かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:マリー=クレール・アランのバッハ・オルガン作品全集5

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、マリー=クレール・アランが弾くバッハのオルガン作品全集を取り上げていますが、今回はその第5集です。

この第5集では、第4集に引き続き「バッハの青年時代と初期の音楽体験」と題されています。主にコラールから題材がとられている作品が多く並んでいます。

そのうえで、のちにバッハがカンタータで使う作品も多くみられます。例えばコラール「キリストは死の縄目につながれたり」BWV695(カンタータ第4番)やフゲッタ「全能の神に讃美あれ」BWV704(カンタータ第191番、ミサ曲ロ短調)がそれです。

バッハのオルガン作品は、多くの作品の基礎となっていることが多いのが特徴でもありますが、この第5集では有名な二つが収録されているだけでもその特徴がわかるようになっているうえで、アランの自在なとらわれのない演奏が作品それぞれに生命を吹き込んでいるように感じます。

のびやかで、明るく、かつ荘厳なのにどこか暖かい・・・・・人間的な部分を感じることが多いのです。圧倒的音などどこへ行ったのでしょうか?いえいえ、そういう演奏をしている作品だってあります。この第5集で言えば第1曲目のBWV549がそうです。けれどもここでも演奏はそんな圧倒的一本やりではなく、繊細な演奏もしっかりとあり、その対比がまるでダンジョン。いつしか一緒の世界にいるかの錯覚を起こします。

ともすればこのアランのほうが外形的で、カラヤンがかすむくらいですが(むしろカラヤンはそっけないというのが私の印象です)、その外形的なものがまさかの人間味を表す道具になっているという!そうなると、外形的であるということよりも、作品に対してどんな想いを自分が持っているかの内面が問われるといっていいんじゃないでしょうか。内面がなければ単になぞるだけで終わってしまいますし、どんなに外形がくっきり浮かび上がっても「魂」からの発露があれば自然と精神性が宿っていく・・・・・

そんな過程を、アランの演奏でみせつけられているように思います。




ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
プレリュードとフーガ ハ短調BWV549
コラール「主イエス・キリストよ、われらを顧みて」BWV709
コラール「いと尊きイエスよ、われらはここに集いて」BWV706
コラール「主なる神よ、われを憐みたまえ」BWV721
コラール「尊き御神の統べしらすままにうつろい」BWV690
コラール「尊き御神の統べしらすままにうつろい」BWV691
コラール「キリストは死の縄目につながれたり」BWV695
プレリュード(ファンタジー)とフーガ ハ短調BWV537
パルティ―タ「キリストよ、汝真昼の光」BWV766
フゲッタ「キリストを われらさやけく頌め讃うべし」BWV696
フゲッタ「讃美を受けたまえ、汝イエス・キリストよ」BWV697
フゲッタ「主イエス・キリスト、神の独り子」BWV698
フゲッタ「いざ来ませ、異邦人の救い主」BWV699
フゲッタ「高き天よりわれは来たれり」BWV701
フゲッタ「神の子は来たりたまえり」BWV703
フゲッタ「全能の神に讃美あれ」BWV704
コラール「高き天よりわれは来たれり」BWV700
フーガ ロ短調コレッリの主題による)BWV579
ファンタジア「イエスよ、わが喜び」BWV713
コラール「われは汝に依り頼む、主よ」BWV712
マリー=クレール・アラン(オルガン)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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