かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:Carpe diem Philharmony 第4回定期演奏会を聴いて

コンサート雑感、今回は令和6(2024)年2月10日に聴きに行きました、Carpe diem Philharmony第4回定期演奏会のレビューです。

海外オケって聴きに行くんでしたっけ?という、ア・ナ・タ。海外オケは嫌いではないですが、そこまでの経済力は現在ありません。実は日本のアマチュアオーケストラなんです。カタカナ表記するとカルぺ・ディエム・フィルハーモニー。カルぺ・ディエムとは、古代ローマの詩人ホラティウスの詩の中にある「今日という日の花を摘め」から由来されているそうです。

www.carpediemphilharmony.com

「今日という日の花を摘め」。私にとっては実は毎日の課題でもあります。今日一日をいかに生きるのか。先行きが不透明で混迷さを極める現代社会において、いかに生きるべきなのかは、私だけではなく、恐らくすべての人にとっての命題とも言うべき事柄ではないでしょうか。今日一日を花に譬えて、その花を摘むように、日々の生活の中から美しいものを見出す・・・その精神は気高いものであると思います。見た目にはみじめかもしれませんが、仏教でいう蓮の花のように、泥沼であっても美しく咲けるのか。実は簡単そうに見えて難しいことではないでしょうか。

そんなテーマを掲げて活動しているのが、Carpe diem Philharmonyです。今回第4回の定期演奏会だそうですが、沿革を見ますと第2回が2度も新型コロナウイルスの感染拡大で流れています。その中で文字通りあきらめずに「今日という日の花を摘み」ながら第4回を迎えられたこと、まことにおめでとうございます。

さて、今回なぜ私がこのオーケストラを聴きに行こうかと思ったかと言えば、実はメインがベートーヴェンの第九だから、です。しかし、上記ページを見て不思議に思われたのではないでしょうか。ベートーヴェンの第九は年末にいやというほど演奏されている曲なので、べつに演奏機会が少ない作品ではないよね?と。しかし、以下のプログラムを見て、どう思われますか?

オール・ベートーヴェン・プログラム
①愛されぬ者の嘆息と相愛WoO.118
②奉献歌WoO.126
③合唱幻想曲作品80
④奉献歌作品121b第2稿
交響曲第9番作品125

このプログラム、そしてブックレットを見て、なるほど、第九成立の過程を俯瞰する演奏会か!と思いました。実はかつて、こんなプログラムを組んだクラシック番組がありました。その名は、NHKの「音楽の広場」。司会は芥川也寸志黒柳徹子。ある年の年末、N響第九の裏で「音楽の広場」の収録があり、その時に演奏されたのが実はベートーヴェンの第九で、しかも、関連する楽曲も紹介するということがあったのです。

www.nhk.or.jp

さらに、NHK教育(現在のEテレ)でベートーヴェンの第九を歌うという番組(趣味講座 第九を歌おう 講師:井上道義)があり、テキストに楽譜までついていたのですが、そこでも第1回の放送で同じく成立までに関連する楽曲を披露していたことがあります。以外にも、最近はそんな番組が減り、ベートーヴェンの第九が成立するまでにいろんな作品が存在し、作品125につながっていることはあまり知られなくなりました。この演奏会は改めて振り返る機会でもありました。

そして、もう一つ、この演奏会があることを知ったのはi mabileなのですが、その時実は、フィルハーモニカ―・ウィーン・名古屋のチケットを取っていたということも理由の一つです。そう、合唱幻想曲こそ、あまり演奏されない楽曲であり、その関連の曲もまた演奏が少ない作品。故に、Carpe diem Philharmonyさんは取り上げた、ということになろうかと思います。

ykanchan.hatenablog.com

今回のロケーションはミューザ川崎シンフォニーホール。かつて私もかわさき合唱祭りで舞台に立ったホールです。歌っても自分の声は返ってこないので、必死に周りの声を聴かないとアンサンブルを合わせられないですし、また発声もしっかりしていないと声は飛びません(故に、先日聴きに行った東京ユヴェントスフィルハーモニーは素晴らしいんです!)。

当日は、オーケストラの席はあるものの、まず広いホールにピアノとソリスト譜めくりの3人だけ。前半は歌曲と合唱幻想曲だからです。歌曲は「愛されぬ者の嘆息と相愛」WoO.118と奉献歌WoO.126。その曲順で行くかと思いきや・・・何度聴いても奉献歌が出てこない。あとからYouTubeで復習してみると、どうやら当日はシャッフルして、「愛されぬ者の嘆息」、「奉献歌」、「相愛」の順で演奏したようです。番号はWoO.118でまとめられているんですが、実際には二つの曲からなりそれぞれは独立しています。そのため、わざとシャッフルしたものと思われます。おそらくですが、まとめられているとはいえ、それぞれ独立の歌曲として扱ったのだと思います。「相愛」のある旋律は実は、そのあと演奏される合唱幻想曲に旋律が転用されているのです。

pietro.music.coocan.jp

最後に演奏されれば、その関係性が分かりやすいため、このようなプログラムにしたのではと思います。ブックレットには記載が一切なく、特に奉献歌は聞いたことがなかったため、「あれ?曲が飛ばされた?」と思いましたが、そうではなくシャッフルされていたのです。

そして、合唱幻想曲。ピアニストは歌曲とは変わり(歌曲のピアニストはなんと団長さん!)、ソリストはそのままテノールとして入りました。堂々としたピアノで始まり、テンポも比較的速めでありつつもどっしりとしており、まさに芸術を讃える曲らしい荘厳さが随所に表現されています。気になったのは管楽器が音の最後の処理がやや単調。弦楽器のほうが素晴らしく、ほとんどアマチュアらしいやせた音が散見されません(これは第九でも同じでした)。しかし全体的には引き締まったものになっており、情熱的な演奏。そして、ソリストの後の合唱を聴いて腰抜かしました!なんとふくよかで力強い合唱!

音が塊で飛んでくるのではなく、まるで包み込むよう。それをです、実は30人ほどの合唱団でやってしまったんです!合唱団もプロではないです、実はCarpe diem philharmonyさんはオーケストラと合唱団とが一緒の団体です。なのでどっちもアマチュアなんです。30名ほどしかないアマチュアが、自分の声が返ってこない状況下で、これだけのレベルをたたき出すとは!いやあ、脱帽です。同じホールで歌ったことがあるからこそ、これはもう称賛を贈る以外ありません。プロなら当たり前でしょう。しかし、目の前にいるのはアマチュアなんです。実は最後はソリストも合唱団と共に歌っていたのですが、それでもプロのソリストの声と溶け合っているんです。合唱をやられている方なら、このレベルの高さはわかっていただけるのではと思います。

後半は、まずは奉献歌作品121b。これはWoO.126を管弦楽伴奏へと編曲したもの。

ontomo-mag.com

マッティソンはベートーヴェンが生涯愛した詩人。歌詞は以下。

franzpeter.cocolog-nifty.com

内容的には、合唱幻想曲にも通じるものがあり、ベートーヴェンの芸術観が垣間見えます。詩の後半、自由の盾となり、ゼウスに捧げるという文言はまさに合唱幻想曲を想起させますし、そしてその精神はそのまま、第九へと受け継がれます。

ゆえに、第九とこの曲を後半に持ってきたと考えていいでしょう。日々の悩みや苦しみの中でも、美しいものへのあこがれは捨てない・・・後半生では甥カールの件で散々なことをやらかしたベートーヴェンですが、芸術の高みへ昇ることは決してあきらめませんでした。その生涯と団員達一人一人が新型コロナウイルス感染拡大で経験した不自由とがオーバーラップしたのか、随所にオーケストラが指揮よりも走りがちな部分が散見されました。その都度修正はされるのですが、しかしまた発生の繰り返し。かなり気持ちが前に行きすぎてしまっている印象を受けました。その点は、フィルハーモニカー・ウィーン・名古屋のほうが安定していたように思います(ただ、合唱幻想曲は私はCarpe diem Philharmonyのほうがよかったです)。もうすこしタクトをしっかり見てほしいなあと思いつつも、コンサートミストレスボウイングは見ていると思いました。さらに伸びしろがありそう。響きもアマチュアの中では最高峰と言ってもいいですし。

第4楽章に入って、合唱が入りますと、ちょっとオケに力負けしているかなと思う部分もあるのですが、恐らく倍管になっていることが原因だろうと思います。初演時を意識したそうなのですが、なるほど、合唱団が奉献歌よりも減ったのですがそれが理由かあと思いました。ということは、現在定着している編成は実に演奏者たちの工夫が受け継がれてのものなのかが分かります。ですが一方で合唱団がしっかりとオーケストラの一部として機能しているようにも感じました。合唱はとにかく美しいです。聴いていて、宇宿允人氏の指揮により蒲田のアプリコで歌った経験がよみがえります。あの時の合唱指揮者はことさら美しい合唱を目指すといい、それが現実になったときのすばらしさは今でも覚えています。合唱指揮は誰だったんだろうと帰ってからブックレットを見ましたら、どうやら歌曲と合唱幻想曲のテノールソリストである加藤楓也氏のようです。歌詞が口語体で歌われているのも好印象。

第4楽章の私が常に気にする、vor Gott !の部分、vor1拍に対しGott !は6拍+残響1秒。・・・変態演奏です。しかし、むしろそれが自然だと思えました。第4楽章を聴いているうちに、指揮者が結構テンポを揺らすことに気が付き、オーケストラは気持ちが先に行きすぎて追い付いていないと判断しました。なのでやはり、タクトをよく見てほしいなあと思いました。仮に指揮者の指示通りに演奏できていたとすれば、本当に物凄い名演になっていたと思います。合唱が入ったところでも同じような現象が起きていましたが、そこからはあまり見られなかったので、やはり第九という曲は合唱団にオーケストラが引っ張られる力を持った曲だと思います。私自身、歌っていた時は責任感を感じて歌っていたのを思い出します。オーケストラがたとえ不調でも、合唱団が入ったとたん覚醒するというパターンは何度も経験済みです。

最後のプレスティッシモが終ったとたん、ブラヴォウ!がかかるなんざあ、下手すれば「残響を味わせてくれよ」と突っ込みが入るところですが、私自身は素晴らしい演奏で感動していたのでしょうがないかなと思います。演奏者の想いがひしひしと感じられ、美しくも力強い、しなやかな第九を聴かせてもらいました。いやあ、この団体、ちょっと継続して聴きたいですね!どこまで伸びるのか、本当に楽しみです!もっと伸びると思います。5月にフィリアホールで演奏会があるみたいですが・・・今のところ、フィリアホールに予定が反映されておりません。フィリアも私が宮前フィルハーモニー合唱団「飛翔」にいた時第2回定期演奏会で使ったホールです(メインはモーツァルトの戴冠ミサ)。そのホールで今度はバロックの作品ということなので、反映されればできれば聴きに行きたいですね。

 


聴いて来たコンサート
Carpe diem Philharmony 第4回定期演奏会 創立5周年記念公演
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
愛されぬ者の嘆息と相愛WoO.118
奉献歌WoO.126
合唱幻想曲作品80
(ピアニストアンコール:ピアノ・ソナタ第16番第1楽章)
奉献歌作品121b第2稿
交響曲第9番ニ短調作品125
三代川奈樹(ソプラノ)
臼井里栄(ソプラノ、合唱幻想曲)
石田鈴音(アルト)
堀越俊成(テノール
加藤楓也(テノール及び合唱コンサートマスター、「愛されぬ者の嘆息と相愛」、「奉献歌」、合唱幻想曲)
山口義生(バリトン
清水醍輝指揮
Carpe diem Philharmony

令和6(2024)年2月10日、神奈川川崎、ミューザ川崎シンフォニーホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。