かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:ショスタコーヴィチ 交響曲第5番・第9番

今回のマイ・コレはショスタコーヴィチです。彼の交響曲第5番と第9番です。指揮はベルナルト・ハイティンク、演奏はアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団です。

今週のマイ・コレは実はロンドンのベスト100という、当時出ていた廉価盤です。それまで買った廉価盤はたった一つというくらいCDにお金をかけてきた私が方向転換した理由は、音楽以外に夢中になることを大学入学後見つけてしまったからです。

それは、古美術。「史蹟研究会」というサークルに入会し、その後クラシック鑑賞と並び私の趣味の二大柱となって行きます。

ただ、いずれにしても実はお金がかかる趣味です。美術館へ行くだけなら特にお金はかかりません。ところがこのサークル、春と夏に合宿をやるのです。しかも、夏は京都でほぼ1週間・・・・・勿論、2シーズンとも自腹です。

入学時、入りたかったサークルが二つありました。一つは音楽研究会混声合唱部。そしてもう一つが史蹟研究会でした。しかし、その中で史蹟研を選んだのは、自分の学問とやはり結び付けたいという思いのほうが勝ったからです。私の学部は、文学部史学科国史学専攻。その学問をしながらどのようなキャンパスライフを送るかということを考えた場合、好きな歴史を横に置くことはできませんでした。

当時の私は、遊ぶために大学に行くという考えは全くありませんでした。親にお金を出してもらって行かせてもらうのだから、勉強するのが当然という考え方でしたから。ですから、悩みましたが、クラシックを聴くのを横に置き、歴史の研究を選択したのでした。勿論、そのサークルが日本文化を扱っているということも重要なファクターでした。ショルティ/シカゴ響で聴いたチャイコの4番の影響が、そこに反映されたわけです。

ですから、当然お金は歴史方面へ優先的に使うことになります。が、だからといってクラシックを聴くことをやめたわけではありません。優先順位を下げただけです。そういうときに出会ったのが、ショスタコーヴィッチです。

当時、彼はブームになっていました。FMでも結構かかっていましたが、私は今ひとつ聴く気がありませんでした。まず、マーラーの5番の呪縛があったためと、いわゆる「敵性音楽」という意識がどうしても抜けなかったからです。だって、ショスタコまで行きますと、完全に旧ソ連の音楽ですから・・・・・

ようやく、世界は東西両陣営が雪解けムードになったばかり。国防にも関心を持っていた私としましては、どうしてもソ連の作曲家の音楽を聴く気になれませんでした。先日「1812年」のときにもお話しましたが、「航空自衛隊の戦力」という本を読むくらいの青年です。当然、空自の仮想敵はソ連と知っていましたから、そんな国の音楽なんてという意識がありました。

ところが、ショスタコーヴィッチを調べてみると、それは必ずしも違うのではないかという感じを受け始めました。特に、体制側から弾圧を受けている点です。当然、歴史に興味を持っている身としては、看過できない点でした。

ならば、聴いてみようかということになったのです。

そのときにこの演奏を選んだ理由は、ハイティンクだったということが大きかったですね。何しろ、それまで「敵性音楽」と考えていた作曲家です。当然初めて買うわけです。それまで演奏を聴いたことのある指揮者とオケでないと心配で買えません。大学入りたて、しかも自宅から通い・・・・アルバイトもしていないわけではありませんでしたが、それは主に合宿やサークルのためという側面が多く、小遣いももらっていたくらいです。当然、失敗したくなかったのです。それを回復するだけの資金はありません。

ですから、どうしてもある程度その作曲家の演奏で実績があり、なおかつ自分が聴いたことのあるコンビを選びたいと思っていました。そんなときに生協で見つけたのが、ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウのコンビだったのです。このコンビは以前第九で取上げています。だからこそ買ったのです。それとベスト100という廉価盤だったということ。この二つが大きな理由でした。ハイティンクは当時西側で初めて交響曲の全集を指揮していました。帯にそのように書かれており、その言葉を信じて買いました。

勿論、今度は本物の現代音楽。ところが、この曲の方が私はマーラーよりははるかに聴きやすいものでした。でも、これ以外実はショスタコーヴィッチは買ってCDを持っていません。友人に頼んでCD-Rをいただいたことはその後何度かありますが、自分で購入したのは、これ以降いまだありません。

それは、やはり彼の音楽が当時の私としては難解だったということが上げられます。マーラーが理解できれば、彼も当然全集を買っているか、あるいは図書館で借りているでしょう。とはいうものの、やはりCD-Rは欲しくなるくらいですから、私の心を捉えたのは事実です。

その理由として、私はその前にNHK大河ドラマ主題曲集を聴いていたということが一番大きいのではないかと思います。このコーナーでも取上げましたが、あそこで現代音楽に短く触れていたのが大きかったと思います。

それと、やはり大学生という独立心が強くなる年代に聴いているというのが大きいでしょう。彼の心のうちが覗けたような、そんな感じがしたのです。

特に、第4楽章は無理やり明るくしているように聴こえますが、解説にはそれは体制側へのささやかなる抵抗だと書いてあるのです。そういわれてみると、とてもしっくり来たのです。

今、ちょうど体制側(ではもうないか)との軋轢を抱えている自分が今聴きますと、もっとそれを感じます。こういう表現の仕方もそう言えばあったなあ、と。うーん、もっとショスタコは聴かないと!と今は思います。ただ、やっぱり当時は「ソ連」という国家が観念上邪魔しましたね。それが今になって自分にとって大きな損失だと感じるようになりました。こんなすばらしい曲に大学時代めぐりあっているのに、と。

それを感じ始めたのは、同時鑑賞会で第12番を聴いたときでした。「あれ、こんなにも好きだったっけ?」というくらい、彼の音楽にうなづいている自分がいました。

苦労が足らなかったかな・・・・・そんな気がします。いろんな点、いろんな意味で。

今、その苦労をしてきて、ようやくショスタコが「ねえ、僕の気持ちがわかるでしょ?」とほほえんでいるようです。

ハイティンクの演奏自体はやはり理性がきいています。その分、ショスタコーヴィッチの名演と言われるものに比べると劣るかもしれません。ただ、アンサンブルは全然悪くないですから、オケはどちらとも安心して聴けるでしょう。西側のオケだからこそ、一歩引いて見ながら、でも本質はずばりと突く、そんな演奏になっているような気がします。

この後、私は東西両陣営の動向から、目が離せなくなりました。その意識をより高めてくれた一枚です。



聴いているCD
ドミトリー・ショスタコーヴィッチ作曲
交響曲第5番作品47
交響曲第9番作品70
ベルナルト・ハイティンク指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(第9番)
(ロンドン F00L-23077)