かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:ヤナーチェク 室内楽曲全集1

東京の図書館から、今回と来週の2回に渡りまして、小金井市立図書館のライブラリである、ヤナーチェク室内楽曲全集を取り上げます。レーベルはロンドンだったと思います。

ヤナーチェクという作曲家の作品をどう聞くべきか、このエントリを立てるにあたりウィキペディアなどで調べている間に、かなり考えました。ヤナーチェクという作曲家はかなり19世紀~20世紀にかけての民族主義にどっぷり染まっている上に、かなり西欧との対決姿勢も見えるからで、それは単なる民族主義ではなく、むしろ汎スラヴという側面もあるからなのです。

まずは、ヤナーチェクがどのような作曲家なのかから始めましょう。このブログでは決して初めてではないヤナーチェクですが・・・

ja.wikipedia.org

チェコの作曲家と言われますが、モラヴィアの作曲家と言われるほうが多いかと思います。その理由として、ヤナーチェクチェコと言っても東部モラヴィア出身だからですが、そのモラヴィアドヴォルザークスメタナが生まれたボヘミアとは異なり、かなり西欧文化とは離れた文化を持つ地域であることが理由です。

確かに、この第1集に収録された作品を聞きますと、多少西欧音楽とは異なる部分を見いだすことが出来ます。それはリズム感がそれほどなくかなりテンポが普通に揺れていることです。それがヤナーチェクがいう「話し言葉」を基とした音楽だからです。しかし、調性から完全に離れているわけではないですし、日本のように独特の調性(四七抜き)を持っているわけでもありません。少なくとも私達日本人からすれば、広義のヨーロッパ音楽と定義づけられるものです。

ですが、ヤナーチェクが「独自」だと信じて疑わなかったのは、リズム感に一定のものがなく絶えず揺れ動く「話し言葉」から発生した音楽、です。それがモラヴィアの音楽であり、ゆえに舞踊には不向きとも言われます。確かに、バッハのように、舞踊音楽を喜びの表現とするという音楽は、少なくともこの第1集からは見出せません。

第1曲目と第2曲目である弦楽四重奏曲第1番と第2番ですが、どう聴いても舞踊を喜びの表現にしているわけではありません。特に第2番は、想いを熱烈に寄せていたカミラへの想いと自身の人生の終りを見据えた音楽であるがゆえに、内面性が重視され、いささかドグマすら吹き出ている作品でもあります。「ないしょの手紙」とはよくぞ付けたものだと思います。作品にしたらナイショではないんですけどね。

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しかし、二つとも比較的ヤナーチェク晩年の作品であり、そして戦争という影がちらついている時代に作曲されていることもまた、重要なファクターです。ヤナーチェクは汎スラヴ主義者であり、その救済者としてロシアを見ています。あれ?どこかで見た風景だと思った方もいらっしゃるかもしれません。これ、現ロシア大統領プーチンの姿勢によく似ているわけなんです。

その一方、ドヴォルザークスメタナと言った人たちは、それほどロシアを意識せず、むしろ西欧文化の中でスラヴ民族として境界線を引くことに芸術の目的を置いているように見えます。それはある意味で、ウクライナの現大統領ゼレンスキーの姿勢に似ています。

ヤナーチェクの芸術に今触れてみますと、どうしてもウクライナ「事変」(私はあえてこの用語を使いたいと思います)を考えてしまわざるを得ないのです。スラヴ民族として自分たちのアイデンティティをどこに置くのか、そしてスラヴ民族とはいかなるものか?それをどう解釈するのかで、同じスラヴ民族であっても変わってしまうという現実です。

考えてみれば、我が国は東アジアにあり、中国の影響も朝鮮半島の影響も受けていますが、古くは戦国時代から西欧との関係が続いています。そうなると、アジアと言っても西欧の影響も受けている国家・社会だとも言えます。一方、朝鮮半島や中国は、西欧との関係が主に帝国主義における侵略の側面が強いわけです。当然、日本とは異なるスタンスになるのも無理からぬところです。

その視点でヤナーチェクの音楽をさらに聴いていきますと、第3曲「ヴァイオリン・ソナタ」は1914年と第1次世界大戦の影響を色濃く受けている悲劇的な側面がありますが、一方でそれよりも古い若い時の作品である「ドゥムカ」(1880)、「ロマンス」1879)は、ヤナーチェクが言う「話し言葉」により近い作品ですが、ロシアの音楽を振り返りますと、十分に舞曲もありますし、旋律的ですし、調性音楽でもあります。あれ?全然ロシア的とはいえない作品なのですが・・・

ヤナーチェクは民俗音楽のオーソリティでもあったのですが、ヤナーチェクがロシア音楽の「何を」スラヴ的としたのかを考えないと、一概に言えないのではないかと言う気がします。ロシア民謡のどの程度が「話し言葉」に近いのかもわかりません。その意味では、ヤナーチェクの音楽を紐解くには、もう少し調査が必要な気がします。何か一部に飛びついて「これがスラヴの音楽だ!」としてしまったような印象も持ちます。収録されている作品は全て味わい深いですし、牧歌的で私は好きですが、かといってヤナーチェクの偏ったハンスラヴ主義をどうとらえるべきかには、慎重にならざるを得ません。

そのうえで、ヤナーチェクが表現した「内面」を如何に受け取るべきなのかを考えるのが、解釈の王道なのかなあとも思ったりします。演奏しているのは、ガブリエル弦楽四重奏団とポール・クロスリーですが、いずれもイギリスの演奏家たちです。ということはアングロ・サクソンなのですが、ヤナーチェクの「内面」をよく掬い取っているようにも思います。初演がドイツでドイツ人によってという作品(ヴァイオリン・ソナタ)もあり、ヤナーチェクの作品は汎スラヴという点で、当時の西欧でも主流だった、民族自決主義の琴線に触れる作品なのではなかったかと思います。その意味では、単なる汎スラヴではなく、もっと西欧においても説得力を持つ精神を持った作品群だと私は解釈します。

人間は主義主張をことさらに叫ぶとき、冷静さを欠くことがありますが、ヤナーチェクもドイツ音楽を敵として認識しているようで、しかし自らの中に西欧においても共通意識として認識できるものがあるということに気が付いていなかったのでは?という気がしてならないのです。それに気づいたのが、指揮者チャールズ・マッケラスだったとしたら、皮肉な話です。そこに気が付けるかが、ウクライナ「事変」の解決の糸口になるような気がしてならないのです・・・

 


聴いている音源
レオシュ・ヤナーチェク作曲
弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ
弦楽四重奏曲第2番「ないしょの手紙」
ヴァイオリン・ソナタ
ドゥムカ(ヴァイオリンとピアノのための)
ロマンス(ヴァイオリンとピアノのための)
ガブリエル弦楽四重奏団
 ケネス・シリトー(第1ヴァイオリン)
 ブレンダン・オライリー(第2ヴァイオリン)
 イアン・ジュエル(ヴィオラ
 キース・ハーヴェイ(チェロ)
ポール・クロスリー(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。