かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏曲全集3

火曜日にアップし忘れたので、今週は今日と明日、そして明後日と連続してエントリをアップすることにします。

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集を取り上げていますが、今回はその第3集を取り上げます。

このアルバムには、第7番〜第10番までが収録されていますが、これら4つの作品は、ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲の中でも、重要な意味を持つものばかりとなっています。

第7番は1960年に作曲されましたが、ウィキにある通り、妻ニーナへの追悼として作曲されたものです。

弦楽四重奏曲第7番 (ショスタコーヴィチ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%9B%E9%87%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC7%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81)

この作品の特徴としては、まず3楽章形式であること、そしてその3楽章が続いて演奏されるということです。その上、主調は嬰ヘ短調

嬰ヘ短調
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AC%B0%E3%83%98%E7%9F%AD%E8%AA%BF

それを踏まえて、さて、この作品にどんな内面を見出すことができるでしょう?それを引出し、演奏としていかに呈示するかが、演奏家の一つの使命となります。

まず、妻ニーナの死というものがあるでしょう。ショスタコーヴィチを心身ともに支え続けた妻の死。それを乗り越えるのに、ショスタコーヴィチ自身5年かかっています。作曲できない時期が2年。そして、妻を追悼しようと思い立って作曲するまで、さらに3年かかったことになります。

ショスタコーヴィチという作曲家の「精神的内面」を考えた時、「支えてくれた仲間」を失った悲しみは、深かったことでしょう。ともすれば、重篤な精神症状が出てもおかしくない状況です。それを救ったのが、彼自身が「作曲家」であるということと、すでに手がけていた弦楽四重奏というジャンルの作曲だったと言えるかと思います。

ルフレッド・アドラーという心理学者がいます。今日本でも人気の心理学ですが、日本では重要な点が抜け落ちているように思います。それが、「共同体感覚」です。

アドラー心理学
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BC%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6

彼が指摘した「神経症の発症機序」というものがあります。それは以下の3つです。

�@共同体感覚の喪失
�Aパートナーシップの喪失
�B仕事(役割)の喪失

真っ先に「共同体感覚の喪失」を挙げている点こそ、アドラー心理学の「肝」なのです。ショスタコーヴィチは妻ニーナの死によって、�@と�Aを経験しました。しかし、�Bを防ぐことができたため、重篤神経症の発症が防げたと言えるでしょう。

アドラー心理学では、自助グループも大切なものとされていますが、ショスタコーヴィチがそれに相当する「弦楽四重奏曲を演奏する場」、つまりサロンを持っていたことが、私は分水嶺ではなかったかと考えています。

ショスタコーヴィチは、幾度も�@と�Aを経験してきました。そしてそのたび、�Bを防ぐことを強いられてきました。それが、この時点で踏みとどまれた結果を導き出したと言えるでしょう。言い方を変えれば、喪失した「共同体感覚」と「パートナーシップ」を取り戻すため、仕事(役割)を大切にしたのです。

仕事(役割)となっていることから、それは所謂「職業」に限りません。集団の中での役割でもいいのです。趣味のグループでもいいのです。ただ、ショスタコーヴィチの場合は、それは職業でもあったということです。単にドグマを吐き出す交響曲ではなく、弦楽四重奏曲であったことに私が注目するのは、いかにもそれは心理学的に重要な回復の手順であるからなのです。

この第7番はショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲の中でも最も演奏時間の短いものですが、そこに詰まっているものはとても濃いのです。エマーソンQはその「濃い」作品を、丁寧に演奏することによって、最後の切なさを、十分私達聴衆につたえているように思います。

次の第8番は、ショスタコーヴィチの映画音楽とも関係する、ショスタコーヴィチを研究する人たちの中では弦楽四重奏曲としては最大級に重要な作品です。今月、「今月のお買いもの」コーナーでショスタコーヴィチの映画音楽を取り上げたことがあったかと思いますが、私はそこでも関連を述べています。

今月のお買いもの:ショスタコーヴィチ 映画音楽「馬あぶ」「五日五夜」組曲
http://yaplog.jp/yk6974/archive/1317

特に、「五日五夜」との関連が強い作品です。

弦楽四重奏曲第8番 (ショスタコーヴィチ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%9B%E9%87%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC8%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81)

様々な説明はウィキに任せましょう。私が言いたいのは、その戦禍がショスタコーヴィチの内面を揺るがしたという点なのです。それは実は構成にはっきりと打ち出されています。3楽章で、第7番同様連続しての演奏。そして、英雄調のハ短調という主調の選択。

それがまさしく、この第8番のすべてを物語っていると言っていいと思います。自分自身の困難に対して、「共同体感覚」を失わないためには、いったいどうすればいいのかが、詰まっているとてもこれも濃い作品です。ですから、演奏家も単に悲劇的というだけではなく、丁寧さが求められるだろうと思います。エマーソンはその点で私は素晴らしい仕事をしていると思います。

第9番と第10番は1964年にともに作曲されています。1960年から64年の間に、またもや反体制の烙印を押されることとなった半面、イリーナとの再婚(1962年)もあり、ショスタコーヴィチにとってまさしく「共同体感覚とは」が問われ続けた4年間であったろうと想像できます。第9番も第7番、第8番同様の3楽章形式で連続して演奏するという構成となっていますが、これは前二つの作品とは多少異なり、「自由」がそのキーワードとして隠されているような気がします。何より、晩年のショスタコーヴィチを支えることとなる人なのですから。変ホ長調という主調に、それが見え隠れしています。

弦楽四重奏曲第9番 (ショスタコーヴィチ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%9B%E9%87%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC9%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81)

長調とは思えない、不安な音楽が最初演奏されますが、明快な演奏で聴衆に提示しつづけるのは、技量と内面性の高さの両立、もっと言えば「情熱と冷静の間」のバランスが絶妙であることを意味します。

第10番は古典的な4楽章形式に戻りますが、これは体制迎合の意味合いが強いでしょう(だからと言って4楽章制が悪いという訳でないんですが・・・・・これが、ソ連共産党政権の「悪い点」であったと私は思います)。だからと言ってノー天気なわけではなく、むしろその体制迎合を悲しむような暗さを持っています。

弦楽四重奏曲第10番 (ショスタコーヴィチ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%9B%E9%87%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC10%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81)

いやあ、これでもかなり端折って今回は書いたつもりなのですが、かなーり長いものとなってしまいました。アドラー心理学を使って、わかりやすくしたつもりなのですが、読者の方々に伝わるといいなと思います。エマーソンQがアドラー心理学を知っているかどうかは全くわかりません。しかし、知っているかのような明快な演奏は、私達に「ショスタコーヴィチの苦しみ」を、ストレートに伝えてくれているように思います。




聴いている音源
ドミトリー・ドミトリーエヴィッチ・ショスタコーヴィチ作曲
弦楽四重奏曲第7番嬰ヘ短調作品108
弦楽四重奏曲第8番ハ短調作品110
弦楽四重奏曲第9番変ホ長調作品117
弦楽四重奏曲第10番変イ長調作品118
エマーソン弦楽四重奏団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村