東京の図書館から、78回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、テルデックレーベルから出版された、古楽演奏によるバッハのカンタータ全集、今回は第28集を取り上げます。収録曲は第54番、第55番、第56番の3つです。なおCDは第14集の2となっていますが、このブログでは図書館の通番に従っています。
この全集は指揮者2名体制で、ニコラウス・アーノンクールとグスタフ・レオンハルトの2人です。この第28集はグスタフ・レオンハルトが指揮を担当。オーケストラはレオンハルト合奏団、合唱団はハノーヴァー少年合唱団です。
ここまで番号順で来ていますが、勘のいい方は「第53番が抜けてるぞ」と思われるかもしれませんが、おっしゃる通り抜けております。これは第53番は偽作であり、ゲオルグ・メルヒオル・ホフマンだと考えらているため、この全集では飛ばされています。おそらく収録している全集も少ないと思います。
①カンタータ第54番「罪に手むかうべし」BWV54
カンタータ第54番は、1714年に初演されたカンタータです。日付は大きく分けて二つ考えられており、3月4日と7月15日です。東京書籍「バッハ事典」では3月4日と推測し、下記ウィキペディアでは7月15日と推測しています。
たった3曲しかない短いカンタータですが、アルトソロが印象的な作品です。一応鏡像カンタータの形になっていることも魅力的。演奏もポール・エスウッドの美しくも力強い歌唱が、歌詞の内容を印象づけます。「罪に手向かうべし」というメッセージが強く伝わってきます。ただ、ここでいう「罪」とは、キリスト教でいう人類が背負った「罪」であり、必ずしも犯罪とは限らないことに留意が必要です。それも含めた歌唱であることを踏まえると、かなり外形的な歌唱とも言えますが、それもまたキリスト教で言う「罪」に対してどれだけ抵抗できるか、そのために信仰を強く持っておけるかもテクストとして重要なわけなので、そこを踏まえた強い歌唱になっていると考えられ、その点はやはり譜読みの深さを感じるところです。
②カンタータ第55番「われ哀れなる人、われ罪の下僕」BWV55
カンタータ第55番は、1726年11月17日に初演された、三位一体節後第22日曜日用のカンタータです。
第54番は祈りと諭旨の両側面がある曲なのですが、この第55番は同じく「罪」がテーマになっている割には、ほとんど祈りの曲で占められています。ただこれは祈りということで祈ることで罪を認識することが大事だと言う諭旨にもなっています。カンタータが単なる個人の内面を表わすだけの曲、あるいは機会の音楽ではないことを考えますと、単に言葉だけを見て祈りの音楽だと捉えるのは適切ではないでしょう。
確かに、テノール・ソロの曲ではあるんですが、最後はコラール合唱で締めくくられています。このことはやはりどこか会衆というものを意識せざるを得ないと思います。ソリストのクルト・エクヴィールツは徹底的に祈りを捧げる、自分がいかに罪深いかを告白する歌唱になっていますが、それを洗い流すかのような清廉なハノーヴァー少年合唱団の合唱が最後に来ていることを考えると、なるほど、最後は罪を認識して神に祈ることで救われる第1歩を踏み出せる希望に満ちている構造なのだとわかります。その点でも、この演奏の評価を高くせねばならないでしょう。
③カンタータ第56番「われは喜びて十字架を負わん」BWV56
カンタータ第56番は、1726年10月27日に初演された、三位一体節後第19日曜日用のカンタータです。
バスソロ用のカンタータですが、この曲も最後はコラール合唱で締めくくられていることから、正確にはソロ用というよりはバスにより歌われるというほうが正しいでしょう。今回の3つの内で純然たるソロ用と言えるのは第54番だけです。ただ、ライプツィヒだからこそソロカンタータにコラール合唱をつけることが出来たのかもしれません。
内容はイエスの船旅を人生に準えて、臨終を待ち望むテクストですが、当日の聖書の内容とは多少異なっています。おそらくですが、当日の聖書の内容も、恐らく比喩として取り上げられた可能性が高いと思われます。
レオンハルトもおそらくそう考えたのだと思うのですが、バスのミヒャエル・ショッパーは堂々と、そして朗々と歌い上げているのが魅力的です。つまり、臨終とはキリスト教においては神に迎えられる瞬間でもあるわけで、決して悲しみだけではありません。喜ばしいことでもあるわけですから、悲しみや苦しみだけの表現にしてはならないわけです。特に第3曲は希望に満ちた曲ですし、なぜそんな希望に満ちたテクストと曲が用意されているのかを考えるとき、単なる苦しみではないと言えるわけです。そもそも、冒頭アリアは「われは喜びて十字架を負わん」です。イエスが人類の原罪を背負って行ったその先に復活したように、私たちも死を恐れるだけではなく生きることに喜びを見いだそうというものですから。その点ではこの曲も祈りの音楽と見えて実は諭旨の内容であるわけです。つまり明らかに聖書の内容を比喩として、生き方を述べていると言えるわけです。だからこそ、聖書の内容とは多少かけ離れた内容になっていると考えるのが自然ですし、それを踏まえた歌唱、演奏になっていると言えます。その点でもやはり、レオンハルトの深いスコアリーディングを感じるところです。演奏から感じられるのがこの演奏の真に素晴らしいところでしょう。
聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第54番「罪に手むかうべし」BWV54
カンタータ第55番「われ哀れなる人、われ罪の下僕」BWV55
カンタータ第56番「われは喜びて十字架を負わん」BWV56
ポール・エスウッド(アルト)
クルト・エクヴィールツ(テノール)
ミヒャエル・ショッパー(バス)
ハノーヴァー少年合唱団(合唱指揮:ハインツ・ヘニッヒ)
グスタフ・レオンハルト指揮、通奏低音オルガン
レオンハルト合奏団
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。