かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:バッハ オリジナルの調性・調弦による、リュートのための作品集1

東京の図書館から、今回と次回の2回に渡りまして、小金井市立図書館のライブラリである、バッハのリュートのための作品をオリジナルの調性と調弦によって演奏されたアルバムをご紹介します。

バッハと言えば、オルガン曲が目立つのですが、しかし器楽作品では様々な楽器のための作品を残しています。その中でも異色なのが、リュートによるものだと言っていいでしょう。ある意味、奇怪な、というべきかもしれません。

バッハのリュートのための作品は7つ残されており、シュミーダーによりまとめられたBWV(Bach Werke verzeichnis)はジャンルごとに分類されていますので、リュートのための作品はBWV995~1000までにまとめられています。え、一つ足りないですよねという、ア・ナ・タ。それは次回取り上げます。少なくとも995~1000までがリュートだと考えていただいて結構です。

この第1集では995と1000、996、そして998が収録されています。996はヴァイマル、それ以外はライプツィヒでの作曲で、かつ995は実はチェロ組曲第5番BWV1011の編曲です。

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奇怪な、と私が言うのは、実はBWV995のことなんです。これは1011の編曲です。とはいえ、ガヴォットを聴きますとあら不思議、むしろそのほうが自然に感じるんです。これは如何に?

BWV1011のガヴォットと言えば、かなり弦にアインザッツがある音楽ですが、そもそもBWV1011はスコルダトゥーラ(高い弦を低く調弦して弾く)ことが前提です。1011で言えば、A弦をG弦にして弾きます。

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組曲とは、舞曲であると以前から申し上げていますが、チェロよりもリュートのほうが舞曲らしい感じが出る上に、そもそもリュートはチェロよりも低い音程の楽器であるということ、なんです。ということは、リュートを念頭に置いて作曲したとしか考えられないんです。

ですが、BWV1011が成立したのはケーテン時代だとされています。ですがBWV995の成立はライプツィヒ時代の1730年ごろ(東京書籍「バッハ事典」P.390)。なので明らかにBWV1011のほうがBWV995よりも古い、ということになります。ですがBWV995のリュートのほうが自然であるということはどういうことか?普通なら逆になるはずです。つまり最初にBWV995が成立してその後BWV1011が成立したということです。しかし研究結果はBWV1011のほうがBWV995よりも前としているのです。

以前、私がヴァイスのリュート作品を取り上げたのを覚えておいででしょうか?実はその時に私はこのように言っています。

「あまり知られていない作曲家、ヴァイス。けれども、当時はバッハとも交流があった大作曲家でした。」

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実はこの言葉、この音源を借りていたからこそ出た言葉なんです。ついに取り上げることができて光栄です。そのうえで、私はこうも述べています。

バロックと言うと、作曲家が自立していない時代であるがゆえに、貴族という側面でしか文化が語られないことが多いのですが、例えば、「マトナ・ミア・カーラ」のような作品があることからも明らかなのですが、じつは庶民の楽器なんです。吟遊詩人たちはリュートをもって各地を回りました。言わば、日本でいえば「平家物語」の琵琶法師たち、なんです。まさに平安時代の琵琶と同じような使い方をしていたのが、同じ弦楽器でもあるリュートという楽器だと言えます。

時代と場所は違えども、おなじような使い方をしていた弦楽器があった・・・・・これは、つい見逃されがちな史実です。じつは、わたし自身がこの音源を借りたきっかけは、そもそもバッハにもギターやリュートのための作品があることを知ったことからだったんです。で、そういえば吟遊詩人たちはリュートだったよな、とたどり着いた時、はっと気づかされたんです。そういえば、琵琶法師もそうであった、と。」

そう、リュートは吟遊詩人が使っていた庶民の楽器です。そのうえでバッハはそのリュートを使って作曲をしていたヴァイスと交流がありました。ということは、バッハの周りには常にリュートが存在していた、ということになります。確かにバッハ作品全体のヴォリュームからすればリュートのための作品はごくわずかですが、バッハの周りには常にリュートが存在していたと考えるには不自然な点はありません。つまり、そもそもBWV1011を作曲するときにリュートを念頭に置いて作曲していた、ということです。ですがリュート版はなかなか実現せず、ライプツィヒに来てようやく実現したと考えるほうが自然です。

実際、第2集に収録されている作品を含め、ライプツィヒ時代以前に作曲されたのは3つで、他の4つはライプツィヒでの成立です。ですがそもそもBWV995がケーテン時代であり、BWV1000も1720年代以降なので、実はほとんどがライプツィヒに来る前に成立していると考えてもいいでしょう。ということは、そもそもチェロ組曲リュートを念頭においても作曲されていた、と考えるのが自然なのです。

チェロもリュートも実は同じ通奏低音楽器です。弦を震わせて音を出すことも一緒です。異なるのは調性と音の出し方です。そしてこれら楽器のために作曲された器楽曲は世俗曲である、ということもまた踏まえておく必要があります。ということは広く演奏されるために、いくつかの楽器で演奏可能にしておくというのはバロック時代においてはごく普通です。なので私はリュートでも演奏可能であるように作曲したと仮定するわけです。そして実行されたのがBWV995だった、というわけです。

演奏するのは上記エントリでも取り上げたキルヒホーフ。オリジナルの調性・調弦で演奏されていますが、だからこそ例えばBWV995の特異点があぶりだされたともいえるかもしれません。朴訥と弾いているようでしかしそこに魂がこもっているのが聴いていて伝わりますし、何よりも生命力があるんです。特にBWV1011の編曲であるBWV995での生命力のある演奏には驚かされます。キルヒホーフの知識と技術が作品に魂を吹き込んだ名演だと言えるでしょう。複雑な経緯が想像される作品を、演奏という行為一つであぶり出し、聴き手を楽しませる・・・・・プロ中のプロ。脱帽です。

 


聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
組曲ト短調BWV995
フーガ ト短調BWV1000
組曲ホ短調BWV996
プレリュード、フーガとアレグロ 変ホ長調BWV998
ルッツ・キルヒホーフ(バロックリュート24弦BWV996、テオルボ24弦)

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