かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:工藤重典とパイヤール室内管弦楽団によるヴィヴァルディのフルート協奏曲集

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、ヴィヴァルディのフルート協奏曲集のアルバムをご紹介します。

イタリア・バロックを代表する作曲家であるヴィヴァルディ。彼が作曲した作品は800とも言われていますが、その中でも協奏曲はかなりのヴォリュームを持ちます。そしてフルート協奏曲は、ヴィヴァルディが初めて作曲したとも言われ、その代表的な作品が作品10の6曲だと言われます。このアルバムはその作品10を中心に収録されています。

その作品10は、ヴィヴァルディが作曲したフルート協奏曲から6曲を選んでひとまとまりにされたもので、そのためにまとめて作曲されたわけではありません。有名なのは「ごしきひわ」などで、魅力的な曲が満載です。現代はフルートで演奏されますが、そもそもはフラウト・トラヴェルソのための協奏曲です。

ja.wikipedia.org

ただ、この曲だけが独り歩きして、ヴィヴァルディのフルート協奏曲はこの6曲だけと思われがちなのですが、ここにさりげなく他の作品をカップリングさせていることが、私は重要だと思っています。実は最後の2曲はウィキペディアで検索しても記載された作品名だと出てきません。ですが実はウィキペディアの「ヴィヴァルディの作品一覧」にはしっかり載っていると言うところが注意点なのです。あえてそのための記載をしているとも言えるかもしれません。実はこのアルバム、ヴィヴァルディではよく使われるリオン番号(RV)を使っておらず、作品番号とファンナ番号(F)だけが使われているのです。ちょっと意地悪・・・

頭から6曲は、作品10の6つ。そして最後の2曲はF.Ⅵ-8とF.Ⅵ-7。ですがこの2曲、実はRV436とRV440なのです。ならばRV番号で書いてほしいところなんですが・・・では、こういう場合どう調べるかと言えば、まずは「ヴィヴァルディ ファンナ番号」で以下のサイトが出てきます。

piqua-1.la.coocan.jp

ここで、該当のファンナ番号の曲がリオン番号では何に当たるかを調べます。そのうえで再度ウィキペディアの「ヴィヴァルディの作品一覧」の頁でRV番号を調べると、成立年などが分かるというわけです。

ja.wikipedia.org

そうすると、面白いことがわかってきます。作品10はそのために作曲されていないとはいえ、1729年頃に全て成立しています。つまり、原曲は違うための作品だったとしても、作品10として成立したのは同じ年だとということを示しています。一方で最後の2曲のうち、RV436(FⅥ-8)は成立年不明、RV440(FⅥ-7)は1720年頃だとわかります。

であれば、作品10の成立には、すでにヴィヴァルディがフルート協奏曲を作曲していたことが広く知られており、そのために出版が企画されたためと考えらえるわけです。

これらのことを踏まえて、演奏を聴いてみますと、難しいパッセージも含まれているのですが、実に生き生きと演奏しているのが魅力的。ソリストは日本の工藤重典。そこにジャン・フランソワ・パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団がサポート。アマチュアのために作品を書いたヴィヴァルディですが、作品10がアマチュア向けと断定するには無理があるようには聴こえますが、様々なレベルの人でも楽しめるようにという意図は感じます。その「楽しめるように」という意図を十分に掬い取った演奏のように聴こえます。持てる技術で持ってまさに「楽しんでいる」演奏は、聴いているこちらも楽しくなってきます。

プロであるから当たり前ではあるんですが、自らの技術と知識を如何に演奏で楽しむために、表現するために生かすかが、演奏において大切だと思いますが、それをサラリとやってのけているわけなんです。普段は意識せずに聴く演奏の裏では、それだけの努力をしているというわけなのです。この点は、オリンピック選手などに比べると、我が国で正当に評価されていないのではないかという気がします。スポーツが文化なのであれば、芸術も同様に文化なのですが・・・

如何にも楽し気な演奏が私達を癒し、楽しませてくれる・・・そのために、持てる力を総動員して表現する・・・これもまた、一つの精神性ではないかと思います。そしてそれが普通にできるのがプロであると思います。こういうプロフェショナルを大切にする土壌が、果たして我が国に存在するのだろうかと、函館本線山線のバス転換が進まないことや、トラック乗務員の2024年問題、あるいは鉄道における人員不足を見るにつけ、感じざるを得ません。道路だけ用意しても意味がなく、そこを通る人のプロフェショナルを大事にしないと意味がないと思うのですが・・・

クラシックの演奏において、ホールだけ用意しても意味がないのと一緒なのです。それが箱もの行政と批判されるゆえんではないでしょうか。それを維持する人にどれだけ投資できるのか・・・それは、その内容の質にかかわってくるのです。この演奏を聴いて、改めて思い知らされます。演奏はピリオドではなくモダンなので時代考証という意味では薄いですが、それでも作品を深く掘り下げて演奏することの大切さと本質を思い知らされるのです。それは私自身がかつて歌う側だったということもあるのかもしれません。と言うことは、物流が止まることで始めて、人々は道路だけ作ってもダメなんだと思い知るということなのかもしれません・・・

 


アントニオ・ヴィヴァルディ作曲
フルート協奏曲作品10
協奏曲第1番ヘ長調作品10-1「海の嵐」
協奏曲第2番ト短調作品10-2「夜」
協奏曲第3番ニ長調作品10-3「ごしきひわ」
協奏曲第4番ト長調作品10-4
協奏曲第5番ヘ長調作品10-5
協奏曲第6番ト長調作品10-6
フルート協奏曲ト長調F.Ⅵ-8
フルート協奏曲イ短調F.Ⅵ-7
工藤重典(フルート)
ジャン・フランソワ・パイヤール指揮
パイヤール室内管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。