神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、マリー=クレール・アランが弾くバッハのオルガン作品全集を取り上げていますが、今回はその第6集です。
この第6集は「オルガンの哲人バッハ」と題されており、最も多くを占めるのが有名な「クラヴィーア練習曲集第3部」です。
それ以外にも、プレリュードとフーガBWV547も、アランは歌うように演奏しており、それはクラヴィーア練習曲集でも一緒。ともすればもう少しアインザッツがあって感情を込めたほうがいいんじゃないかなあと思う部分もあるんですが、かといってそれは全体を否定するだけの材料にはなりません。
とにかく歌うアランのオルガン。その「歌」が自然と私たちの魂を満たしていく・・・・・素敵なことです。アインザッツの強弱というのはあくまでも感情を表現するための方法の一つでしかないですから。
こういう点でも、リヒターの功罪って大きいなあって思います。リヒターはリヒターで自分の思いをぶつけただけでしょうけど、ただ、リヒターの全集を聴いてみないと、真にリヒターが魂で表現しようとしたものって見えてこないような気がします。対話の密度が薄いような気がするんですよね。
少なくともアランに関しては、ここまで決して力任せではないということがわかっていますし、それは実はスタンダードなんだということも、イゾワールの演奏も聴いてわかってきたことです。リヒターが決してスタンダードではないということ。ではリヒターはスタンダードとは外れたことで何を表現したかったのかということ。それが精神性とかいう場合は大切なのではないかなあって思います。単に楽しめればいいだけなら、だれを聴いてもいいわけですからね。それが自分に合うものであれば。
ロケーションはドイツから離れ、今度はオランダ。バッハの音楽が決してドイツという狭い地域にとどまらず、当時のヨーロッパ、特にイタリアとフランスの影響を受けていたことからくるこだわりのなさは、むしろしっかりとバッハの魂にアプローチできているようにすら思えます。いいものはどんどん取り入れ、自作に応用し音楽を作っていく・・・・・それが「歌」となって表れているのであれば、さすがアランだと思います。
聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
プレリュードとフーガ ハ長調BWV547
カノン風変奏曲「高き御空よりわれは来たり」BWV769a
クラヴィーア練習曲集第3部
プレリュード 変ホ長調BWV552-1
コラール「キリエ、とこしえの父なる主よ」BWV669
コラール「キリストよ、世の人のすべての慰め」BWV670
コラール「キリエ、聖霊なる神よ」BWV671
コラール「キリエ、とこしえの父なる神よ」BWV672
コラール「キリストよ、世の人すべての慰め」BWV673
コラール「キリエ、聖霊なる神よ」BWV674
コラール「いと高きところでは神にのみ栄光あれ」BWV675
コラール「いと高きところでは神にのみ栄光あれ」BWV676
コラール「いと高きところでは神にのみ栄光あれ」BWV677
コラール「これそ聖なる十戒」BWV678
コラール「これぞ聖なる十戒」BWV679
マリー=クレール・アラン(オルガン)
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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