かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から〜小金井市立図書館〜:ヤナーチェクのピアノ曲集

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介しています。今回はヤナーチェクピアノ曲集を取り上げます。

ヤナーチェク、名前は知っているけどという一も我が国では多いのではないでしょうか。実際、私もその一人だったわけで・・・・・

昔、知人からグラゴル・ミサの音源を頂いたことがありますが、ヤナーチェクと言えばそんなどこか変わった人という印象が強いのかもしれません。確かに、グラゴル・ミサは言葉が古代スラヴ語(正確にはグラゴル文字)ですから・・・・・

ヤナーチェクらしさが最も分かる作品こそ、グラゴル・ミサです。スメタナとも縁があるヤナーチェクですが、人生の中でヤナーチェクスメタナとは違った方向へ進みます。それがモラヴィア民謡に基づく調性無視と変リズムです。

レオシュ・ヤナーチェク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%AF

19〜20世紀にかけての民謡採集ブームに強い影響を受けた一人ですが、そもそも、民謡採集こそ、民族主義の最たるものなんですね(ここ、意外と日本の保守はわかっていません。今の日本の保守の姿勢はヤナーチェクが嫌ったドイツ生活様式のほうに当たります)。スメタナから本格的に始まったチェコ民族音楽運動の、ある意味一つの到達点がヤナーチェクだったと言えるでしょう。

それを、当時のチェコの人々も理解することができませんでした。括弧書きで言いましたが、日本の保守の問題点はすでにヤナーチェクが生きた当時のチェコでも存在していたことを意味します。当時のチェコも、オーストリア=ハンガリー帝国という、ドイツ語圏の文化の影響が強かったためです。それは今の日本がアメリカ文化の影響が強すぎることとオーヴァーラップします。

そんなヤナーチェクが書いたピアノ作品にも、当然ですが民族音楽運動に関わる作品があってもおかしくなくむしろ当然だと言えますが、そんな作品がまず第1曲目に収められています。それが「1905年10月1日、街路から」です。借りてきたCDにはピアノ・ソナタとありましたが、現在では単なるピアノ独奏曲として扱われているようです。

ピアノソナタ (ヤナーチェク)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF_(%E3%83%A4%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%AF)

ヤナーチェクもどこか、自分が残すピアノ・ソナタはしっかりとした楽章数でと考えていたのかもしれませんが、彼が敬愛したベートーヴェンも楽章数には必ずしもこだわっていません。それは以前私がエントリを上げたとおりで、むしろ違う楽章数であることをどんどん実験していた人だったと言えるでしょう。ですからピアノ・ソナタと言ってもいいとは思うのですが、ヤナーチェクはそれをよしとしませんでした。やはり、ベートーヴェンへの敬愛、そしてヤナーチェクのキャリアがオルガン、つまり鍵盤楽器演奏から始まっているということがあるのでしょう。

2曲めが、「霧の中で」。ドビュッシーの影響が見えると言われる作品ですが、ウィキには印象主義ってあるんですよね〜。これは象徴主義であると私は訂正したいと思います。

霧の中で
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%A7%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%A7

もし、ウィキの記述の通り「娘オルガに先立たれ、数々のオペラがプラハの歌劇場から拒絶されていた1912年の作品であり、従ってヤナーチェクが人生の難局に立たされていた時期の作品である。「霧の中」とは、このように文字通りの五里霧中を象徴するものと解釈する向きもあれば、4曲がすべて黒鍵を多用した調号を用いていることや頻繁な拍子の変更といった特徴こそが「霧の中」だと解釈する向きもある」のであれば、その象徴としてのネーミングであるはずだからで、音楽も当然、何かを象徴しているということになるはずだからです。

確かに、和声的にはほんわりぼんやりした部分もあるのでそう間違いをされるんでしょうが、実際にはまさにドビュッシー象徴主義の強い影響にあると思います。それはまさに、ヤナーチェクが表現の中で実現しようとした、「モラヴィアらしさ」にぴったりだったんだと思いますし、そもそもドビュッシーから端を発する新古典主義音楽運動が、アンチ・ドイツ後期ロマン派ということもあったんだと思います。

そして、最後に収録されているのが、「草かげの小径にて」。標題音楽ですがそれぞれに演奏指示がついているのも特徴です。

草陰の小径
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E9%99%B0%E3%81%AE%E5%B0%8F%E5%BE%84

全部で3つある作品ですが、このアルバムには第1部の10曲のみ収録されています。

さて、このアルバム、ヤナーチェクピアノ曲を収録したものですが、民族的であるだけではなく、この3つの作品はともにヤナーチェクの哀しみを投影し、吐露する作品です。ヤナーチェクは決して単に民謡に主題を採ったのではなく、その民謡を解析して、和声的に再構成するという手法を採っています。これは日本でもじつはシンガーソングライターで今はグループFLOWER FLOWERで活躍するyuiが同じ手法を採っています。ですので特別な手法ではないんですが、ヤナーチェクが生きた当時は革新的な手法でした。

ですから、聴いていますとグラゴル・ミサほどの癖を感じず、むしろヤナーチェクの率直な民族意識と悲しみが伝わってきます。それを演奏するのがノルウェー出身のピアニスト、ライフオーヴェ・アンスネス。フレージングを大切にする、いわゆるカンタービレ奏法で、実に作品が持つ「哀しみ」を引き出しています。あえて私は「哀しみ」を使いますが、それはこの3つの作品がどれも泣くだけではなく怒りや、苦しみというものも表現されていると思うからです。それを民謡という民族の音楽を材料に使うことで、ヤナーチェク自らが「ナラティヴ・セラピー(自身の物語を語ることによって自分自身を癒やすこと)」を実践しているから、です。

なるほど、アンスネスは歌っているんだなと、理解できますし、共感もします。私自身苦しい時期を乗り越えた手法が、ナラティヴ・セラピーだったからです。ある意味、このブログのタイトルが「音楽のある日常」としているのも、そしてそれを変えずに今できたのも、自分の物語を語れたらということから出発しているので、私にとっては一つのナラティヴ・セラピーになっています。ただ、始めた当初からそれを狙っていわけではないんですが・・・・・

そのためか、アンスネスの演奏に共感し、納得する自分が居ます。特に最初の作品である「1905年10月1日、街路から」は、私自身のパトリオティストとしての心象風景にマッチし、ともに哀しみを分かち合うものでもあります。こういった作品に巡り会えたのも、一つの贈り物なんだろうと思います。




聴いている音源
レオシュ・ヤナーチェク作曲
ピアノ・ソナタ「1905年10月1日、街路から」
霧の中で
草かげの小径にて
ライフオーヴェ・アンスネス(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村