かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:グールドの「平均律」

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回から3回にわたりましてグールドの演奏を採り上げたいと思います。演奏しているのは、バッハの平均律クラヴィーア曲集

以前、確かチェンバロの演奏を取り上げたことがあったかと思いますが、このグールドは当然ですが、ピアノです。現代のピアノなのです。それで平均律クラヴィーアを弾いたら、どうなるのだろうと。

いやあ、そんなの、普通に演奏しているものを聴けばいいじゃないか!というご意見もあろうかと思います。でも、この作品、そんな簡単ではないですよ?

勿論、私にはプロのピアニストの知り合いもいますし、バッハの平均律クラヴィーア曲集を聴くなどという機会が全くないわけではありません。ただ、その知り合いが平均律クラヴィーアを演奏することを選択しなかったら、どうしましょう?

ということで何年か前に借りてきたのが、この平均律クラヴィーア曲集だったのです。

もう一つ、グールドであると言う点が、意味がありました。確かこの音源を借りてきたとき、ドキュメント映画を見たのでした。ディスクユニオンや銀座山野楽器にはそれはそれは大きく宣伝していましたし、当時好んで足を運んでいた、横浜関内の映画館「ジャック・アンド・ベティ」でも予告編を見た記憶があります。

グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独
http://www.uplink.co.jp/gould/

正直、この映画を見た時、衝撃を受けたのを覚えています。天才であるが故に精神が崩壊していくそのさまは、今までの私のグールド観を根本から変えたのでした。崩壊して行きながらも、いや、崩壊して言ったからこそ、紡ぎだされる珠玉の演奏・・・・・

では、グールドを借りてみようと決心したのでした。実は、この映画を見たことで、幾つか演奏を借りてもいます。それはまた今後折に触れてご紹介することがあるでしょう。

さて、この平均律クラヴィーア曲集、一応ウィキの説明を挙げておきましょう。

平均律クラヴィーア曲集
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%9D%87%E5%BE%8B%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%A2%E6%9B%B2%E9%9B%86

楽しみと同時に、教材としての側面がある作品であり、その後の音楽史において、様々なピアノ作品作曲家に影響を与え、参考にされ、引用されている作品です。例えば、ベートーヴェンショパンシューマンブラームスサン=サーンス、等々・・・・・

そんな作品を、果たしてグールドはどう弾いているのかと言えば・・・・・

グールドと言えば、快速というイメージが強いような気がしますが、上記映画サイトには、youtubeで予告編が流れるかと思います。その中で、ベートーヴェンの「田園」が流れるかと思いますが、快速ですか?そうではないですよね。

そう、このバッハの平均律クラヴィーアでは、それほど快速感を感じないのです。では、グールドのバッハ作品は全てそうなのかと言えば、これが違うのです。全編快速もあるのです。その一方で、必ずしも快速ではない演奏も存在する・・・・・

グールドを快速とレッテル張りすると、おかしなことになります。初め私はやはり近代ピアニスト、特に20世紀中ごろから後半にかけて活躍したからカラヤンに影響されて快速なのかなあと思っていましたが、全くそんなことがないのです。

考えてみれば、この平均律クラヴィーア曲集は教材でもあり、愉しみでもある訳です。それをどう演奏で表現するのか、そしてそれを自らのよろこびとして表現するには、どうすればいいのかを考えた結果ではないかと思います。

グールドはバッハ演奏の大家でもあります。それが理由で借りたのでもありますが、この演奏の、各曲のテンポ設定は本当に考えさせられます。特筆すべきは、躍動感と例えば下記ウィキでは表現されていますが、バッハの作品には必ずと行っていいほど、器楽作品では舞曲が入っています。それを舞曲らしく素直に、自らの喜びをもって弾く・・・・・それは、古楽演奏が目指した「当時の」演奏にきわめて近いのです。

グレン・グールド
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89

さりとて、チェンバロと殆どおなじテンポとなるかと言えば、そうでもないのです。ここが、グールドが「ピアノ」という楽器が発展した、現代という時代に生きているという、明確な証拠であろうと思います。

カラヤンが「外形美」と批判されることが多いのですが、実はカラヤンも表面だけ聴きますとそう感じることがあるかと思います(実際、外形だけをきれいに演奏しているものもありますから)。だからこそ、グールドとの共演が実現したのでしょうし(勿論、実は政治的な目的もあったのですが)、つり合いも取れたのだろうと思います。

グールドがカラヤンに演奏スタイルが似ているからと言って、魂のレヴェルで外面だけの美しさを追求していたのかと言えば、そうではないのです。映画はそこにフォーカスしていますが、是非ともレンタルなどで皆さんの目で、耳で確かめていただきたいと思います。

映画を見た後、この演奏を聴きますと、グールドの演奏から受け取れるものが全く異なることに気が付くかと思います。軽いタッチであるが故の華麗さ、きらびやかさ、楽しさ、美しさ、深い思索・・・・・様々な様相が、一気に奔流となって、私達を包み込んでいくでしょう。

さあ、リヒター派の皆さま、グールドは如何?




聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
平均律クラヴィーア曲集第1巻
24の前奏曲とフーガBWV846〜869
グレン・グールド(ピアノ)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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