かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ベートーヴェン 栄光の瞬間・合唱幻想曲

神奈川県立図書館所蔵CD、今回はベートーヴェンの演奏機会の少ない合唱作品を収録したものをご紹介します。ちなみに、これはベートーヴェン全集からのものです。

収録されているのは、カンタータ「栄光の瞬間」作品136、合唱幻想曲作品80の二つです。

コアな読者の方であれば、合唱幻想曲は以前取り上げているでしょ?と指摘されることでしょう。その通りです。「マイ・コレクション」で、サー・コリン・デイヴィス指揮バイエルン放送交響楽団のものを取り上げています。

マイ・コレクション:ベートーヴェン ミサ・ソレムニスと合唱幻想曲
http://yaplog.jp/yk6974/archive/445

実は、この上記エントリでご紹介したCDを買った時、本当に欲しかった演奏は、今回取り上げます演奏なのです。なぜならば、この曲に出会ったのはまさしく、今回取り上げます音源の演奏が行われた、ベルリン・フィルのジルベスタ―コンサートだったからです。

何年かはもう忘れてしまいましたが、ジルベスタ―であることは間違いありません。多分、1991年だと思うんですが・・・・・

もっとさかのぼれば、合唱幻想曲の存在を知ったのは、NHK教育で放送された「第九を歌おう」です。その時から、合唱幻想曲にも興味を持っており、一度聴いてみたいと、それは高校生の時から思っていたのです。それが実現したのが、この音源のジルベスタ―コンサートだったのです。

そこから、ベートーヴェンの合唱曲への興味が沸いてきまして、以前ハ長調ミサなどを取り上げています。

今月のお買いもの:ベートーヴェン ミサ曲ハ長調
http://yaplog.jp/yk6974/archive/961

今月のお買いもの:モダン演奏のベートーヴェンミサ曲ハ長調
http://yaplog.jp/yk6974/archive/994

こういった作品のCDを買ってくるのには、この県立図書館の音源の存在がありました。

さて、まず1曲目の「栄光の瞬間」は、あまり説明されているものがなくて困るのですが、ネットでは以下のサイトがかろうじて見つかりました。

ベートーヴェンカンタータ
http://kirakuossa.exblog.jp/16020309/

1814年なので、実は中期の作品になるわけなんですが、ウィーン会議のためというのがとても重要なファクターになっているように思います。この曲、実に「エグモント」に似ているんです。

エグモント (劇音楽)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B0%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%88_(%E5%8A%87%E9%9F%B3%E6%A5%BD)

この時期のベートーヴェンの政治への関心がよく分かるように思います。さらに、この相似は、ミサ・ソレムニスへも続いていきます。

歌詞が分かればもっとはっきりと言える部分もあるかと思うんですが、こういったベートーヴェンの作品のキーワードの一つに、私は「抑圧への抵抗」があると思っています。それは、ベートーヴェンの生い立ち、酒浸りの父からの抑圧、彼自身が長男として家族を養っていくために作曲家と言う道を選んだという自分自身での抑圧など、所謂「機能不全家族」出身故の、問題意識だと思います。

宗教曲以外のベートーヴェンの合唱曲は、殆どの作品が何らかの形で政治が絡んでおり、そのキーワードが圧制への抵抗であるのはすでに明らかなことですが、なぜそればかりを取り上げるのかという点は、やはり臨床心理の側面から見ないと理解しがたいように思います。そしてその視点で見ればそれが、人間関係における「抑圧への抵抗」、或は「抑圧からの脱出志向」なのではないかと思います。

そして、珍しく抑圧というキーワードがない作品が、2曲目の合唱幻想曲であるわけです。確か記憶が確かならば、以上のウィキの項目で触れられているアバドの演奏と一緒に演奏されたのが、この音源だと思いますので、1991年12月31日ではないかと推測しているわけなのです。

VHSを見ればすぐわかる話なんですが、いやあ、もう怪しいですよ、動くかどうか・・・・・

VHSに録画して、その演奏こそ欲しいと思ったものが、意外なところで手に入るものです。「買う」という行為を手放したら、「借りてデータを保存する」という方法で手に入れることが出来たのですから・・・・・そこに、ベートーヴェンの性質を物語る作品までついてきた・・・・・

それは、自らの内面をも、見つめることになりましたが、そこまで語るとながーくなりますので、それはまた別の機会にしたいと思います。

「栄光の瞬間」はチョン・ミュンフンの指揮ですが、古典派的なキビキビとしたテンポと、緩徐楽章と急楽章の切り替えがいいアクセントになっていて、カンタータとしてはドラマティックになっています。さらに言えば、「栄光の瞬間」はカンタータとはいえ、バッハの時代のものと言うよりはむしろ非常にメンデルスゾーンに近く、ベートーヴェンは「オリーヴ山上のキリスト」ではできなかったことがこの作品ではやれているということになりますが、チョンの解釈はとても自然で、ベートーヴェンの時代というものをはっきりと示してくれているとともに、ドラマティックかつダイナミックさを失っていません。

それ故、私たちを様々な地平に連れて行ってくれます。

合唱幻想曲は言うまでもなくアバドなのですが、これも古典派的な演奏です。しかし、作品はロマン派的で、頂点は最後合唱が入る部分なのです。それ故、第九のひな形とも言われるわけなのですが、アバドは最初からぐいぐいと聴衆を音楽の世界へ引き込んでいきます。ベルリン・フィルのはっきりとシャープなアインザッツも相まって、音楽とともに私たちも芸術の高みへと登って行くようです。

こういった演奏は本当にいいですねえ。いい気分にさせてくれます。

やはり酔うんだったら、芸術です。それ以外は・・・・・ご遠慮させて頂きます。




聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
カンタータ「栄光の瞬間」作品136
ピアノ、合唱、オーケストラのための幻想曲(合唱幻想曲)ハ短調作品80
リューバ・オルコナソーヴァ(ヴィエンナ・ソプラノ「栄光の瞬間」)
イリス・フェルミッリオン(女預言者メゾソプラノ「栄光の瞬間」)
ティモシー・ロビンソン(守護神、テノール「栄光の瞬間」)
フランツ・ハウラタ(民衆の指導者、バス「栄光の瞬間」)
コーロ・ディ・ヴォーチ・ビアンケ・デッラルクム(合唱指揮:パオロ・ルッチ「栄光の瞬間」)
ローマ聖チェチーリア音楽院合唱団(合唱指揮:ノルベル・バラチュ「栄光の瞬間」)
チョン・ミュンフン指揮
ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団(「栄光の瞬間」)
エフゲニー・キーシン(ピアノ、合唱幻想曲)
チェリル・ステューダー(ソプラノ1、合唱幻想曲)
クリスティーナ・クレメンツ(ソプラノ2、合唱幻想曲)
カミーレ・カパッソ(メゾ・ソプラノ、合唱幻想曲)
ジョン・オーラ―(テノール1、合唱幻想曲)
大島博(テノール2、合唱幻想曲)
フリードリヒ・モルズバーガー(バス、合唱幻想曲)
リアス室内合唱団(合唱指揮:マーカス・クリード)(合唱幻想曲)
クラウディオ・アバド指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(合唱幻想曲)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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