かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

音楽雑記帳:モーツァルトのレクイエム オシュトリーガ版を考察する。是か非か?

音楽雑記帳、今回はモーツァルトのレクイエムの新しい補筆版であるオシュトリーガ版を考察してい見たいと思います。

令和6年10月6日、私は千葉県市川市まで市川交響楽団さん、市川混声合唱団さん、行徳混声合唱団さんの演奏のモーツァルトのレクイエム、オシュトリーガ版を聴きに行きました。オシュトリーガ版だからこそ聴きに行ったわけです。

ykanchan.hatenablog.com

私自身、モーツァルトのレクイエムを歌った経験がありますが、ジュスマイヤー版です。CDではヴァド版と鈴木優人版を聴いた経験を持ち、コンサートでもランドン版を聴いた経験を持ちます。その経験も踏まえ、私自身がどう考えるかを述べてみたいと思います。

まず、オシュトリーガ版による校訂が作品の中でどのようになっているかを説明したいと思います。パナムジカさんの以下のサイト、そして10月6日に聴きに行きました、市川混声合唱団などの演奏を参考にします。さらに、モーツァルトのレクイエムの説明のウィキペディアのページもあげておきます。

www.panamusica.co.jp

ja.wikipedia.org

先日のエントリでも上げましたが、オシュトリーガ版の特徴は大きく分けて以下の3つです。

①サンクトゥス冒頭 バスのオクターヴ
ラクリモーサ
③サンクトゥスの調性

ですが、実は細かい部分ではこれ以外にも散りばめられています。以下、曲を順に追って説明したいと思います。

①レクイエム・エテルナム
殆ど手が加えられずそのままです。

②キリエ
合唱部分はそのまま、オーケストラ部分で余計な装飾音が廃されています。ランドン版でも装飾音が廃されていますが、ランドン版に比べますと私はこのオシュトリーガ版のほうがよりモーツァルトらしく感じましたが、一方でピアノ協奏曲第26番のような簡素さ、物足りなさを感じたのも事実です。しかしそれを考慮しても、ランドン版よりも私は評価したいと思います。

ja.wikipedia.org

③怒りの日
ここもオーケストラパートがジュスマイヤー版に比べると簡素化されています。ですがそれでも怒涛の様子が描かれたのは演奏側のレベルの高さだったのかもしれません。とはいえ、アマチュアが演奏しているわけではありますから、楽譜がそもそも怒涛のように演奏できるように書かれていると判断していいでしょう。こういう時は楽譜が手許に欲しいところですが、ベーレンライターはそこそこ値段が・・・

④奇しきラッパの響き
当日、オーケストラは自然トランペット(つまりバルヴ無し)を使っていたのが印象的でした。これは楽譜にかかれているというよりは指揮者の選択だったと思いますが、その部分で特に変更はなかったです。ここもオーケストラパートで無駄な装飾音が廃されており、声楽には変更点を見いだすことが聞いている限りではできませんでした。

⑤恐るべき御稜威の王
オーケストラに若干の変更が加えられています。合唱部分は聴いていて変更を見いだすことはできませんでした。

⑥思い出したまえ
ここも合唱部分はほぼそのままで、オーケストラパートで余分な装飾音が廃されています。

⑦呪われ退けられし者達が
オーケストラパートで余計な装飾音が廃されています。合唱部分では歌詞に変更はありません。

⑧涙の日
8小節、"judicandus homo reus:" までがモーツァルトの作。そこで絶筆になっているので後世ここから創作がされたわけですが、オシュトリーガ版ではモーツァルトが残したアーメン・フーガのスケッチを基に再構成されています。詳しくはパナムジカさんの解説をお読みいただきたいのですが、アーメンコーラスは歌うか歌わないかは演奏者に任されているそうです。9小節以降はジュスマイヤー版を基礎としつつも、短調へ転調するなど、この時期のモーツァルトの転調を意識したものになっています。少なくとも私はジュスマイヤー版以外の版の補筆に比べますと自然に聴こえました。ただ、ジュスマイヤー版に比べますとそれでもやりすぎ感を感じてはしまいます・・・その意味では、ジュスマイヤー版もそれなりにやはりモーツァルトじきじきに指示を受けたジュスマイヤーならではの補筆であると言えるでしょう。今後は、ジュスマイヤー版を使うのかそれともオシュトリーガ版を使うのかという判断になっていくきっかけになるような部分です。

⑨主イエス
オーケストラパートの過度の装飾音が廃されています。声楽部分は歌詞のつき方に変更あり。

⑩賛美の生け贄
オーケストラパートの過度の装飾音が廃されています。

聖なるかな
まず、調性が短調に変更になっています。そのうえでバスのオクターブ跳躍が修正されていますが、それが演奏に違和感を感じさせるものではありませんでした。個人的には、どちらでも不自然ではないのが印象的。オシュトリーガさんの校訂も素晴らしいのですが、一方でジュスマイヤーも意外といい仕事をしているとも思います。もしかすると、ベートーヴェン交響曲第6番「田園」で禁則もぐりこみをこの前例に倣ってあえてやった可能性もあると思います。ベートーヴェンモーツァルト作品を研究して作曲をしていますから。

⑫祝福された者
ここもオーケストラパートで装飾音などの変更がありますが合唱部分には変更ありません。

⑬アニュス・デイ
ここは結構いじくられています。ジュスマイヤー版では合唱だけだったのがソリストも入るように変更されており、曲のつき方も変更になっています。ジュスマイヤー版の雰囲気は残っていますがそれを基礎にして作り変えたという印象です。

⑭絶えざる光もて
曲歌詞ともにかなり変更が加えられています。最後の2曲に関してはジュスマイヤー版を基本としつつもかなり大胆に作り変えられたと言ってもいいくらいの変更になっています。よくぞその変更の中で合唱団は歌い切ったと思います。こう詳しく振り返ってみれば見るほど、行徳混声合唱団さんと市川混声合唱団さんのレベルの高さを感じざるを得ません。

全体的には、ジュスマイヤー版を完全に拒否するのではなく、批判的校訂というほうが正しいと思います。基本的には、ジュスマイヤー版の装飾音に対して校訂がなされており、創作に対しては、基本的にジュスマイヤー版を否定するという姿勢が貫かれています。楽譜が手許にないのではっきりとはわかりませんが、パナムジカさんの記述に拠れば、楽譜には違いが明確に示されているため、演奏者が分かりやすくなっているとのことで、アマチュアでもしっかりと表現できるということはあるのかなと思います。わかりにくいのが一番厄介なんですよね、歌っていて。なぜなら、オリジナルというか、私だったらジュスマイヤー版に引っ張られるからです。それを防ぐため、違いを明確に記しておくというのは工夫してあるなと思います。ラクリモーサやサンクトゥスが大きく取り上げられますが、いえいえどうして、アニュス・デイも絶えざる光もてもかなり大きな変更が加えられておりしかもジュスマイヤー版の雰囲気が残っているだけにむしろこちらのほうが難しいのではないかと思います。むしろ全く違っているラクリモーサのほうが合唱団としては歌いやすかったのではないでしょうか。

私個人としては、今後はアマチュアの中では、ジュスマイヤー版をそのまま歌い続けるグループと、オシュトリーガ版を基本とするグループとで分かれていく気がしています。少なくとも、私が今までいろんな版を聴いて来た限りでは、オシュトリーガ版は他の批判校訂に比べますと自然に感じました。歌っていた行徳混声合唱団さんや市川混声合唱団さんの団員の方々も表現がしっかりできていたことを考えると、ジュスマイヤー版とオシュトリーガ版が今後基本になっていく予感がしています。

なお、このオシュトリーガ版のCDもあるようなので、私も購入して聴いてみたいと思います。YouTubeもあるのですが、せっかくですからレファレンスになりますのでCDを購入しようと思っています。手に入りましたら、また「今月のお買いもの」コーナーでご紹介したいと思っています。

 


地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。