かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:シューマン ピアノ作品全集3

今月のお買いもの、もう7月なのに、6月分の3つ目としてシューマンのピアノ作品全集をシリーズで取り上げています。今回は第3集です。

収録されているのは、作品番号で収録順に、作品11、作品5、作品4です。

まず作品11ですが、ここでようやく「ピアノ・ソナタ」の登場です。

ピアノソナタ第1番 (シューマン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E7%AC%AC1%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3)

シューマンはピアノ・ソナタを3曲書いていますが、その栄えある第1作目です。まあ、力入っています・・・・・

本人が出来を自己批判した作品とは言え、現在ではピアニストのレパートリーに数えられるものになっています。全体的には、幻想的という表現が適切かなあと思います。第1楽章のわかりやすい旋律で聴衆の心をつかんだかと思えば、第2楽章は瞑想的でかつ哲学的な、静かな音楽が鳴り響きます。

その後は、明るくいきいきとした音楽なのですが、その一方で何かふと影があるような旋律が第4楽章に入ると聴こえてきます。

作曲当時、ピアノ・ソナタと言えばベートーヴェン。その影を感じないわけではなかったでしょうが、あくまでもシューマンは自分の音楽を貫き通します。こういうところは、私などは尊敬してしまいます。

シューマンシューマンであって、ベートーヴェンではないからです。ベートーヴェンが自分の音楽を貫き通して気高く荘厳なピアノ・ソナタを書いたように、シューマンシューマンらしい、哲学的でかつ幻想的な音楽を書いたのです。

次の作品は「クララ・ヴィークの主題による即興曲」作品5。ブックレットには単に即興曲とだけあるのですが、この作品を書いた当時、後に妻になるクララと交遊があったことが分かります。そもそも、シューマンは妻クララの音楽の最大の理解者であったといえます。

クララ・シューマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3

いや、既にキャリアはクララのほうが上だったのです。だからこそ、シューマンは彼女の作品をモティーフに、自分の作品を書いたのでした。

神奈川県立図書館所蔵CD:クララ・シューマンピアノ作品集
http://yaplog.jp/yk6974/archive/781

実は、この全集を買おうというきっかけは、上記このエントリを立てた時から始まっています。できれば、クララの作品集も欲しいと思っているんですが・・・・・ブリリアントにあったと思いますが、現在、銀座山野楽器はブリリアントのコーナーを亡くしているので、ピアノ曲のコーナーに果たしてあるかどうか、です。

実はこの作品5、この全集では2つの音源が収録されていますが、調べてみますと、改訂版が1850年に出ています。ただ、改訂は実は其れ以前にも作曲された翌年の1833年に行なわれています。ただ、それはあまり変化がなかったようなので、その1833年のものを第1稿とし、よく演奏されるのは1850年改訂版であるようです。

Clara & Robert Schumann Piano Works
http://clara-schumann.net/cd/cdex111.html

シューマン : クララ・ヴィークの主題による10の即興曲
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/1795/

恐らく、この第3集で演奏されているのは1850年改訂版だと思います。それ以前の版はまた、その時にご紹介しましょう。それにしても、ここでもシューマンは二重構造なのですね。右手はクララ、左手はシューマン・・・・・

まさしく、「ダヴィッド同盟」そのものなんですよねえ。ここまで見ますと、この全集の編集方針は、まず前半でシューマンの作品の特徴を、とことんご紹介というものであると思います。特に、「ダヴィッド同盟」で二人の哲学者が論争するような構造が、シューマンの音楽なのである、という・・・・・

その上で、最後が「6つの間奏曲」作品4なのです。

シューマン : 6つの間奏曲
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/4953/

上2つほどの複雑な構造は持ちませんが、和声で初恋の相手を表現するなど、シューマンが作曲においてよくつかった技法がここでも使われています。

つまり、ちょっと意を決して調べさえすれば、シューマンのピアノ作品の作曲における特徴というものが、手に取るようにわかる編集になっているということなのです。実際、シューマン自身はこんな作品ばかり書いているわけではありませんが、ブラームスと介して、その後シェーンベルクなど12音技法や新古典主義音楽でも使われる技法を確立したのが、シューマンであったとも言えるわけです。

ここから、演奏は天衣無縫で、生き生きよりはむしろのびのびとしたものになっています。シューマンの作品は病的とも言われますが、そんなことなどどこ吹く風で、勢いと情熱が、時には嵐として、時には凪として私たちに迫り、哲学的作品が、聴衆には幻想的で爽快で、知的好奇心を満たしてくれるものであることを、十二分に語ってくれています。

交響曲シューマンのイメージからはがらりと変わって、まるで別人のような音楽に聴こえるのは、ピアニストの技量のせいなのでしょうか。ピアニストはただ、楽譜に忠実に向かい合っただけなのでしょうが、私には演奏から新しい音楽を切り開こうと言ういきいきとしたパイオニア精神を、徹頭徹尾感じるのです。




聴いているCD
ロベルト・シューマン作曲
ピアノ・ソナタ第1番嬰ヘ短調作品11
クララ・ヴィークの主題による10の即興曲作品5(1850年改訂版)
6つの間奏曲作品4
ヨルグ・デムス(ピアノ)
(Arioso ARI107-3)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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