かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ハイティンクとアムステルダム・コンセルトヘボウ管によるシューマン交響曲全集1

東京の図書館から、今回と次回の2回にわたりまして、府中市立図書館のライブラリである、ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏によるシューマン交響曲全集を取り上げます。今回はその第1回目です。

シューマン交響曲は評価が真っ二つに分かれるところだと思いますが、私は高評価に一票の派です。バランスを欠くという意見もありますが、そういった点を含めた表現がロマン派であるとするならば、特段低い評価をすることもないと思います。自分の美意識で受け入れ可能化のかどうかだけが判断基準になるはずなので。

また、シューマン交響曲全集はたいていが2枚組ですがこれも同様に2枚組です。今回はその第1集なのですが、番号順で収録されており。第1番と第2番が収録されています。ただ、シューマンの場合は番号順は成立順ではないことが要注意です。なので成立順で聴きたい場合は並びなおす必要がありますが、その必要がない人はこのまま聴いていいと思います。

現在、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団は名称変更してロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団に変わっていますが同じオーケストラです。ハイティンクが振っていた時代はまだアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の時代なので借りたCDにそのように記載されているだけです。

さて、ハイティンクといえばどっしりとしたテンポというイメージもありますが結構この第1集では速めのテンポもとっています。第1番ではそれほどでもないのですが第2番第1楽章では激しさがあり、シューマン交響曲が持つ内省性が前面に出されている印象です。亡きシノーポリ精神科医としてこの作品を精神医学の観点から解釈していましたが、それに倣うかのような激しい演奏は、魂の叫びであるかのようです。そのうえで美しいアンサンブルと強めのアインザッツにより、霊的な内面が描かれていると感じます。人が持つ二面性、アンビバレントな面でしょうか。単純に見えて複雑な内面へと没入しているように感じるのです。

いいテンポの中に複雑性を表現するというのはプロオケならでは。聴いていて喜びすら感じます。そもそもですが、演奏者が喜びを感じているんだろうなあと思うんです。画面を見ているわけではなく単にメディアに記録された音声だけを聴いているに過ぎないんですが、それでも演奏者たちの魂が伝わってきます。それは作品に対する共感でしょうし、そして私自身も同様に共感しているからこそだともいえるでしょう。

ところどころテンポ的には私の美意識と完全一致しない点もありますが、かといって排他的になるわけでもなく受け入れ可能範囲です。それはこの演奏が説得力を持つことを如実に表しているでしょう。シューマン交響曲全集はもういくつか持っているはずなのに、全く聞き飽きないんです。それが名演と呼ばれるものだと思います。ハイティンクアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンビだとはずれを引いた記憶がないんですが、そこがプロであること、ですね。まあ、私自身が年齢を重ねたということもあるのかもしれません・・・・・

 


聴いている音源
ロベルト・シューマン作曲
交響曲第1番変ロ長調作品38「春」
交響曲第2番ハ長調作品61
ベルナルト・ハイティンク指揮
アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団

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