今月のお買いもの、ようやく6月に購入したものをご紹介することができます。まずは、ベートーヴェンの2人の皇帝のために作曲されたカンタータを中心にした、ベートーヴェンのオーケストラ伴奏の合唱曲集です。
日本では合唱曲といいますと、地味な存在なのですが(曲が地味という意見すらあります)、古典派以降のオーケストラ伴奏の合唱曲に関しては、その指摘は必ずしも当たらないように思うのです(例えば、ブルックナーのテ・デウムのように)。
特に、ベートーヴェンの合唱曲は決して地味とは言えません。その代表がミサ・ソレムニスですし、また交響曲ではありますが第九だったりするわけです。このアルバムでは、その二つよりもさらに早い、ベートーヴェンがボンに居た時に作曲された二つのカンタータを中心に、晩年の二つの作品と比較しながらベートーヴェンの合唱曲を俯瞰できる内容となっています。
それにしても、ラインナップは日本でもあまり知られていない作品がまず並んでいます。1曲目は皇帝ヨーゼフ2世葬送カンタータ、そして2曲目が皇帝レオポルト2世戴冠式カンタータです。共に1790年に作曲されています。どちらともベートーヴェンの生前には演奏されなかった曲です。ベートーヴェンが個人的に作曲したものであるといわれ、公的なものではなかったのがその理由のようです。
通常、この手のカンタータであれば行事で使われますから、当然ですが各々の行事における演奏記録が残っているはずですが、それがないということは、ベートーヴェンが私的に作曲し、後から献呈したということになろうかと思います。このCDは輸入盤で、解説にはそこまで突っ込んだ説明が書かれていないようなので詳しくはわかりませんが、公式に要請があってということでない限りは、こういった「機会作品」はそのままお蔵入りするのが通常です。
バッハのカンタータですら、世俗カンタータや教会カンタータでそういったものは枚挙にいとま在りません。ですので、生前に演奏されなかったということは、この二つのカンタータは明らかに公的にオファーが来たものではなく、ベートーヴェンが私的に献呈したものであったということが明らかでしょう。
カンタータという名称がついていますが、だからと言ってバッハのカンタータとはちょっと様子が異なります。しかし、構造的には一緒です。「音」がバロック的ではなく古典派であるだけです。レチタティーヴォがあって、その後アリアや合唱が来るという形です。しかし、レチタティーヴォはかなり音楽的であり、後年の「オリーヴ山上のキリスト」を彷彿とさせます。
そう、この二つの作品は1790年の作品でありながら、「傑作の森」以降の作品を予感させる、いやすでにその内容を兼ね備えているのです。そんな作品がWoO番号になっているのは、間違いなく生前演奏されなかったということが大きいのでしょう。
しかし、この二つの作品は決して日の目を見なかったわけではありません。私たちも他の作品でその一部を見ることができます。たとえば、皇帝ヨーゼフ2世葬送カンタータは一部が「フィデリオ」のフィナーレ「神よ、何と言う瞬間」に転用されていますし、解説では皇帝レオポルト2世戴冠式カンタータの一部は第九の「想像主にひれ伏すか、人々よ!」の部分の大元となっているのではないかと問題を提起しています。第九の問題はあるとして、彼自身、この二つに愛着と自信を持っていた証拠だといえましょう。
音楽史的に眺めてみますと、葬送カンタータはチェンバロも使われておりモーツァルトまでの時代の伝統に即した作曲であり、一方戴冠式カンタータは一転、「オリーヴ山上のキリスト」そのものと言ってもいいくらいの新しい音楽に満ちています。それが全く同時期に作曲されているのが、とても興味深いことだと思います。その解説はないんですが、恐らくヨーロッパの方であれば、その歴史で大まかには理解できるので端折っているだと想像できます。それを理解するに適当なサイトがありました。
ハプスブルク家と音楽(10)
http://homepage3.nifty.com/classic-air/feuture/fueture_55.html
ボンを収めていたのがマリア・テレジアの息子でヨーゼフ2世の弟であったマクシミリアン・フランツで、彼はとても進歩的な君主でした。それはヨーゼフ2世以上であり、ベートーヴェンの一家は彼によっていろんな機会が与えられたと言っても過言ではないですし、むしろ、彼の存在がベートーヴェンにとっては大きかったのではと私は思います。フランス革命後のヨーロッパというその「時代」だけでなく、こういった「君主」がいた、つまり、新しい体制に対して順応していこうとする人が国のトップにいたということこそ、愛国心があったベートーヴェンにとってとても大切なファクターだったのではと思うのです。
そう考えますと、この二つのコントラストはとてもよくわかります。たんなる「生と死」ではありません。この二つの作品は、ベートーヴェンの時代感覚を表現したものであったと考えるのが適当ではないかと思います。進歩思想がさらに進んでいくという、ベートーヴェンの期待・・・・・
しかし、それは期待通りにはいきませんでした。
レオポルト2世 (神聖ローマ皇帝)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%882%E4%B8%96_(%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D)
レオポルト自身は、私はとても不幸な皇帝であったと思っています。進歩的思想を持っていながら、統治としては後退させねばならない現実・・・・・みずからは質素な生活をし、いまの日本であればいい君主として迎えられたと思うのですが、しかし彼が生きた時代はドラスティックすぎ、統治がとても難しい時代であったことがとても不幸であったと思います。あるいは、優しすぎたのか・・・・・兄以上に強力、あるいは強烈に自らの進歩主義を政策として推し進めることができたならば、歴史は違っていたでしょうが、実際には「アンシャン・レジーム」の台頭を許さずを得ず、やがて即位後2年で死去し、保守的なフランツ2世の御代を迎えることとなり、それはベートーヴェンの晩年、第九の作曲において秘密警察からの監視を受けることに繋がっていくのです。
その監視がきつくなった時代の作品が、二つのカップリング曲です。第3曲目として収録されているのが奉献歌作品121bです。もともとは室内楽アンサンブルに4声ソリストと合唱という編成だったものを、オーケストラとソプラノ、合唱という編成にベートーヴェン自身が編曲したものです。その歌詞は自由を求めるものでありながら、音楽はとても穏やかなものとなっています。それがなぜなのかを考える時、やはり時代を考えざるを得ません。
さらに最終曲である「静かな海と成功した航海」は、ゲーテの二つの詩のコントラストを際立たせることを目的として作曲された作品です。そこには逆に自由などは言葉の中にありません。しかし、海上にでてしまえば陸上の権力が及ばない(当時はです。現在でも公海上は基本的には国際法のみが適用されます。さらに言えば、ゲーテ自身もそうったことを念頭において詩を作ったのではないかと思います)ことを考えると、恐らくベートーヴェンはそれを知っていたと私は思います(彼は数学は苦手でしたがボン大学の聴講生でした。その上でゲーテとの交友を考えればそれが自然です)ので、この曲も自由を扱った作品とみていいのではないかと思います。『海上の凪』の部分をまるで序奏風にして、『成功した航海』の部分を本体として、全体的にドラマティックな作品に仕立てています。
静かな海と楽しい航海 (ベートーヴェン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E3%81%8B%E3%81%AA%E6%B5%B7%E3%81%A8%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%84%E8%88%AA%E6%B5%B7_(%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3)
このCDはモダンの演奏なのですが、それが実に安心して聴いていられます。全体的なバランスがとてもよく、しかもppからffまでの表現力が本当に素晴らしい!合唱団も同様に表現力が豊かで、特に前半の二つのカンタータの魅力を聴き手に気付かせるに十分な役割を果たしています。それはおそらく、このエントリでご紹介したような背景を、十分に知ったうえで実力があるからに相違ないでしょう。
聴いているCD
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
皇帝ヨーゼフ2世葬送カンタータ WoO.87
皇帝レオポルト2世戴冠式カンタータ WoO.88
奉献歌(Opferlied)「炎は燃え」Op.121b
カンタータ「静かな海と楽しい航海」Op.112
ジャニス・ワトソン、ユディス・ホワース(ソプラノ)
ジャン・リグビー(メッゾ・ソプラノ)
ジョン・マーク・アインズレイ(テノール)
ホセ・ヴァン・ダム(バス)
コリドン・シンガーズ
マシュー・ベスト指揮
コリドン管弦楽団
(Hyperion CDA66880)
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