東京の図書館から、78回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、テルデックレーベルから出版された、古楽演奏によるバッハのカンタータ全集、今回は第46集を取り上げます。CDでは第25集の1となっていますがここでは図書館の通番に従っています。収録曲は第99番と第100番の2つです。いよいよ3桁突入です。
この全集は指揮者2名体制で、ニコラウス・アーノンクールとグスタフ・レオンハルトの2人です。この第46集ではその二人ともが指揮を担当しています。そのためオーケストラと合唱団もそれぞれ異なります。そのため、ソプラノを担当するボーイ・ソプラノも2曲で異なっています。
この2曲は同じ「神なしたもう御業こそ、いと善けれ」という題がついていますが、前回同じ題名の第98番を取り上げています。その時、なぜ一緒にしなかったのかと問いを立てました。収録時間もこの音源では約42分なので第98番を加えてもCD一枚で十分収録できます。ただ、この二つの内容を吟味すると、なぜ分けたのかがわかってきます。
①カンタータ第99番「神なしたもう御業こそ、いと善けれ」BWV99
カンタータ第99番は、1724年9月17日に初演された、三位一体節後第15日曜日用のカンタータです。コラール・カンタータになっています。一方、前回取り上げた第98番は同じ題名ですがコラールカンタータではありません。さて、それが分けた理由なのでしょうか?それもあるとは思いますが主たる理由ではないでしょう。
この第99番はバッハが好んで使ったローディガストが作った詩のコラールを第1曲と終曲で使用して間をアリアとレチタティーヴォとしています。その作詞者は判っていませんがおそらく台本作者とバッハなのではと考えられます。その意味では、普通のコラールカンタータだと言えます。
この第99番は指揮がアーノンクール、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスとテルツ少年合唱団です。ゆえにソプラノはテルツ少年合唱団のボーイソプラノのヴィルヘルム・ヴィードル君。ですが出番はアルトとの二重唱です。ヴィードル君は素晴らしい声の持ち主であるがゆえに単独のアリアが聴きたいところですが・・・残念。アルトはカウンターテナーのポール・エスウッドですがいっしょでもそん色ありません。収録ごとに良くなっているヴィードル君ですが、何故に大人になってソリストにならなかったのでしょう・・・もったいない印象はあります。多分、どこかの合唱団で歌っているんでしょうね。
②カンタータ第100番「神なしたもう御業こそ、いと善けれ」BWV100
カンタータ第100番は、1734年ごろに初演されたとされるカンタータです。確実な日付がわかっていないため用途もわかっていません。おそらく結婚式用だと言われています。確かに歌詞を見るとそう取れなくもないですが・・・
この曲もコラールカンタータではありますが、実は歌詞は全てローディガストのコラールをそのまま使っています。つまり、レチタティーヴォやアリアまでコラールとなっているのです。すでにこの形は出てきていますがそれも1730年代以降。この時期は以前私はやる気の無さを指摘しましたがかといって手を抜いているわけではなくむしろ円熟味を感じるものばかりです。しかもこの曲、第1曲のコラール合唱は音楽を第99番からパクっています。編成を大がかりにしただけと言えるくらい同じです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Was_Gott_tut,_das_ist_wohlgetan,_BWV_100
つまり、ここでなぜ第98番が別途収録になったのかが明らかになるわけです。つまり、同じローディガストのコラールを使い同じ題名ではあるが、共通するのは「それだけ」であるため除外し、関連性の高い第99番と第100番を一緒にした、ということです。しかも第100番は音楽すら第99番を転用しているという・・・
終結コラールにおいては一緒になることもあり得ますが、第99番と第100番は冒頭のコラール合唱すら一緒という同期ぶりです。そうなると、むしろ第98番は異質ということになってしまいます。BWV番号で見ても、第98番は同じ題名のコラールを使っているにしても2番目であるはずなのにむしろ最初に来ているのは、これだけ異質だという仕分けだということになりましょう。その仕分けを勘案した収録だったということになります。
ただ、それだと本来なら第98番と第99番・第100番は演奏者を変えねばならないはずなのですが、実際はこの第100番の指揮はレオンハルトです。あれ?レオンハルトは第98番の指揮者です・・・本来なら、この第100番もアーノンクールでいいはずですが。
これはおそらくですが、同じ部分があるとはいえ、第99番が純然たるコラールカンタータとなっているのに対し、第100番は同じコラールカンタータではあるが、歌詞全てをコラールの原曲から持ってくるという手法を取りつつ、決して手を抜いておらずむしろ円熟味が増しているという事実を踏まえたものだと感じます。そのためレオンハルトの指揮ということになったと私は考えます。その証拠に、合唱団はハノーヴァー少年合唱団の他にコレギウム・ヴォカーレも参加しており、分厚い男声合唱を味わうことだできます。それはそもそもがオーケストラの編成が第99番よりは大きくなっていることを踏まえたものだと考える事が出来ます。
ソプラノはハノーヴァー少年合唱団のボーイ・ソプラノ、デートレ・プラチュケ君。うん、ブラチュケ君は好きです!清潔感があり表現力もあるブラチュケ君はいいわあ。かと言ってテルツ少年合唱団のヴィードル君がだめと言いたいわけではありません。両名とも素晴らしい声です。ただ、どちらかと言えばこのブラチュケ君のほうが表現力があるかなという気はします。用途は不明ですが結婚式用とも推測されていることを考えますと、本来は大人の女性のソプラノのほうが適しているはずなんですが、ここで少年を使うということは、純潔を意味すると個人的には考えます。とはいえ少年らしさがあまりにも出る発声だと不適ということになりますから、表現力があるブラチュケ君、そして所属するハノーヴァー少年合唱団という選択になったのかなと想像します。さらに編成が大きいということでコレギウム・ヴォカーレも入る。そうなると自動的に指揮者はレオンハルトに・・・という具合です。オーケストラはレオンハルト合奏団でもウィーン・コンツェントゥス・ムジクスでも素晴らしいアンサンブルですから、あまり差を感じませんし。そうなると、歌手の適性で使い分けているという考えも成り立ちます。そもそも、バッハの時代は聖歌隊が歌っていたとはいえ、結構いろいろ入れ替わっていたみたいですし・・・
そう考えると、二人の指揮者、二つのオーケストラと合唱団を使うというこの全集の手法は、まさにピリオド演奏に相応しいと言えましょう。それを単一の団体でとして乗り越えて名声を得たバッハ・コレギウム・ジャパンがいかに素晴らしい団体なのかを、この全集を聴いて思い知らされるのです。
聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第99番「神なしたもう御業こそ、いと善けれ」BWV99
カンタータ第100番「神なしたもう御業こそ、いと善けれ」BWV100
ヴィルヘルム・ヴィードル(ソプラノ、テルツ少年合唱団員、第99番)
デートレ・プラチュケ(ソプラノ、ハノーヴァー少年合唱団員、第100番)
ポール・エスウッド(アルト)
クルト・エクヴィールツ(テノール)
フィリップ・フッテンロッハー(バス、第99番)
マックス・ヴァン・エグモント(バス、第100番)
テルツ少年合唱団(合唱指揮:ゲールハルト・シュミットガーデン、第99番)
ハノーヴァー少年合唱団(合唱指揮:ハインツ・ヘニッヒ、第100番)
コレギウム・ヴォカーレ(合唱指揮:フィリップ・ヘレヴェーへ、第100番)
ニコラウス・アーノンクール指揮、通奏低音チェロ
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス(第99番)
グスタフ・レオンハルト指揮、通奏低音オルガン
レオンハルト合奏団(第100番)
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。