コンサート雑感、今回は令和6(2024)年8月11日に聴きに行きました、カラー・フィルハーモニック・オーケストラの第24回演奏会のレビューです。
カラー・フィルハーモニック・オーケストラさんは東京のアマチュアオーケストラです。
特にどこかの学校の卒業生というわけではないということでつながっている団体は市民オーケストラではよくありますが、単なるアマオケというのでは珍しいとも言えますが、最近はこういったアマチュアオーケストラが増えてきているように思います。クラシック音楽という決して楽しんでいる人が多くない分野だからこそ、将来の少子化を見据えているようにも見えます。
このブログでも何度か取り上げているカラー・フィルハーモニック・オーケストラさんですが、私がカラー・フィルハーモニック・オーケストラさんをずっと聴きに行っている理由はその実力の高さにあります。ホームページには過去の演奏会のYouTubeも上がっていますので是非ともその演奏も聴いていただきたいのですが(以前私が取り上げた第23回も上がっています!)、そのレベルの高さに驚かれると思います。
カラー・フィルハーモニック・オーケストラさんはたいていコンサートを杉並公会堂で行っているのですが、今回は会場が隣県である神奈川県は横浜市の、横浜みなとみらいホール大ホール。現在、首都圏では大きなホールが幾つか改修工事に入っていますが、そういう事情もあるのかなと思いきや、実際に足を運んでみるとどうやらそういう理由だけではないように思いました。それは後程・・・
今回の曲目は以下の通り。
①ドビュッシー 「管弦楽のための映像」から「イベリア」
②リヒャルト・シュトラウス アルプス交響曲
この二つを持ってくるか!と思いました。近年、ネット界隈ではナショナリズムが跋扈していますがその傾向に抗うかのような、アマチュアらしい選曲だと思いました。皆さん、この2曲に共通するもの、分かりますか?フランスとドイツだから全然違うでしょ?と思われるかもしれませんが、その考えに抗っているのがこのプログラムでもあるわけです。確かにドビュッシーはフランスの作曲家ですしリヒャルト・シュトラウスはドイツです。しかし、この2曲とも「風景や情景を題材にした作品」ということで共通しています。
一方で、「イベリア」は必ずしも実際を描いたものではないのであるのに対し、「アルプス交響曲」は明らかにリヒャルト・シュトラウスがドイツ・アルプスに登山した経験を描いたものです。この差はありつつも、風景や情景を題材にしているという点では共通しています。
「イベリア」は「映像」の中でも実際を描写した作品だと言えます。象徴主義だと自身を表現したドビュッシーがこの「イベリア」ではどちらかと言えばイベリアの様子を音楽で表現したものと言えます。ただ、単に風景を切り取るのではなく、そこにいる人々の活気や息遣いを如何に表現するのかという作品でもあります。カラー・フィルハーモニック・オーケストラさんの演奏はその点がしっかりと表現されており、冒頭から楽しい音楽によってその場にいる人々の喜びや活気が伝わってくるかのようです。みなとみらいホールは大きいホールであるがゆえにかなり強い音でもまろやかに聴こえるという特性を上手に生かした演奏はアマチュアのレベルを超えています。
当日は、大きなみなとみらいホールの1階席だけしか解放せず上の階は閉鎖されていました。カメラがいくつもありましたので動画の撮影の都合もあったと思いますが、そのせいで聴衆が制限されたことで音響もかなり響きのあるものになったように思います。かなり鋭い音もまろやかになることで、ドビュッシーが表現したかったであろう「その場にいる人々の内面も描写する」ということに成功しているように思います。
休憩後の「アルプス交響曲」。この作品の肝は、単にヨーロッパアルプスを描写しているだけでなく、リヒャルト・シュトラウスの登山経験を基に作曲されていることから、登山者の視点が反映されているという点です。これ、登山経験がある人が聴きますと、一緒に登山しているかのような感覚になるんです。その点を如何に踏まえて演奏するかがカギになります。今回、指揮の金山さんは、まるで登山しているかのようなテンポを意識して振られていました。後期ロマン派なんだからどっしりとした演奏になるのは当然でしょ?という意見もあるかもしれませんがそれはあくまでも手法の一つでしかないと私は考えます。リヒャルト・シュトラウスとすれば、その後期ロマン派の特徴であるどっしりとしたテンポを、どのように活かして作曲するのかを考えた作品なのではないかという印象を持ちます。
なぜか?登山をした経験があると経験上わかるのですが、山登りというのは急ぐことが出来ないんです。急登がくれば下手すれば鎖場もありますし、下山する時も下りこそ気を付けないと滑落もあります(「クレヨンしんちゃん」の作者、臼井儀人さんも滑落で逝去されています)。実際、登りですがこの曲においても「氷河」の後に「危険な瞬間」が置かれています。山登りというのはそういった危険を自分でいかに避けて下山してくるかということなのです。
私自身、小学生の時毎年のように八ヶ岳に登り、社会人になってからはワンダーフォーゲルで関東近辺の低山を登りました。その時に必ず言われたのが安全に登ろう!です。登りもそうですが下山時も登りでかなり膝を使っているのでむしろ踏ん張りがききづらくなるので余計注意せよと何度言われたか。それなのに、この曲では後半に雷雨があるわけなんです・・・これは登山しているときついですね。もう下山口近いとカッパを羽織ればまだ何とかなりますが、頂上付近で振られたら目も当てられません・・・幸い、この「アルプス交響曲」では登山口近くに来てから降られた描写になっていますが、それでも風が強く吹いている様子が、ウィンドマシーンのみならずサンダーマシーン(今回の演奏会ではサンダーシート)まで使って表現されているわけです。山というのはよく言われるのが天気が変わりやすいということですがまさにしっかりと表現されている曲なので、いかに山を登っているかを表現できるかがまずは大切なわけです。
そのうえで、その視点は山登りをしている本人であって、決してドローンで引いて撮影しているわけではありません。カウベルが鳴ったりするのどかな風景、どこかで羊飼いの角笛もなっています。そのうえで、自身が山に感動している様子がホルンとトランペット、トロンボーンのバンダ隊で表現されます。ここだけは自分の心の高鳴りを羊飼いの角笛とが共振しているかのような、風景と登山者の心とが一体になったような描写となります。そして、このバンダ隊、何とホルンなど金管が20人ほど・・・この人数だと、恐らく杉並公会堂では難しかったでしょう。「アルプス交響曲」を演奏するからこそ、みなとみらいホールを選択したと言えるのではないかと思います。いやあ、このことからしてもアマチュアのレベルを超えてる・・・
例えば、市民オーケストラだと、ほとんど地元の会館などと会場が決まっているため、曲目としてはその分制限されます。しかし、地域性がないオーケストラであれば、基本的に会場は選び放題です。そのメリットを最大限生かす姿勢はさすがです。次回の第25回は再び杉並公会堂に戻るとのことで、杉並公会堂を基本とするところは変えず、しかし曲によっては柔軟に対応するという点は、一見アマチュアオーケストラにはフランチャイズがないと批判もされますが一方でそれだけ柔軟性も持っていると言えるでしょう。勿論、お金がないという点もありますが・・・そのデメリットをメリットに変えるバイタリティは、アマチュアならではだと思います。プロだと、いろんなしがらみがあって意外と柔軟性に欠けるという点はありますが(それが演奏においてはメリットでもあります)。
また、一つのクライマックスである「頂上にて」は普通の演奏ですと急展開してかなりアインザッツが強い演奏になる傾向がありますが、今回の演奏ではゆっくりとクライマックスを迎えており、この点も私が金山氏が登山をしているように演奏させていると感じた理由です。私の経験ですと特に八ヶ岳を登った時、頂上へ至る直前に鎖場があって、そこをゆっくりと登ってやっと頂上に至ったときの美しい風景を見た時の感動と言ったら!その見ている風景の動き、心の動きが絶妙にスコアから掬い取っているなあと感じますし、年代も様々なカラー・フィルハーモニック・オーケストラさんだからこそ、山登りがいかなるものかという情報が団員で共有されているように思います。若い人が中心の団体ではありますが、登山経験がある人からしっかりと情報提供を受けて演奏に生かしているように思われ、その点も評価するものです。ドビュッシーの表現もアマチュアのレベルを超えており、次も聴きに行きたいなと思わせるものでした。次回も楽しみです!
聴いて来たコンサート
カラー・フィルハーモニック・オーケストラ第24回演奏会
クロード・ドビュッシー作曲
「管弦楽のための映像」より「イベリア」
リヒャルト・シュトラウス作曲
アルプス交響曲
金山睦夫指揮
カラー・フィルハーモニック・オーケストラ
令和6(2024)年8月11日、神奈川、横浜、横浜みなとみらいホール大ホール
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。