かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:リリンクとシュトゥットガルト・バッハ合奏団によるバッハカンタータ全集59

東京の図書館から、62回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、ヘルムート・リリンク指揮シュトゥットガルト・バッハ合奏団他による、バッハのカンタータ全集、今回は第59集を取り上げます。収録曲は、第97番、第100番、第9番の3つです。

カンタータ第97番「わがなす すべての業に」BWV97
カンタータ第97番は、1734年に初演されたとされるカンタータです。用途は不明です。後世の写本では三位一体節後第5日曜日との記載があるため、「バッハ事典」ではカッコつきで1734年7月25日とされています。

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ゆったりとした序奏の後に合唱が始まる構成になっているため、いささか驚きます。リリンクは深いスコアリーディングの上で演奏していることを考えますと、テンポを変えたとかではないように思います。この辺りは古楽演奏のものも今後取り上げますので、その時にまた比較したいと思いますし、もう一度バッハ・コレギウム・ジャパンのを聴いてみても面白いなと思います。

それにしても、全曲コラールそのまんまというのは、珍しいことで、バッハのカンタータの中でも少数です。視点を変えれば、仕事してないじゃん、ということになりますので・・・それだけ、当時は市参事会との折り合いが悪かったということなんでしょう。

用途ですが、はっきり伝わっていないので、「バッハ事典」では後世の写本に記載された日付をカッコつきにして載せていますが、そもそもは結婚式用という話も楽譜からは伝わってきます。それを取り消して三位一体節後第5日曜日に使ったのかもしれません。2度再演されていますがそれも日付が不明。そこでリリンクは、歌詞をうまく掬い取って、信仰を歌い上げる形にまとめています。私自身、結婚式用というのはどうもねえって思っています。その理由は、その結婚式用かもとされる、取り消し線が入った第7曲の歌詞なのです。まあ、演歌でそんな歌詞がないわけではないですが・・・ちょっと歌詞が極端では?という気がするのです。

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もしかすると、当時も「この歌詞で結婚式?」となったのかもしれません。いずれにしても、リリンクは史料批判の上で、信仰を伸び伸びと歌い上げる形にしています。特に、この作品はしれっとイザークの「インスブルックよさらば」に由来する旋律が仕込まれています(意外と多く使われている旋律ではあります)。そのあたりからも、個人的には結婚式用というのはいささか疑問を持ちます。その意味でも、やはりリリンクの深いスコアリーディングにこの曲でも感心させられます。

カンタータ第100番「神なしたもう御業こそ、いと善けれ」BWV100
カンタータ第100番は、1734年に初演されたとされるカンタータです。これもまた用途不明なのです。

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しかも、第1曲は同名のカンタータ第99番からの転用です。もうどこまで仕事してないの?と突っ込みどころ満載です。でもそれは、やはり市参事会との折り合いが悪かったことを物語るように思います。役目は一応果たしているから、もう新作は適当にという感じが否めません。とはいえ、勿論作品のレベルはしっかり高いものがあります。

この時期のバッハは、むしろ世俗音楽を演奏するコレギウム・ムジクムの活動のほうが活発でしたし、ミサ曲を作曲していたりしています。この二つにむしろ力点を置いていたと考えるのが自然です。これはあくまでも私の推測でしかありませんが、薄給でいろんな仕事をさせるのに嫌気がさしていたのではないでしょうか。協奏曲をシンフォニアへ転用することもあったことを考えますと、バッハの音楽自体は好まれていたと思いますが、バッハの音楽が市参事会からはアバンギャルドだと見られていた上に、カトリックの音楽にも手を染めていたことで、さらに市参事会との関係が悪化したと考えるのが自然かなと。そもそも、バッハはバロック時代最後の巨匠と言ってもいい立ち位置ですし、息子のカール・フィリップ・エマヌエルは明らかに新しい様式を取り入れています。そうしてみると、バッハの音楽の捉え方はがらりと変わるような気がします。巷で言われる、バッハの作品の中には妻のアンナ・マグダレーナのものもあるはずだというのも、あながち間違いではないだろうと思っています、証拠がないだけで。その点では、私自身はバッハがアンナ・マグダレーナを抑圧したというスタンスには立ちません。むしろバッハは自分の名前で出すことで妻を守ったと考えるのが自然だろうと思います。コレギウム・ムジクムでは、ひっそりと「内緒ですが、この作品は実は妻の作曲なのです。当局ににらまれて妻が投獄されると困るので私の名前で出していますが」とか語った可能性すらあるだろうと想像しています。語っていなくとも、当時の人であれば「あ、これはアンナ・マグダレーナが作曲したんだけれども、バッハの名前で出さざるを得ないんだな」という、一種の暗号があった可能性もあると考えます。それがこの時期のバッハの教会カンタータにおけるやる気の無さの原因だとすれば、腑に落ちるのですよね。

しかも、この第100番の歌詞を如何に挙げておきますが、すべての楽章に於いて、歌い出しは「神なしたもう御業こそ、いと善けれ」なのです。そこまでやる必要があるか?と思うくらいです。これはショスタコーヴィチが「森の歌」や交響曲第5番を作曲した経緯に似ているように見えるのはわたしだけなのでしょうか・・・

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リリンクはそのことを踏まえてか、それほど劇的に歌い上げることをせず朗々と演奏させています。そのうえで生命力を与えることも忘れていません。リリンクも私と同じように、バッハの時代に即してみることでむしろバッハの内面を見たように思うのです。

カンタータ第9番「われらに救いの来たれるは」BWV9
カンタータ第9番は、1734年前後で初演されたであろう、三位一体節後第6日曜日用のカンタータです。これはウィキペディアとバッハ事典で見解が異なっており、ウィキペディアでは1734年8月1日、「バッハ事典」ではおそらく1732年7月20日としています。そのため私は1734年前後という記載にしました。ウィキペディアで断定している理由は明確にされていませんが、リンクに飛んでみると、2015年に発表があったようで、新しい発見がなされたのかもしれません。リリンクは録音時にはその発見を知らないはずなので、恐らく推測で1734年と判断したか、あるいは再演が1735年なのでそっちで判断したかだと思います。

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再演もその後なされている作品で、実はここに並んでいる3つはどれも再演がその後かなりされている作品なのです。この1734年という時期の作品が再演が多いことをどのようにとらえるかは、いろんな考えがありますが、私はやはり、新しい時代の到来に対し戦っているバッハを、会衆が支持したためではと考えます。古い考えの市参事会に対し、対峙しているバッハ・ファンが、演奏を求めたとしても不思議はないと思います。いずれにしても、バッハを支持する人と反対する人との対立があったように見えるのです。

リリンクは、歌詞を踏まえてそれほど感情を込めることなく、しかし神への篤い信仰を秘めているように歌わせていますし、器楽の演奏もさせています。珍しく用途がはっきりしていることはありますが、一方で当時のバッハの立ち位置というものも考慮しているように聴こえるのです。リリンクがこの第59集に於いて最後に持ってきたのは、史料からの推測だと思いますが、バッハの当時の立ち位置というものを考慮しないとその判断に至らないと思うからです。当然ですが、解釈に於いても影響がないとは言い切れません。モダン楽器の使用ということで古楽演奏を貶めることだけに終始している論評だと、リリンクがこの演奏で表現したかったものの本質を理解できないのではという気がします。そのあたりも、リリンクのバッハの芸術というものに対する真摯な態度を見ることが出来ましょう。

 


聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第97番「わがなす すべての業に」BWV97
カンタータ第100番「神なしたもう御業こそ、いと善けれ」BWV100
カンタータ第9番「われらに救いの来たれるは」BWV9
ヘレン・ドナート(ソプラノ、第97番)
アーリン・オジェー(ソプラノ、第100番)
ウルリケ・ゾンターク(ソプラノ、第9番)
ヘルルン・ガルドゥ(アルト、第97番)
ユリア・ハマリ(アルト、第100番)
ガブリエーレ・シュレッケンバッハ(アルト、第9番)
アダルペルト・クラウス(テノール
フィリップ・フッテンロッハー(バス、第97番・第100番)
ヴォルフガング・シェーネ(バス、第9番)
ゲッヒンゲン聖歌隊
フランクフルト聖歌隊
インディアナ大学室内合唱団
シュトゥットガルト記念教会合唱団
ヘルムート・リリンク指揮
シュトゥットガルト・バッハ合奏団
ヴュルッテンベルク室内管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。