かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

音楽雑記帳:ガーディナーとオルケストレル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティクのベートーヴェン交響曲全集の中での「第九」の演奏とは

音楽雑記帳、今回は4回シリーズで取り上げてきました、小金井市立図書館のライブラリである、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮オルケストレルレヴォリュショネル・エ・ロマンティクの演奏によるベートヴェンの交響曲の全集、その最後として、今回は第九を取り上げるわけですが、第1集を取り上げた時にも述べましたが、これはすでに私はCDで持っております。

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ですので、図書館でもこれは借りてきていません。ちなみに、この全集は交響曲だけでなぜか収まっておりませんで、最後にミサ曲ハ長調が収録されているのが特徴です。それも実はすでにエントリを立てております。

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つまり、私はこの全集の最後の2つからアプローチしたということになります。さて、その全集の残りを聴いての、現段階で私が第九の演奏をどう感じているかが、今回のテーマになります。

今回は、上記の第九のCDをflacリッピングして、Tune Browserで192kHx/32bitリサンプリング再生で聴いてみました。これが、結構面白い結果になりました。エントリを立てた当時よりは、評価が上がったのです。

第1楽章は速さだけが目立つのではありますが、一方で荒々しさが強調されているとも言えます。まるで闘いです。ただ、そのとにかく古楽的な速さというのは、第2楽章以降目立たなくなるのです。

総演奏時間は59分44秒。演奏時間としては、十分快速すぎるほうです。なのに、全体的にはそれほど快速に感じません。「運命」の時のような、速いだけだよねって印象がないんです。

その理由は、恐らくですが、ベートーヴェンがそのように作曲した、という点が大きいのでは?という気がします。実は、第九という曲は、リズムが特徴的な作品でもあります。第2楽章や第4楽章が顕著ですが、フランス風のリズムがそこかしこに仕組まれています。

そのため、どんなに速く演奏しようとも、どこかで妨害されるような効果を持っています。いうなれば、道路で車が速く走れないようにあえて凸凹を作って歩行者保護を図っているような。

そのうえで、演奏もどこかで必ずアクセントをつけていたり。「運命」の時や「英雄」の時とはまるで異なります。おそらく、ガーディナーベートーヴェンという作曲家の「底深さ」にあえいでいたのではないかという気がします。だからこそ、明らかに古典派的な作品は古楽的アプローチが成功しつつも、片足をロマン派に突っ込んでいるような、第6番以降の作品や、その萌芽とも言える「英雄」や「運命」はどこかバランスが悪い演奏になったのでは?と推理しています。

その中で、第九も下手すればバランスが悪くなるはずのところを、開き直ってロマン派的なアプローチに触れているため、それほどバランスが悪くないのだと思います。第1楽章も、速いテンポだけのように聴こえてしまう部分もありつつも、アクセントをつけることに振り切っている様子も感じられ、それほど悪い印象を持たないのだろうと思います。

恐らく、ガーディナー自身が、なぜオルケストレルレヴォリュショネル・エ・ロマンティクというオーケストラを立ち上げたのか、分からなくなっていたような気がします。バロック時代とは異なる古楽団体として位置付けながらも、どこかバロック的なアプローチから抜け切れていないような気がします。

一方で、バッハ・コレギウム・ジャパンは明らかにバッハの時代の楽器を基準としているにも関わらず、違和感がないのは、恐らく鈴木雅明音楽史を俯瞰できる才能をしっかり持った指揮者であるからと言えるのかもしれません。第九に二重フーガが存在するように、実はバロックからの伝統を受け継いだ作品ですが、そのバロックの遺産を古典派絶対音楽の中で再定義した作品でありつつも、片足をロマン派に突っ込んでいる作品でもあることを、しっかり認識していた、ということになるかと思います。いうなれば、ガーディナーはある意味、端的に時代を分けすぎた、ともいえるでしょう。

では、この演奏は無駄だったのかと言えば、私はそうではないと思います。この録音があったればこそ、そのあとにできた古楽団体は、その批判精神でさらなる高みへと登ったのですから。特に、バッハ・コレギウム・ジャパンはその批判精神をもって、今や古典派だけでなくロマン派も演奏し始めていると言っていいでしょう。

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このバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏の基礎となったのが、ガーディナーとオルケストレルレヴォリュショネル・エ・ロマンティクの演奏だったとすれば、決して無駄ではなかったと言えるわけなのです。パイオニアというものはいつの時代も、初めから成功するわけではなく失敗も繰り返します。その失敗を糧に、さらなる高みへ昇るものです。ちょうど、H3ロケットが打ちあがったように。

今後の各古楽団体の演奏も、期待が膨らみます。

 


聴いているflac
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」
リューバ・オルゴナソーヴァ(ソプラノ)
アンネ・ソフィー・フォン・オッター(メッゾ・ソプラノ)
アントニ―・ロルフ・ジョンソン(テノール
ジル・カシュマイユ(バス)
モンテヴェルディ合唱団
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮
オルケストレルレヴォリュショネル・エ・ロマンティク

(ARCHIV UCCA-3169) 

※Tune Browserにて192kHz/32bitにリサンプリングして再生

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