そもそも、元がナクソスですから、国内盤とはまた違った趣があるのがいいんですが、この第2集では、ドヴォルザークの「チェコ風」に焦点が当たっているように思います。
例えば、冒頭が2つのフリアント作品42B.85。まさにチェコの民族舞踊曲をクラシックに取り入れたもので、交響曲第7番でも採用されているものです。
また、そのほかも特段チェコ風だとかついていませんが、ドヴォルザークがクラシック音楽に巧みにチェコのリズムなどを取り入れているものが多く、「牧歌」はフィンジのエクローグを知っているひとからすれば、どこがーって思いますが、のどかなってよりは、農村の生き生きとした風景を、遠目から望遠で覗いているかのような作品です。
ドヴォルザークが生きた時代がさりげなく反映されつつも、メロディーメーカーの手腕がそこかしこに現出しており、ヴィルトォーソではないんですがしかし、じっくりと聴かせる音楽が多く、魅力的です。
だからこそですが、カンタービレすることが重要な作品群だと言えますが、演奏するヴェセルカは充分にカンタービレさせています。腕よりも「心」あるいは「魂」を重視して弾くことが求められる作品たちに、十二分な愛情を注ぎ、また作曲者に共感しているのが、聴いていて判るんですよねー。
聴いていると、じんわりと感動してきて、もう夢見心地〜。でもこれは、簡単に見えてそうでもないんです。プロであればつい、どうだ、すごいだろって言いたいところなんです。特に若いピアニストは。でも、ドヴォルザークの作品はそう弾くのではなく、常に楽しまないといけないんだなあって思います。これが実に難しい。
これはあくまでも、わたしの合唱の経験ですが、つい勢いで歌いたがるんです。そのほうが難しいところでも上手に聴こえますから。でもそれは本当に難しい作品だと、結局崩壊するんです。それを私は、モーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスで思い知りました。あくまでもやわらかなppを維持する高音部を、息継ぎで支えるのは本当に難しいんです。でも、聴き手からすればアヴェ・ヴェルム・コルプスなど、簡単に聴こえるでしょ?
それと同じなんです。実際アヴェ・ヴェルム・コルプスの構造が簡単であるように、ドヴォルザークのこれらピアノ曲もプロからすればそれほど難しい作品ではありません。でも、そこで手を抜いて勢いだけで演奏してしまうと、その作品が持つ生命力が失われてしまうんです。ドヴォルザークの作品はそのような危険性を常にはらんでいるものばかりだと言えますが、実に丁寧に、しかし思い切りカンタービレしているその表現は、作品に人間味があることを、私たちにしっかりと教えてくれます。
こういった作品を聴くのもとても楽しい時間です。それぞれに魂が込められているのに、まるでBGMのようにも聴けるんです。何かしながらもつい、耳だけは音楽をしっかり聴いている・・・・・それは、ピアニストが腕で引いているのではなく、魂で弾いている証拠なのです。なぜなら、それだけその演奏には「惹きつける魅力」があるからなのです。
聴いている音源
アントニン・ドヴォルザーク作曲
2つのフリアント作品42B.85
4つの牧歌作品56B.103
題名のない作品
ヘ長調B.109/3:アレグロ
ト長調B.109/4:アレグレット
イ長調B.116:モデラート
ト長調:B.109/1:モデラート
6つの小品作品52B.110
ステファン・ヴェセルカ(ピアノ)
地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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