かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:ケルビーニ ミサ曲集2

今月のお買いもの、ケルビーニのミサ曲集を取り上げていますが、今回はその第2集を取り上げます。ミサ・ソレムニス ニ短調が収録されています。

この作品は荘厳ミサ曲第2番とも言われ、1811年にエステルハージ家の皇太子のために書かれました。そのため、ウィキでは「エステルハージ皇太子のための荘厳ミサ曲 ニ短調」と記載されています。

ルイジ・ケルビーニ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%8B

しかし、エステルハージ家の「皇太子」というのは、ブックレットでも、ウィキでも誰なのかは触れられていませんが、おそらくパウル・アントンの事であろうと想像できます。

パウル・アントン・エステルハージ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B8

エステルハージ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B8

ハイドンの時代だけがエステルハージ家の時代ではないんです。ケルビーニが生きた時代も、いまだエステルハージ家は健在でした。特にこのパウル・アントンとその前のミクロ―シュは、古典派の作曲家を擁護し、支援した人たちでした。

そういった経緯もあり、おそらくケルビーニにパウル・アントンから要請があったのだろうと思われます。ニ短調という暗めの、英雄調とも言える調性で始まると言うのは、ミサ曲には珍しいことですが(短調なので)、ただ、ハイドンもネルソン・ミサでやはりニ短調を選択しており、ネルソン・ミサが念頭にあったのではと考えることも可能でしょう。

というのも、ネルソン・ミサも、ハイドンが当時仕えていたニコラウス、つまりパウル・アントンの父であるミクロ―シュの命で作曲されたものだったからです。

ハイドン 「ネルソン・ミサ」
http://blogs.yahoo.co.jp/maskball2002/63763190.html

ハイドンのミサ曲第11番ニ短調「ネルソン・ミサ」を聴く
http://blog.goo.ne.jp/narkejp/e/98d91728546053ca26773f9f6df988c9

ハイドンの「ネルソン・ミサ」
http://blog.zaq.ne.jp/Kazemachi2/article/194/

ニコラウスは確かに、あまり芸術には関心が無かった一方で、かといって前代のように擁護もしないという人ではなかったようですが、パウル・アントンは芸術のパトロンとなった人でした。それだけに、ケルビーニのこのミサ・ソレムニス(ハイドンの時代ではまさしく「ミサ曲」を意味します)は、当時における「ネルソン・ミサ」であると言えるでしょう。規模においてハイドンを凌駕するだけの編成と構成を持つこの作品は、キリエの荘厳な短調だけではなく、クレドでは壮麗さと明るさが同居する、讃美の音楽となっています。

つまり、それがケルビーニのパウル・アントンに対する答礼であると言えるでしょう。第1集の「シメイにて」も、そしてこのニ短調もともに「ミサ曲」(ミサ・ソレムニスのこと)ですが、ともに演奏時間ではこのアルバムで70分を超えるものとなっています。それはまさしく、当時の慣習から言っても長い部類に入ります。これを超えるのは、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」なのです!

私がケルビーニのミサ曲を聴きたいと思っていたのには、実はベートーヴェンの存在があります。ベートーヴェンがミサ曲を書いたのはケルビーニに触発されてであると、どこかで目にした覚えがあるのです。そこで、ずっと聴きたいと思っていたところへ、実は次のコア・アプラウスの演奏曲が、ケルビーニ(しかも、このミサ・ソレムニス ニ短調!)であると知り、追い求めていた最中でした。

このアルバムの演奏は、実に伸びやかに、そして荘厳です。その上で、喜びにあふれているので、本当に主調であるニ短調という調性に惑わされることなく、まずは歌謡曲を聴くがごとく、耳をかたむけてみる必要があるでしょう。勿論、主調が全く関係ないなんてことはないのですが、その調性に作品全体の意味を持たせているわけではないのです。つまり、この作品はネルソン・ミサを意識しつつも、じつは全くケルビーニの内なる喜びを素直に表わしている作品であり、ハイドンの影に対して、しっかりと境界線を引いた作品であるということなのです。

だからこそ、その主調に囚われず、作品そのものが持つ「内なる喜び」がいかに「現出されているか」を聴く、という事になろうかと思いますが、それがこの演奏は絶妙なのです!バイエルン放送交響楽団は以前奇しくも、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」のCDを取り上げた時のオケですが、その時も時間が長いにもかかわらず、何度も聴きますと飽きが来ないどころか、作品が実は素晴らしいものなのだと教えてくれると言及したことがあったかと思いますが、この演奏でも同じことが言えましょう。合唱団もベートーヴェンと同じバイエルン放送合唱団で、壮大なこの作品を、自家薬篭中のものとして、生き生きと、そして喜びをもって演奏しているのは、聴いていて誠にすがすがしく、此方も幸せな気持ちにさせてくれます。

堅実なバイエルンと、ケルビーニの祖国の指揮者であるムーティが、がっぷりよつに組んで取り組むと、これほど壮麗で壮大な作品が、じつに細部にまで喜びに包まれているということを、教えてくれます。





聴いているCD
ルイジ・ケルビーニ作曲
ミサ・ソレムニス ニ短調
カミラ・ティリング(ソプラノ)
サラ・フルゴーニ(コントラルト)
クルト・ストライト(テノール
トーマス・トマソン(バス)
鈴木敦子(ソプラノ2)
アンドレアス・シューリスト(テノール2)
バイエルン放送合唱団(合唱指揮:ミヒャエル・グレイザー)
リッカルド・ムーティ指揮
バイエルン放送交響楽団
(EMI 6 29465 2-2)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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