神奈川県立図書館所蔵CDのピノック/イングリッシュ・コンサートのモーツァルト交響曲全集の今回は第11回目になります。収録曲は第38番と第39番です。
ここですでにこの全集の特色が思いっきり出ています。はい、昨日の第10集はどこまでだったでしょうか?第36番「リンツ」ですね?
であれば、本来であれば第37番が来るはずですが、え、あれ?
はい、第37番は現在ミヒャエル・ハイドンのものとされています。マリナーの全集を取り上げた時に触れていますし、また別に第37番を聴くということもやっています。
神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト交響曲全集11
http://yaplog.jp/yk6974/archive/509
音楽雑記帳:元モーツァルト交響曲第37番を聴く
http://yaplog.jp/yk6974/archive/513
ですので、「明らかに偽作である作品は抜く」という編集方針にのっとっていることがここでよくわかるわけなんですね。ただ、それならばマリナーのように一楽章だけでも演奏してほしかったという気持ちはありますけどね〜。
それにしても、ここで音の高低での強弱や、指定がなければフォルテ、リフレインは弱くということを徹底的にやっています。なるほどとうなりますね。それでいて、演奏も軽やかで、なおかつ力強さもあります。いわゆる「しなやなかさと力強さの同居」ですね。私が好きなタイプの演奏です。
特に第38番「プラハ」では、まるで魔笛かと思わせるようなフレーズが浮き上がってきます。これはピリオド演奏の軽やかさならではという気がします。
ただ、そのプラハですが、これが3楽章制なのですね〜。このピリオド演奏を聴きますと、なんだかおもしろいことに気が付きます。ピリオドだからというわけではないと思いますが、まるでこのプラハを作曲した時にすでに魔笛を作曲していたかのように感じるです。しかし、魔笛はこの「プラハ」より5年もあとの作品なのですね。
魔笛
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E7%AC%9B
となると、モーツァルトの頭の中にはいったいどんな音楽が当時支配していたのでしょうか?
3楽章制の交響曲というのは基本的に何かの序曲的な役割を果たしていることが多く、オペラの序曲から転用することもしばしばです。このプラハに関しては果たしてそんなことがあったのか?
モーツァルト事典を紐解いてみますと、予想通り同時期のフィガロとの類似に関する記述が多いんですね〜。でも、私は下降音形の感覚から、むしろ魔笛との関連をどうしても疑うんです。
「プラハ」はフィガロを上演しているプラハの劇場からの招待状を受けて作曲されたとされていますが、実際には逸れ以前に完成していたようです。とすれば、必ずしもフィガロだけに関連付けなくてもいいことになります。むしろ後年、魔笛で出てくるような音型をすでに頭で考えており、次はこんな音楽を作ろうと思っているんですというアピールとして作曲したという可能性だってあるように思います。
だから、3楽章だったとすれば、納得がいくのです。つまり、「オペラの序曲」を再構成したことになるのですから。フィガロと、まだ見ぬオペラのちら見せって感じですね。それを交響曲として再構成した、という可能性も十分あると私は考えています。
ただ、モーツァルトの交響曲にはかなり晩年まで3楽章制があるということだけは、頭に入れておく必要があります。
その意味でも、3楽章である「プラハ」と4楽章である第39番が並んでいるこの第11集は、実はモーツァルトの交響曲を理解するうえでとても重要なカップリングだと思います。次の第39番はこんどはあきらかにハイドンの影響が感じられる曲で、4楽章でなおかつ序奏があり、それがアダージョとなっている点からも、その音型からもハイドンの同時期の作品からの影響を感じます。二人の友情を感じる1曲です。
そして、この二つがここで順番に並んでいるというのが全集の中であるということも、モーツァルトの交響曲を理解する上で私たちに重要なヒントを与えてくれているように思います。
聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲
交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」
交響曲第39番変ホ長調K.543
トレヴァー・ピノック指揮
イングリッシュ・コンサート
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