かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:勝利三部作2

今月のお買いもの、平成27年7月に購入したものをご紹介しています。前回からカール・オルフ作曲の「勝利三部作」をシリーズで取り上げていますが、今回はその第2回目として、2作目である「カトゥーリ・カルミナ」をご紹介します。

オルフの勝利三部作の内、ダントツで有名な「カルミナ・ブラーナ」に比べ、圧倒的に有名ではないのが他の二つなのですが、全集好きな私としては、以前から聴きたかった作品であることは、前回述べました。

勝利三部作は、全くCDがないわけではないんですが、とにかく店頭にないんですよねえ・・・・・では、図書館にはあるのかと言えば、残念ながら私が知る限りの図書館(神奈川県立図書館他)にも全くないです。

まあ、はっきり言って、神奈川県立図書館になければ、他でもないって言っていいですけどね・・・・・後は、大学図書館ですかねえ。音大の図書館にはありそうですが。後は、東京文化会館音楽資料室にあるかどうかですが、そこまでは確認していません。

それだけレアなこの作品なのですが、はっきり言います、この作品は音楽史において、素晴らしい作品です。歌詞はちょっとアレですが・・・・・・

ウィキでも日本語版ではないので、一番わかりやすい、N響の機関紙「フィルハーモニー」のサイトをご紹介しておきます。PDFですが、どうぞご覧ください。DLもできますよ。実際、私もしています。

http://www.nhkso.or.jp/library/philharmony/Phil14Jan.pdf

まさしく、私が見たのがこのN響定期演奏会でした。カルミナがメインだったのですが、中プロがこのカトゥーリ・カルミナだったのです。そしてむしろ、私の興味は正に、その中プロにありました。カトゥーリ・カルミナがきけるなんてそうそうあることではありませんから。

その経験が、今回のCD購入に繋がっています。で、実はこのCD、元々はドイツ・シャルプラッテンなのです。その元々のものを、以前横浜関内のプレミアムジークで見かけていたことがありました。その時には予算の関係と歌詞が分からないということで、あきらめたのでした・・・・・

しかし、N響定期のおかげで、歌詞は機関紙に載っていますから、いつでも参照できます。輸入盤であっても、全く問題ないということで、今回購入に至ったのでした。

で、歌詞を見て、皆さま、どう思いましたでしょうか?え、こんなの、歌っていいの?って感じではないでしょうか。特に、テレビでは「私のメントゥーラ」となっていた部分などは、腰抜かしたのではないでしょうか・・・・・

だって、お●●〇〇ですからね!え、伏字にするなって?うーん、やはり私はそこまでの根性ないです・・・・・・「フィルハーモニー」、あっぱれです!これって、フ○○〇〇○ですからねえ・・・・・

まず、いきなり男女の情事からはいるのですね。そして、それでいいのか、ならば、ギリシャのカトゥーリの物語を紐解こうと、老人が歌いだすのですね。詳しい説明は「フィルハーモニー」誌のほうがいいでしょう。1939年で、こんな作品が存在するなんてと思われるかもしれませんが、ストラヴィンスキーなども生きているその時代からすれば、むしろ当然であったともいえるでしょう。歌詞こそないですが、スクリャービンの「法悦の詩」もかなりアレですから・・・・・

で、この作品が恐らくあまり有名ではないのは、そのアレな歌詞よりは、編成にあるだろうと思います。ティンパニ 1、カスタネットシロフォングロッケンシュピール、メタロフォン(鉄琴)、リソフォン(石琴)、ウッドブロック、マラカス、タンブリン、トライアングル、大太鼓、アンティーク・シンバル、シンバル、タムタム、ピアノ 4、ソプラノ・ソロ、テノール・ソロ、合唱という、極めてそぎ落とされた編成は、合唱が前面に打ち出されたものです。実際この作品、「劇的演技」という名称もついているのです。それが何を意味するのかという事が分かるかわからないかで、面白さは全く変わってくるだろうと思います。

まず、この編成はバロックを彷彿とさせます。合唱をきかせるために楽器は極限まで少なくする・・・・・これは、1作目のカルミナ・ブラーナでも導入していたものですが、このカトゥーリ・カルミナでは全面採用となったわけです。つまり、まずこの作品はクラシックの原点回帰の作品であり、その上で伝統重視であることを、高らかに宣言しているのですね。

そして、これは「劇」でもある、ということです。バッハの受難曲がオペラティックな側面も持っていたことを踏まえると、カトゥーリ・カルミナはまさに、古代ローマの演劇を、クラシック音楽で再現しようとしているとも言えます。そもそも、主人公であるカトゥーリは、古代ローマの詩人、ガイウス・ヴァレリウス・カトゥルスです。

ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A1%E3%83%AC%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%82%B9

つまり、この作品は歌詞がアレですが、実に西洋の教養に基く作品であるのです。でも、こういう恋物語というか、女性遍歴って、現代でもある話ですし、よくドラマになったりする題材です。オルフは、その題材をあえて歌詞をアレにすることで、教訓としての側面も添えています。実に様々な側面が詰まりながらも、ドラマティックで野性的な作品い仕上がっており、聴きどころ満載だと言えるでしょう。

指揮をしているケーゲルは、以前ご紹介したように、元々少年合唱にも携わっていた人です。そうであるせいか、とても生き生きとした演奏で、かつ野性的。古代ギリシャ(ローマの源流)を彷彿とさせもします。合唱が主たるものであるこの作品を指揮するに十分なタレントだと言えるでしょう。

ヘルベルト・ケーゲル
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%AB

社会主義だから古代ローマや、ギリシャと言った伝統など無視なんだろ、という声も上がりそうですが、では、この演奏をどう考えればいいのでしょう。カトゥーリ・カルミナを取り上げていることをどうとらえればいいのでしょう。ケーゲルがカトゥーリ・カルミナを取り上げたという事は、少なくともケーゲルはクラシックの伝統を無視していないことを示しています。それにどう反論するのかを逆に訊ねたいくらいです。

フレージングを大切にしつつ、歯切れのいいリズム重視の演奏は、人間が持つ本能というものを浮びあがらせています。動物的で、しかし知的であることが同時に存在するとすれば、おそらくこういった男女の情事であろうと思います。ケーゲルは実にその人間の本能の暴走を見事に描いたこの作品をはっきりと浮かび上がらせることに成功していると言えるでしょう。しかも、実に演技している!

もっと演奏されてしかるべき作品だと思います。まさしく、病的な現代日本だからこそ・・・・・




聴いているCD
カール・オルフ作曲
舞台劇「カトゥーリ・カルミナ」
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ベルリン放送合唱団
ライプツィヒ放送交響楽団
(Brilliant Classics 95116-1/2)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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