かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:「学生の第九」を聴いて

コンサート雑感、今回は令和6(2024)年2月28日に聴きに行きました、「学生の第九」のレビューです。

「学生の第九」って、学生だけなのですかって?ええ、おっしゃる通りです。学生だけで演奏、運営されたコンサートです。演奏されるのは、ベートーヴェン交響曲第9番

このコンサートを知ったのは、実はこのコンサートの2週間くらい前でした。確か、2月10日に聴きに行った、Carpe Diem Philharmonyさんの演奏会会場にあったチラシだったと思います。学生が第九をやるのか!と。これは聴きに行かなくてはと思ったのです。

実は、私の合唱のキャリアは第九から始まっているのですが、その初めての第九も実は学生による演奏だったのです。当時はなかなか人が集まらず、結局社会人にも入ってもらったのですが。

ykanchan.hatenablog.com

私自身が学生主宰の第九の演奏会に参加し、その後いろんな経験を積むきっかけになったので、ぜひともこれは応援しなくては!と思ったのでした。

今回のプログラムは、以下の通り。

①バッハ 6声のリチェルカーレ(ウェーベルン編曲)
ボロディン 歌劇「イーゴリ公」より「だったん人の踊り」
ベートーヴェン 交響曲第9番

学生が演奏するにしては、結構攻めたプログラムだと思います。バッハもそうですが、とくに「だったん人の踊り」が・・・

まず、バッハの6声のリチェルカーレ。そもそもは「音楽の捧げもの」ですが、それを20世紀の作曲家であるウェーベルン管弦楽へと編曲したもの。ウェーベルンの編曲では冒頭はトロンボーンとトランペットにより奏されますが、ちょっとだけ管楽器は不安定。しかし、弦楽器は・・・え?このやせた音が無いのは何だ!まさか、またすごいオーケストラに私は当たってしまったのか・・・

学生と言っても、総合大学もあれば専門科大学もありますし、音大もありますが、これは音大のオーケストラなのかと錯覚してしまいます。今回、参加大学は記載がないので分からないんですが、音大生がかなり入っていても不思議はないと思っています。しかしそうだとしても、他の大学オケで活躍している学生のレベルが音大生と釣り合わないと、はっと見張るような素晴らしいアンサンブルとアマチュアとは思えないやせた音がない弦楽器など実現できるはずがありません。これは合唱と何ら変わりありません。全体の合奏になるとさらにアンサンブルが光ります。いやあ、またまたとんでもないオーケストラに私は当たったようです。

2曲目が、ボロディンの「だったん人の踊り」。たいていはアマチュアオーケストラでは管弦楽だけで演奏されるのですが、今回なんと!合唱付きなんです。勿論、それが正式なんですが・・・実は、私はこの曲を歌ったことがあるんです!この曲はロシア語が難しいのと、その音域が結構高い!しかも、いきなり高音を歌わないといけないなど、ベートーヴェンの第九に匹敵するくらい難しい曲です。

弦楽器は当然やせた音もなく素晴らしく、金管はしり上がりに良くなっていきます。そのうえで、合唱が入ったとたん・・・美しく力強いソプラノ!しかも優しくホールを満たします。まさに、イーゴリ公をもてなすポロ―ヴェッツの娘たち!私がいた宮前フィルハーモニー合唱団「飛翔」を軽ーく超えてきました・・・

いや、私がいた合唱団どころか、コール・ダスビダーニャすら超えて行きました。男声も入って力強い踊りのシーンに突入すると、恍惚の声楽がほーるを満たし、力強くしなやかな声楽!実は合唱団には学生と言っても高校生もいるんです!いやあ、このレベルの高さ・・・度肝を抜かれました。最後の部分は完全に力強い声楽に酔いしれます。ちなみに、ホールは府中の森芸術劇場どりーむホール。

このホール、シューボックス型なんですが、いやあ響く響く!残響時間も結構あるように聴こえます。いや、府中市交響楽団さんの演奏を聴いてもそれなりに響いているのでいいホールでもあるんですが、同じ府中の森芸術劇場ならウィーンホールのように聴こえるんです。これもまた素晴らしいところ。

よく見てみれば、オーケストラはあくまでも舞台では反響板から出ていません。しかし、このまま第九を歌うのか?実は、そうなんです!ということは、合唱団の人数はCarpe Diem Philharmonyさんとほぼ同じということになります・・・本当に大丈夫かと心配になります。

さて、休憩後、ベートーヴェンの第九。第1楽章出だしはちょっとだけトランペットが不安定ですが、それでも立て直します。ただ、どこか弦楽器が走っているような印象を受けましたが、崩壊までしないんですよね。コンサートマスターは前半と後半とでは変更があり、別な人が務めたのですが、かといってボウイングに合わせるとかではないですし。オケが前のめりになっているかなあと思ったり。しかし、後半わかるのですがそれは指揮だと気付きました。実は指揮者も学生なんです。そこまでこだわるのか!と思いました。本当に何から何まで学生による演奏なんですよね。実はソリストも3名が学生、1名が海外で留学中。私の時は指揮者は今や大御所になりつつある藤岡幸夫でしたが・・・

第2楽章からは、金管楽器は全く問題なし。しかし弦楽器のテンポが若干前のめりで走りがちになっているのだけが気になります。でも、とてもアグレッシヴなタクトの中でしっかり演奏できているのはさすが。これが音大生だけではなく普通の大学オケの学生もいてなんです。ちなみに料金は1000円・・・バジェットプライス。

第3楽章で弦楽器は落ち着くのですが、段々テンポアップしていくんです。これはオーケストラではなく指揮者がヒートアップしてタクトが走っているのでは?と思います。宮前フィルハーモニー合唱団「飛翔」音楽監督だった昨年亡くなられた守谷弘が生前「かっこいい指揮をしようとしていたんだけど、そう振っているとわかりにくいと言われて随分と修行した」とご自宅で鍋を囲みながらお話されていたのを思い出します。もし指揮者の方で参考になれば。守谷弘は2つ振りで淡々と振っていくのがスタイルで、感情が湧き上がってくるとちょっとだけタクトが激しくなる感じでしたが、それでも打点だけはしっかりとしていました。その守谷弘も第2回定期演奏会モーツァルトの戴冠ミサを振ったとき、ゲネプロよりもテンポが速くて難儀したのですが必死に追いかけたことを思い出します・・・

今回、ホルンは全くひっくり返らなかったのですが、ホルンを考慮したのかもしれません。仮にそうだったとすれば、ゲネプロでのオーケストラとの関係性構築に原因があるのかなと思いました。素晴らしい演奏だったのでもう一段レベルアップすれば最高だったと思います。

さて、第4楽章。ティンパニも第1楽章から本当にぶっ叩いてくれますし、アグレッシヴな演奏。そこにオーケストラがまったくやせた音がないサウンド、アンサンブルでついていきます。歓喜の主題がコントラバスとチェロから奏され始める部分からは段々合唱団が立ち上がっていきます。これは面白い演出だと思いました。いきなり立つのが普通なのですが、まるでハイドンの「告別」の逆を見るかのように、段々合唱団が座った状態から立ち上がっていきます。そしてバリトン・ソロの直前で全員立ち上がり、バリトン・ソロ、男声合唱、そして歓喜の歌が始まります。この合唱も本当に美しい・・・まるでわ(以下自己規制)

韃靼人でも素晴らしい声楽を聞かせてくれたソプラノが入るとまるで天井の声のよう!力強いだけでなく本当に美しいんです。私が宇宿允人氏の指揮で歌った時の合唱指揮者も美しく歌おうと指導されましたが、どうやらそういった指導を合唱指揮がされたのでは?と思います。ソリストのうちアルトはなんとカウンターテナーなのですが、全く違和感なし!こんな編成、プロでは聴けません。これぞ若者の特権!ものすごい冒険ですがしかし結果はオーライです。

そして、私が常に問題にする、vor Gott!の部分。vor一拍につきGott!はなんと残響入れて9拍・・・はい、変態演奏です。しかし、府中市交響楽団さんの「府中市民第九」では残響がそれほどではないのに今回はまるで教会のよう。同じホールです。いやあ、それはそれで素晴らしい解釈です。

続くいわゆる「ナポレオンマーチ」の部分ですが、テノールソロいいわあ。力強く朗々と歌うソロは、まさに男声を引っ張るのに十分。それに応える男声合唱も力強く美しい。私も21歳、大学2年生(音大ではなく中央大学文学部史学科国史学専攻)で第九を初めて歌いましたが、これだけ上手には歌えませんでした。周りに助けられてやっとです。その後「飛翔」に入ってかわさき市民第九やいろんなところに助っ人に入って段々うまくなっていったという感じです。

そして、練習番号M。いやあ・・・喜びが満ち溢れているんです!力強いだけでなく、そこに美しさもあります。私は涙を自分の瞼にためながら、自分の中に喜びが湧き上がってくるのを感じます。ウン十年という時間は、本当に日本のアマチュアを成長させたなあと思います。

考えてみれば、彼らは入学後しばらくは対面で講義や授業を受けていないんですよね。そんな連帯へのあこがれが、彼らをして演奏に感情がこもったのかもしれません。その結果が力強くも美しい合唱につながったのかもしれません。まさに、一昨年仙台育英高校野球部監督の須江氏が、甲子園で語ったように、困難な時期を乗り越えてきたという経験が、表現に現われているように感じました。

特に、その後の「抱きあえ、幾百万の人々よ」以降の部分は、自分たちがしたくもできなかった、対面での「連帯」が今実現している喜びをかみしめたもののように聴こえます。ただ、男声はもうすこし声が太くても良かったと思います。女声はもう申し分ありません!ほとんどが初めて第九を演奏する、歌うというフェーズで、プロとさほど変わらない演奏ができるだけでももうあっぱれですから。

二重フーガ直前も本当にまるで星空から声が降ってくるよう。二重フーガも完璧!そのあとのソリストと合唱の部分も、かなりppからffまでダイナミックな部分ですが、しっかりと表現されており、気持ちが伝わってきます。抱きあえ、幾百万の人々よ!この口づけを全世界に!という部分こそ、ベートーヴェンが第九でいいたいところですよね?と語り掛けるよう。いや、その通りだと思います。実際、ベートーヴェンは第1楽章から第4楽章の練習番号Mまで一切トロンボーンを使わず長音符をあまり使っていませんが、そのあとの「抱きあえ、幾百万の人々よ!この口づけを全世界に!」からトロンボーンが登場し長音符が連続するんです。これは明らかにベートーヴェンが言いたいことなので強調している部分だと解釈できます。練習番号Mの部分の歌詞で批判する人がいますが、しかしそこがベートーヴェンの言いたいところではないと私は考えますが、同じ解釈であるのは嬉しいところです。

最後のプレスティッシモの部分も疾走しながらも歌詞をしっかりしゃべりつつ美し声楽にするというある意味高度なことをいとも簡単にやってのけるんですよね。いやあ、若いっていいなあ。聴衆も皆さん聞きほれて、残響を味わいながら万雷の拍手!

・・・とここで、ものすごいサプライズが。何が起こったかと言えば、実は、その拍手が、アンコールだったのです!え?どういう意味ですかって?いやあ、この団体、やってくれます。しれっと、アンコールを「演奏した」のです。それは、ジョン・ケージの「4分33秒」。

ジョン・ケージの「4分33秒」はよく演奏しないとされていますが、正確に言えば間違いです。私も演奏しないものと理解していたのですが、終演後、アンコールのかんばんを見て、写メを取りYouTubewrカコ鉄さんが運営するコミュニティに投稿したところ、ジョン・ケージはその場の音を演奏とみなすという作品なのですと指摘がありました。つまり、実は私たち聴衆がしていた拍手こそ、アンコール曲だったのです!

ja.wikipedia.org

あるいは、1プロと2プロの間だったのかも。実は椅子を追加するために1プロと2プロの間でオーケストラはいったんはけています。その時がアンコールだったのかもしれません。いずれにしても、ジョン・ケージの「その場の音を聴く」ということまでアンコールにするとは!今回1回だけでの演奏会で終わらすのはもったいないと思います。再び第九をやってもいいですし、他の曲にチャレンジしてもいいのでは?と思います。声楽を伴うのであれば、マーラーの「復活」やバッハの受難曲やロ短調ミサ、メンデルスゾーンの「エリア」や交響曲第2番「賛歌」、ショスタコーヴィチの「森の歌」などなど、聴きたい曲はやまほどあります。オーケストラだけなら、ショスタコーヴィチの「レニングラード」も面白そうです。オーケストラ・ダスビダーニャをはるかに超えるような素晴らしい演奏を、ベートーヴェンの第九で聴かせていただきました。終演後、東府中駅そばのファミリーレストランで食事をしましたが結構オーケストラの方たちが続々と集まってきていて、仲の良さも垣間見えました。今後もぜひとも、学生だけの演奏会を聴かせてほしいです!今回限りであったとしても、皆さんがプロなりアマチュアなりのオーケストラでご活躍されんことを!足をどんどん運びますよ!皆さんが今度は日本のクラシック音楽シーンをプロやアマチュアで盛り上げてください!いえ、必ず盛り上げると私は信じています!

もう一度言いますが、いやあ、若いって本当にいいですねえ。

 


聴いて来たコンサート
「学生の第九」
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲(アントン・ウェーベルン編曲)
「音楽の捧げ物」BWV1079から「6声のリチェルカーレ」
アレクサンドル・ボロディン作曲
歌劇「イーゴリ公」から「韃靼人の踊り」
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」
ジョン・ケージ作曲
4分33秒(アンコール)
八木麻友子(ソプラノ)
長谷川大翔(アルト、カウンターテナー
坪井一真(テノール
植田雅朗(バリトン
大森大輝指揮
学生の第九 オーケストラ・合唱団(合唱指揮:岡崎広樹)

令和6(2024)年2月28日、東京、府中、府中の森芸術劇場 どりーむホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。