かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今日の一枚:ブルックナー 交響曲第6番

今回の「今日の一枚」シリーズはまだまだ始まったばかりなのですが、ブルックナー交響曲は6番までやってまいりました。

このディスクはギュンター・ヴァント指揮、北ドイツ放送交響楽団という、ブルックナー演奏ではオーソリティと言っていい組み合わせです。

この曲の特徴は、「ブルックナー終止」がない、ということに尽きるのではないでしょうか。ブルックナー終止、つまり「全終止」がない、ということです。当たり前といえば当たり前ですが、音楽が常に流れているということになります。

これはブルックナーとしては極めて珍しいと思います。勿論、習作期においてはそのような曲も珍しくないですが、作曲家として有名になってからでは非常に珍しいのではと思います。

ウィキペディアの記述は、以下のページを参考にしていただきたく思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC6%E7%95%AA_(%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC)

それによりますと、気になった記述があります。それは、この曲を作曲した時期に、ブルックナーはスイスへ行くため鉄道に乗っている、ということです。

もちろん、それだけで全体を判断できませんが、スイス・アルプスは今でも鉄道の難所であり、現在でもイタリアからスイスへは新たに長大トンネルが掘られています。それほど、途中に止まる駅がないのです。

その風景が印象に残った、という可能性は否定できないでしょう。

その上、この曲の第4楽章にはワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の愛の死の動機が出てきます。ワーグナーの楽劇といえば、その切れ目ない音楽が特徴であり、たぶんにワーグナーの影響と尊敬が込められていると思います。

トリスタンとイゾルデ」といいますと、ワーグナー独特の世界観で有名です。特に、この曲は悲劇でありながら、最後は自己犠牲で終わるなど、ワーグナーの楽劇の基本線を決定付けた曲です。勿論、自己犠牲自体はすでに「タンホイザー」で表現されていますが、いわゆる「楽劇」と言われる曲で表現されたのは、この「トリスタンとイゾルデ」が始めです。

特に、女性が死んで世界を救うという、「ニーベルングの指環」へつながるコンテキストが出来上がったのは、明らかに「トリスタンとイゾルデ」です。この曲はその雰囲気がとても強い、といえます。

幻想的な雰囲気はブルックナーそのものですが、金管の明るい神々しさがない、ということからしますと、かなりワーグナーを意識した構成だと、私は思います。mixiの同時鑑賞会「ブルックナー・マラソン」でもヴァントの演奏を聴いていますが、他の曲では金管はきちんと神々しい演奏をしていました。

唯一、本当にブルックナーらしい音楽は、第3楽章のスケルツォではないかと思います。ブルックナーの特徴として印象的なスケルツォだと思うのですが、この第3楽章はワーグナーの影響を受けつつ、自分の音楽を貫き通しているように思います。

昨日の第5番もそうなのですが、決して単純に他人の音楽を持ってくるということはブルックナーはしませんね。そういうことから判断しますと、ヴァントの表現はすばらしく、この曲の特徴を良く伝えているのではないかと思います。

演奏機会が少ないというのも、ちょっと悲しいですね。その理由は何となくわかりますが、とはいってもブルックナーワーグナーを尊敬していることは良く知られていることですし、もう少し演奏機会があってもいいのではと思います。

このディスクは輸入盤で、アメリカ製。はじめ、うまくかかるだろうかと心配しましたが、どうにかこうにかパソコンでかかってくれました。ほっとしています^^;

まあ、ヴァント/北ドイツ放送響で輸入盤、というのもおかしな話で、本来なら国内盤であってもいいくらいですからね。前に持っていた方が国内盤を買わなかった(もちろん、その方がもったいないから国内盤を買わないという性格もありますが)ということからも考えますと、この曲の評価がもう少し日本国内でも上がっていいのではないか、と思います。低すぎなような気がします。

実際、トリスタンとイゾルデの動機が出てくる第4楽章も、それほどワーグナー一色ではありません。あくまでもブルックナーの音楽です。しかし、金管の神々しさは影を潜め、ワーグナー的な神秘性のほうが勝っている点は明らかであり、それがこの曲の評価を下げてしまっているように思います。でも、ワーグナー好きな私からしますと、それでももう少し評価してあげようよ、と思います。構成的には完成度の高い曲です。

確かに、コアなブルックナーファンからしますと、ブルックナー終止がないことや、神々しさが少ない部分は物足りないでしょうけど・・・・・

それでも、この演奏はさすがヴァントという部分がたくさんあるようにおもいます。決して金管は強く鳴らしすぎず、それでいてメリハリも利いていますし、音楽の透明感や、やわらかい部分もあります。ブルックナー初心者の私でも違和感なく聴けますし、思わずうなってしまいます。

聴き所満載だと、私は思います。むしろ、初心者のほうがこの曲は聴きやすいかもしれませんね。ヴァントの表現も、そこら辺を狙ったかどうかはわかりませんが、そうそう!と思わずうなづいてしまいます。


聴いているCD
アントン・ブルックナー作曲
交響曲第6番イ長調
ギュンター・ヴァント指揮
北ドイツ放送交響楽団
(RCA VICTOR deutsche harmonia mundi 60061-2-RC)