人的には受け取りました。ロシアとウクライナの戦争、そしてトランプ政権の再登場。どれも世界を分断するものと捉えられます。ここではその詳しいことを述べることは避けますが、どちらも世界の大国の派遣争いであり、代理戦争の意味合いを持っています。そして30年戦争のページを見ていただければお分かりかと思いますが、宗教戦争の様相を取った代理戦争、覇権争いでったのが30年戦争の本質です。シュッツの生きた時代と現代がオーヴァーラップする・・・そして厳しい時代を生きたシュッツと、現代の私たちとで共通するものが見えてくるのではないでしょうか。演奏もどこか厳かというだけではなく、秘めた心の叫びをゆっくりしっとり吐露するかのようなもので、荘厳さの中に人間の魂がのっかっているように聴こえました。しかも、この2曲だけは客席に対して真後ろのオルガンバルコニーで演奏されたのです。
オルガンは聖堂の構造上後ろなのですが、演奏はそれと正対する壇上で行われたのですが、この2曲だけは後ろのオルガンバルコニーだったのです。それはまるで過去から私たちに語り掛けるかのような印象がありました。しかもオルガンバルコニーは高いところにあります。過去の事象が高いところからフラッシュバックされ語り掛ける・・・聴いている私たちに対し、訴えかけている効果を感じました。ソリストの中にはSoli Deo Glaziaでもおなじみの淡野太郎氏もいらっしゃいましたが、それに加えてバッハ・コレギウム・ジャパンの浦野智行さんも参加されていたことも、どこか過去から語り掛けられているように感じた理由かもしれません。浦野さんはバッハ・コレギウム・ジャパンに参加されているだけでなくムシカ・ポエティカのプレイヤーでもあります。
②シュッツ 「十二の宗教歌」より「ニカイア信条」SWV422
正確には「12の無伴奏宗教合唱曲集」といい、SWV420~431で構成されています。実はこの12曲はドイツ語ミサ曲とも言われており、ルター派に於いてミサ曲が演奏されるという伝統に即したものなのです。ただ、全曲を一気にということはカトリックとの関係性からせず単独で演奏されることが多いのが特徴で、今回もその伝統に即して、いわゆる「クレド」に当たるニカイア信条のみが演奏されました。その意味では、この曲が単独で演奏されることを前提としていることに比べ、バッハのミサ曲ロ短調がいかに先進的でともすれば異端とされかねなかったのかが明白になるのです。
ここからは合唱団が前方の壇上に陣取ります。浦野さんも合唱団員として参加。無伴奏なのでアカペラですが、それでもアンサンブルを合わせるのはさすがバッハ・コレギウム・ジャパンに参加しているだけあります。指揮は何と!淡野弓子さん。なかなかお目にかかる機会がないのですが、多分私は初めて目にしたと思います。しかし矍鑠とされており生き生きとした指揮で、伸びやかで確固たる信仰告白を合唱団から引き出していました。これが創立者の意気込みというものなのかと思い知らされました。休憩後FBFの団員さんから聴きましたが、宮前フィルハーモニー合唱団「飛翔」音楽監督だった故守谷弘とそっくり・・・まあ、プログラムの解説とか読んでいると確かに同じ匂いは感じられますね。でもその指揮者に食らいつき長い年月活動し続けて成長されている団員の方々は本当に敬意を表します。できるようでできないですからね、ほんと・・・特に日本人は深い知識を積み上げて表現するということが苦手で即効果が出るものを好みますから・・・でも、芸術は深い探求と積み重ねが表現のためには必要です。その過程においては従来にはない創意工夫も必要ですが、基本的には学習の積み重ねも必要。二人して後からわかるんですよねと一致しました。
③シュッツ ルカ受難曲SWV480
当日の第1メインとも言うべき、シュッツのルカ受難曲は、シュッツの代表作の一つとも言うべき作品です。1653年に作曲されました。
バッハはルカ受難曲を作曲しましたが台本だけが残されているような状況ですが、シュッツのルカ受難曲は音楽まで残されました。音楽はグレゴリオ聖歌に近いもの。シュッツの時代でももう少し違う音楽になっていましたが、これはドレスデン教会の姿勢のようです(当日の冊子より)。その意味では、シュッツはカトリック風の音楽にも精通していたと言えます。
ムシカ・ポエティカさんというか、ハインリッヒ・シュッツ合唱団・東京さんは何度も東京カテドラル聖マリア大聖堂を会場としたコンサートを行っていますが、それはそもそもシュッツがカトリックの音楽にも精通していたからという理由もあるようです。バッハがミサ曲ロ短調を書いたのも、シュッツに範をとる、あるいは尊敬していたということもあったのではと思います。さらに言えば、それはシュッツの後半生が苦難の連続であった原因である、宗教対立を端緒とする30年戦争があったことも見逃せない点でしょう。そこにさらにマウンダー極小期で病気で亡くなった人たちも大勢いたことを考えると、何が本当に大切なことなのかを、苦しみの中から認識していたからとも言えそうです。となると、当日ルカ受難曲が取り上げられたことも、団員の皆さんあるいは代表の淡野弓子さんの強烈な問題意識の中から決まったような気すらするのです。
グレゴリオ聖歌風とはいえ、やはりイエスが捉えられ磔刑へと行く道程の間で激昂する民衆たちの姿の表現は圧巻です。バッハの受難曲に比べればおとなしいですが、それでも十字架に付けろ!と叫ぶ場面は鬼気迫るものがあります。イエスの役は浦野智行さんが担い、合唱団からもソリストを出しています。ただ、このルカ受難曲では、イエスがゴルゴタの丘まで十字架を背負って歩いていく様子も描かれます。あれ?そうなると残りのリストの曲にかぶるのではと思った方、その通りです。ここでなぜ後半がリストの「十字架の運行」だったのかが明らかになるというわけです。どちらも描いているのはイエスが十字架を背負いゴルゴタの丘まで行き、息絶えるまでです。
それは一方で、わたし達も生きていれば苦難を背負うことがあることとオーヴァーラップします。何もキリスト教でなくても、例えば我が国であれば歴史的人物の一人である徳川家康の名言「人生は重荷を背負いて歩むがごとし」ともオーヴァーラップします。家康が一向宗のトラウマがありながらもヨーロッパと貿易をしたかったのは、もしかするとプロテスタントなら分かり合えるかもしれないと思ったこともあったのかもしれません。実際、取り立てた三浦按針はイギリス人であり英国国教会というプロテスタント系だったわけですし。
勿論、シュッツのルカ受難曲が作曲されたのは1653年ですから、家康が亡くなったあとです。ただ、死後40年経つか経たないかというタイミングを考えますと、もしかするとシュッツが作曲したのは徳川家康の存在もあったのかもと、国史学専攻卒業の私としましては思ったり・・・
いずれにしても、バロック時代の編成を考えるのに物凄い材料をいただいた演奏でもありました。最後どこか自分の中に湧き上がる暖かいものがあるのに気が付くのにそう時間はかかりませんでした。聖マリア大聖堂の長すぎる残響もむしろシュッツにはぴったりです。その残響に初めは戸惑うものですが、ハインリッヒ・シュッツ合唱団・東京の皆さんはそんなこともなしに歌っているのには脱帽です。
④リスト 「十字架の運行」S.53 R.534
リストの「十字架の運行」は、1878年~79年にかけて作曲された、イエスがゴルゴタの丘で磔刑で亡くなる過程を描いた作品です。特に十字架を背負って歩いていく過程が描かれているのが特徴で、カトリックの僧侶だったリストらしくグレゴリオ聖歌からはっきりと音楽のインスピレーションを受けています。
ただ、途中コラールも挿入され、かつそのコラールはバッハとほぼ同じ手法で作曲されています。ここに、今回ムシカ・ポエティカさんがこの曲をシュッツの作品と並べて持ってきた意図を感じます。カトリックの音楽の中にプロテスタントの音楽を仕込む・・・それは、リストが生きた時代は19世紀後半の帝国主義の時代。戦争が絶えない時代に、平和とは何か、生きるとは何かを、カトリックという枠組みではなく一人のキリスト教の僧侶としての作曲者という視点でアウトプットされた作品だと感じるのです。
そのために、グレゴリオ聖歌だけでなく、バッハ、そしてバッハにつながるシュッツの音楽が念頭にあったと考えるのが自然でしょう。その手助けをしたのは、冊子によればリストの仲間あるいは同時代人だった、バッハ復興を推進したメンデルスゾーンやシューマンだと言います。特にメンデルスゾーンはマタイ受難曲の復活演奏を手がけたことで有名ですし、シューマンもオラトリオをいくつか作曲しています。カトリックの僧侶だったリストは、ハンガリー系ドイツ人というコスモポリタンでもありました。その出自から、あまりにも原理主義的な保守的運動には斜に構えていた可能性が高いと、個人的には考えます。リストのロマン主義あふれる管弦楽作品やピアノ曲から、グレゴリオ聖歌が鳴り響くこの曲はあまりにも異端ですが、しかしそこにこそリストの本心、あるいはスタンスというものが現れているように私には感じます。
シュッツに比べると、グレゴリオ聖歌であるにも関わらず、聖堂を満たす残響というのが少ないのです。それはリストの深謀遠慮だったのではないかと感じざるを得ません。ソリストには浦野智行さんも加わっているため、シュッツのルカ受難曲とレベルが変わるわけでもありません。なのに違ったように聴こえるのは、リストが選択した響きであるからとしか考えられません。グレゴリオ聖歌を使って、大音量の響きではない形でイエスの苦難を描き、そして聴き手に考えさせる・・・神無き時代へと突入していく中で必死にもがき表現するリストの姿が見えてきます。そこに、演奏に携わる人全員が共感しているように見えました。シュッツのルカ受難曲とこのリストの「十字架の運行」のふたつは指揮が淡野太郎さんですが、いつも打点がはっきりしているのですがこの日は一段と強くはっきりしていたように思われます。それは単にわかりやすいようにというだけでなく、淡野さん自身が曲に共感して力が入った結果だったのではと思います。それを受けた、合唱団の本当に美しく力強い、しなやかな合唱が、聖堂の残響と共に私たちのからだだけでなく魂まで包み込むかの様です。ハインリッヒ・シュッツ合唱団・東京の皆さんの姿を借りて、リストが語り掛けてきているようにすら感じられました。
私自身、聴いている中で、現在の国際情勢、あるいは日本の社会と言ったものが走馬灯のように想起され、考えさせられることがたくさんありました。ここではさらに長くなりますので割愛させていただきますが、宗教曲でそれだけのことを考えさせるだけのエネルギーを持っているという事こそ、作曲家が作品に込めた意志だと感じます。リストの作品の中でも宗教に関する曲が演奏される頻度が極めて少ない我が国において、今後もムシカ・ポエティカさんが果たされる役割は大きくなっていくでしょう。今後も微力ながらも聴衆として参加することで「お手伝い」させて抱ければ幸いです。ちょうど行く日にはニュースでキリスト教の巡礼と四国八十八か所霊場めぐり「お遍路さん」との共通点というシンポジウムが松山で行われたと報道がありました。宗教の垣根を越えて芸術が花開きますように。その起点に日本がなるのであれば、私も今後もお手伝いさせていただきます。
聴いて来たコンサート
シュッツ全作品連続演奏会第1回 ムシカ・ポエティカ受難曲の夕べ2025
ハインリッヒ・シュッツ作曲
「小教会コンチェルト集1」より
おお助けたまえ、キリスト、神の子よSWV295
天地は滅びるがSWV300
「十二の宗教歌」より「ニカイア信条」SWV422
ルカ受難曲SWV480
フランツ・リスト作曲
「十字架の運行」S.53 R.534
及川豊(テノール)
板谷俊祐(テノール)
浦野智行(バス)
中川郁太郎(バス)
椎名雄一郎(オルガン)
淡野太郎(指揮、バス)
淡野弓子指揮
ハインリッヒ・シュッツ合唱団・東京
令和7(2025)年4月9日、東京、文京、東京カテドラル聖マリア大聖堂
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。