コンサート雑感、今回は令和7(2025)年2月23日に聴きに行きました、Soli Deo Gloria~讃美と祈りの夕べ~Vol.429のレビューです。
Soli Deo Gloriaは、東京のキリスト教プロテスタントルター派教会である本郷教会さんが主宰するもので、バッハなどの音楽を聴くことで聖書の内容を顧みるというイベントです。イベント名はバッハが楽譜に書いた文言から採用され、ほぼ毎月2回ほど行われており、私はVol.427にも足を運んでいます。それは合唱団員にFBFが参加していると言う事、そして昨年11月から始まった、バッハのカンタータの演奏をモダン楽器とピリオド楽器の二つの全集を紹介するという私の企画もあり、バッハのカンタータ初演時の環境に近い教会で聴くことが有意義であると判断して足を運んでいます。
今回もFBFの投稿がきっかけです。Vol.428は行けずじまいでした・・・
もしかすると今回もコンサートはしごだったのですかという、ア・ナ・タ。はい、よくお分かりでwそう、日曜日にエントリを立てた、オーケストラ・ダスビダーニャ第31回定期演奏会の後に足を運んでおります。ちょうど前日にFBFが投稿したもので・・・まあ、本来は教会のウェブサイトを見れば計画的に行けるのですけどね。
今回も演奏はユビキタス・バッハとハインリッヒ・シュッツ合唱団・東京とメンデルスゾーン・コーアによるものです。曲目は以下の通り。バッハをシュッツが挟み込む形です。
①シュッツ 宗教合唱曲集より第4番・第5番
②バッハ カンタータ第126番
③シュッツ 宗教合唱曲集より第12番
とても簡素な印象を受けますが、実はこの日の次の演奏会は4月20日。キリスト教徒の方はお分かりだと思いますが、受難節が始まるためです。バッハが生きていた時代のライプツィヒでは、受難節に入るとカンタータは演奏されないしきたりでした。このSoli Deo Gloriaはそのしきたりに従っているのです。
①シュッツ 宗教合唱曲集作品11より第4・5曲
シュッツはバッハよりもほぼ80年ほど前に生まれたドイツの作曲家で宮廷音楽家です。この演奏会の合唱団名はこのシュッツから採用されています。そのシュッツはいくつもの合唱曲を書いていますが、その中でも宗教合唱曲集は有名です。今回はその中から第4番と第5番が、バッハのカンタータの前に演奏されました。なお、演奏前に聖書の詩編第85編8~10節と、ヨハネによる福音書第20章19~23節が読み上げられました。つまりそれは作品と関係しているということになります。
恐らく、バッハのカンタータの初演時もこのようにバッハ以外の作品も演奏されたであろうと思いますが、本郷教会はまさにその形で開催しているということになります。こういう機会があることは誠に素晴らしいことです。
第4番はまさに讃美の音楽であり、第5番は祈りの音楽です。合唱団はほぼ全員アマチュアですが、アンサンブルはいつもながら素晴らしい~。とはいえアマチュアらしい発声の部分はありますが、私自身は全く気になりません。実はこのコンサートはそもそもキリスト者以外にも開かれている上に無料です。それだけのオープンマインドである程度のレベルの演奏が聴けるわけなのに、文句をつけるというのはおこがましいです。とはいえ、確かに発声はアマチュア的なのでその点は向上の必要はありますが、それは合唱団の方々のほうがわかっていらっしゃると思いますし、何より仕事をしつつも教会での活動をされているわけで、さらにそれが2週間に一度程度のペースでかつ自分たち独自の活動もしているという忙しさの中では、おのずとできることは限られてきます。その点は私もサラリーマンの端くれだったのですから、評論には配慮が必要と言うものだと思っています。
それでも、シュッツの音楽が持つ、荘厳かつ清潔な精神がそこには存在していたのは、やはり素晴らしいことだと思います。
②バッハ カンタータ第126番「我らを保ちたまえ、主よ、御身が御言(みことば)の許に」
バッハのカンタータ第126番は、1725年2月4日に初演された、六旬節主日(復活節前第8日曜日)用のカンタータです。
ウィキペディア内で触れられている聖書の朗読ですが、コンサート当日は演奏前にコリントの信徒への手紙二第11章19~29節が、第2曲の前にコリントの信徒への手紙二第11章30節~第12章9節が、そして第5曲の前にルカによる福音書第8章4~15節が朗読されています。なお、日本語ウィキペディアでも第126番のページがありますが聖書の朗読に触れた部分でコリントの信徒への手紙が抜けているため、このエントリでは本郷教会に敬意を表して採用していません。これは中央大学文学部史学科国史学専攻卒業の歴史者としての私の矜持に拠ります。私の姿勢に文句があるならその方は日本語ウィキペディアを訂正してください。誰でも訂正できるはずですから。
ちょうどコンサートがあった2月23日は、実は復活節前第8日曜日なのです(今年2025年の復活節、つまりイースターが4月20日であるため)。つまり、その日に初演された、あるいは再演されたカンタータが演奏されたということになります。この事実からもしても、歴史家でもある私としては抜けがある日本語ウィキペディアのほうを採用するわけには行きませんでした。
そういう本郷教会、そしてユビキタス・バッハあるいはハインリッヒ・シュッツ合唱団・東京さんなどの姿勢は、演奏に現われています。それがアマチュアが歌うということです。演奏はほぼプロぞろいですが歌うのはアマチュアが主体というのは、明らかに例えば当時のトーマス教会の聖歌隊の面々がどんな人たちだったのかを想起させるものです。私自身もカトリックですが聖歌隊のお手伝いに参加したことがあるため、聖歌隊にどんな人たちが参加しているのかは十分理解しています。その視点で言えば、まさにピリオド演奏の究極の編成なのです。その歌声は、指揮者でありバスのソリストでもある淡野太郎さんはプロなので勿論ですが、特にアルトのソリストである柴田さんがすばらしい!アマチュアだとは思うのですが、プロにも勝るとも劣らない歌唱で、祈りの音楽に花を添えます。また、淡野さんのバスアリアは、内容が現世の虚飾を戒める内容。どこぞの国のカルヴァン派の大統領に聴かせたいですねえ。朗々とし毅然とした歌唱に、激しいヴィオラ・ダ・ガンバなどの通奏低音楽器が、作品の魂を掬い取ります。
③シュッツ 宗教合唱曲集より第12曲
1プロで演奏されたシュッツの宗教合唱曲集から、最後は第12曲が。ここではオルガニストも本郷教会の3階から降りてきて、さらにアンサンブルのユビキタス・バッハの人たちも一緒に歌うのが印象的。まさに西洋音楽は声こそが至上の楽器であったことを宣言しているように見えました。しかもそれがしっかりアンサンブルしていて、一つの地平を形成していました。楽器の人が歌って大丈夫?と思うかもしれませんが、実は私としては大して珍しいとは思っていませんで、大学2年生の時に初めてベートーヴェンの交響曲第9番を歌った時、実は同じパートに本来はオーケストラで打楽器をやっている男性と一緒になりました。どうしても第九を演奏したかったんだけれどもオーケストラがいっぱいだと聞いて合唱団で参加したという人でした。彼の大学のオーケストラの定期演奏会にも足を運びました。私は史蹟研究会だったので定期演奏会にお誘いということはできなかったのですが・・・学祭の展示を見に来てくれたかは記憶がないので、多分来てくれなかったと思います。
そういう経験をしているので、楽器の人も一緒に歌うとかはあまり驚きはありません。ユビキタス・バッハさんはバッハの時代も楽器の人も歌っていたと考えて参加しているとおもいます。そうであっても不思議はないので。そこに集まる人って、会衆ですから同じく信徒のはずなので、コラールを歌うという機会だってあるはずで、歌を歌うのが苦手ということもなければ特段問題はないと考えるのが自然でしょう。こういう点も、この本郷教会のイベントに足を運ぶ理由です。
次回は4月20日と、何と復活祭当日なんですね。さて、足を運べるかどうか・・・私自身、復活祭の聖歌隊のお手伝いも経験済みですが、いろんな予定を勘案して、できるだけ足を運ぶ方針でいたいと思っております。
聴いて来たコンサート
Soli Deo Gloria~讃美と祈りの夕べ~Vol.429
ハインリッヒ・シュッツ作曲
宗教合唱曲集作品11より
第4番Verleih uns Frieden genädiglich(われらに平和、慈しみ深く与えたまえ) SWV372
第5番Gib unsern Fürsten(与え給え、われらの長に) SWV373
第12番Also hat Gott die Welt geliebt(神、然ばかりに世を愛したまえり) SWV380
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第126番「われらを保ちたまえ、主よ、御身が御言(みことば)の許に」BWV126
宮崎新(聖書朗読、牧師)
柴田圭子(アルト)
依田卓(テノール)
ハインリッヒ・シュッツ合唱団・東京
メンデルスゾーン・コーア
淡野太郎指揮、バス
ユビキタス・バッハ
令和7(2025)年2月23日、東京、杉並、日本キリスト教団本郷教会礼拝堂
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。