今日のマイ・コレは、小椋 佳のアルバム「遠ざかる風景」です。
これは、1976年10月7日NHKホールで行われたリサイタルを収録したものです。もともとLPで出てまして、我が家はそれをどなたか(確か、母の友人だったと思うのですが)から借りまして、カセットテープにダビングしたものを持っていました。
そう、このアルバムを買ったのは、母の影響です。更に言えば、これは母への誕生日プレゼントのついでに買ったものです。たまたま、母が小椋佳のアルバムをCDで欲しいといっていたのでそれを誕生日プレゼントに買おうと思ってCD店に行きましたら、これも売っていました。
というより、私としてはどちらでもいいや、と思っていくつか買って帰ったのです。どれか母に選んでもらおう、と。で、これを選ばなかったので、私の物となりました。
これは主に我が家ではドライブ中家族で何度も聴いたものです。例えば、渋滞中とか。
当時、我が家はドライブ中にクラシックをかけるということは残念ながらありませんでした。父が「眠くなる」という理由で(一方、私はドライブするときは殆どクラシックです。「運命」では目がパッチリ開いてしまいます)。ですので、たいていこのアルバムか、アバか、越路吹雪か、歌謡曲をエアチェックしたものがかかっていました。
で、実は私もこのアルバムは購入してからカセットに録音して、私もしばらくかけていましたが、そのうち殆ど第九へと変わってゆきました・・・・・
でもこのアルバムは小椋佳の初期の名曲だらけなのです。しおさいの詩、俺たちの旅、飛べない蝙蝠、揺れるまなざし、シクラメンのかほり・・・・・
どれもすばらしいのですが、アンコールが2曲入っていまして、「木戸をあけて」と「さらば青春」。特に「木戸をあけて」は聴くたびに母が涙を流していたのが印象的です。「お前にはこの曲で歌われていることがわからないよ」と当時言われましたが、最近はだんだんその意味がわかってきたような気がします。とは申せ・・・・・
小椋佳の楽曲は、この時期そんなものが多いのは事実なんですが、ずっと母がいった意味をこのアルバムを聴くたびに考えてきたような気がします。わかってきたように思っていはいるものの、実際にはわかってきたような気がしているという感じで、はっきりとはその解答は出ていません。
歌唱力は・・・・・まあ、どうなんでしょうね。私がうまい下手を言うのはあまりにも失礼です(一応、「シンガーソングライター」ですから)。楽曲を提供した相手に比べれば、劣るかもしれませんね。でも、その朴訥な歌い方は、心を打ちます。それは作曲者あるいは作詞者として、自分の言葉を伝えようとしているからこそ、だと思います。
当時彼は第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)の金融マン。大人になって、仕事しながらこれだけの楽曲を書き、さらに歌い、家族を養っているということを知ったときに、その歌のうまい下手なんてどこかへ行っていました。それは私には到底出来ませんから・・・・・
こういう、人の生き様が反映されている曲を聴きますのは、とても幸せですが、車の中でこれが聴きたいといった母の気持ち、いまだわかってきているだろうかと、今でも考えてしまいます。
聴いているCD
小椋佳 遠ざかる風景
(キティレコード KTCR-1067)