かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今日の一枚:ブルックナー 交響曲第8番ハ短調(ハース版)

今日は、ブルックナーの8番です。指揮はふたたびハインツ・レーグナー、オケはベルリン放送管弦楽団です。

この曲はブルックナーの最高傑作と言われ、古今の交響曲の中でも最高傑作と言われます。確かに、その壮大さは第九すらしのぎます。

でも、私はこの曲からは神々しさと同時に、官能的な感じすら受けるのです。なんとなく、ワーグナー的、といいますか・・・・・

これも、旧東独の演奏であるわけですが、かなりそのあたりの「毒」がきちんと表現されています。そういうことは共産党政権では嫌われたはずなのですが・・・・・はっきりと打ち出されています。

特に、第3楽章はそれが顕著で、どこか天上かあるいはもっと別な場所へと連れて行ってくれます。

ただ、金管がほえすぎない点は以前とまったく変わらず、旧東独のひとつの頂点を聴かせてくれます。

構成的にはベートーヴェンの第九を意識していることが伺え、それはスケルツォを第2楽章に持ってきている点から明らかです。ブルックナー自身、かなり気合を入れて書いたと思われます。

この演奏はハース版なのですが、詳しい解説は以下を参照してください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC8%E7%95%AA_(%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC)

私はこの件についてはまだまだ初心者です。スコアを見ているわけではないので詳しく述べることはできません。ただ、ハース版のほうがよりブルックナーが当初考えていた構成に近いということは言えるのではないか、と思います。そういう意味では、旧東独らしい面がでているなと思います。

ノヴァーク版がどれだけ採用されているかも微妙ですが、ハース版が第2稿を基にしているという点から考えますと、ハース版を批判することはこの8番に関しては当たらないのではないかという気がします。東西冷戦のさなかでも、どちらの陣営でもハース版あるいは第2稿を取上げる指揮者が多かったことを考えますと、ノヴァーク版を無批判に受け入れることは、ブルックナーがはじめ意図したことにこだわるのであるならば、私としては異論があるところです。どうでもいいなら別ですが・・・・・

この曲は異様に長いので、初心者には聴くのがつらい曲だろうと思います。それでも、何とか第4楽章までたどり着けば、すばらしい金管が待っています。阿波踊りに似ているという人もいますが・・・・・ただ、その後にはまたゆったりとした音楽が待っており、全体的には緊張感にかけるので、それが余計初心者にはつらいのでは。そこで、じっくりと金管に耳を済ませて聴くことをお勧めします。そうすると、別の世界が待っています。

第4楽章自体はかなり起伏が激しい音楽となっているので、必ず何かしら得るものがあるはずです。神々しさが復活し、天上の世界が待っています。それはかならずしも一筋の光が差し込むというものではなく、むしろたそがれ時なのですが・・・・・

ただ、ワーグナーのような自己犠牲を伴うカタストロフィーのようなものではなく、必ず朝日は昇る、そんな希望が見えるたそがれです。旧東独の演奏だからなのかもしれませんが、そんな復活の音楽を、私は感じるのです。もしかすると、それはこの曲が後期ロマン派の作品であるがゆえに、ベートーヴェン以来の形式を守っているという点にあるのかもしれません。


聴いているCD
アントン・ブルックナー作曲
交響曲第8番ハ短調(ハース版)
ハインツ・レーグナー指揮
ベルリン放送管弦楽団
(ドイツ・シャルプラッテン TKCC-30619)