かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:バッハ 世俗カンタータvol.6

今月のお買いもの、令和6(2024)年8月に購入したものをご紹介します。鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパンによるバッハの世俗カンタータ第6集です。ディスクユニオン吉祥寺クラシック館での購入です。

今回はハイレゾではないのですかという、ア・ナ・タ。そうなのです。実は第5集まではCDを購入していたのですが、その後e-onkyoネットストアにハイレゾがあることを知り、第7集からはハイレゾで購入していたのですが、この第6集だけなく、CDを購入となりました。その点では、第1集~第6集までがCD、第7集~第10集までがハイレゾとなったので、ちょうど都合はいい感じになりました。

最初は、このCDをHMVで予約し、購入する予定でした。ところが在庫が無いようでいつまでたっても連絡が来ません。しびれを切らしてディスクユニオンに一縷の望みをかけて足を運びましたら・・・なんとあったのです。吉祥寺クラシック館には高音質盤というコーナーがあり、そこにありました。最近のバッハ・コレギウム・ジャパンのアルバムは全てSACDハイブリッドなので、一応ハイレゾではあるんですよね、flacではないだけで。HMVのほうは用意が出来ましたという連絡が来ましたが、そのままにしてしまいました・・・関係各位にはご尽力いただき感謝していますが、どなたかが買う時に回してあげてくださいませ・・・とりあえず、中古で十分です。日本語解説はないですが、そもそも第5集までも日本語解説がありませんので、大したことではありません。ただ、鈴木氏の解説が英語であるのは少々骨が折れることではありますが・・・

さて、この第6集には、以下の3曲が収録されています。

カンタータ「公妃よ、さらに一条の光を」BWV 198
カンタータ「いざ打てかし、願わしき時の鐘よ」BWV 53
③「消し去り給え、いと高き者よ、わが罪を」(詩篇51番)BWV1083

この第6集は面白い編集になっています。実はこのうち、バッハ作曲と言えるのは第1曲目「公妃よ、さらに一条の光を」だけです。2曲目は偽作とされ、3曲目は編曲です。ただ、第1曲と第3曲は共に死を悼む曲になっているのが興味深いところです。

まず第1曲目「公妃よ、さらに一条の光を」BWV198は、1727年に作曲されたカンタータで、ザクセン選帝侯アウグスト2世の王妃であった、クリスティアーネ・エーベルハルディーネを悼む目的で作曲されました。

www.classic-suganne.com

さて、ザクセン選帝侯アウグスト2世と言えば、このブログでも取り上げたことがある、ポーランド王アウグスト3世でもあります。そして、以前取り上げたBWV215「おのが幸を讃えよ、祝されしザクセン」でバッハを慌てさせた張本人です。実はこのフリードリヒ・アウグスト2世(ポーランド王アウグスト3世)は他にもやらかしていまして、それが括弧書きの称号であるポーランド王として即位する時に、プロテスタントからカトリックに改宗しているのですが、上記エントリで触れられているように、その際王妃であったエーベルハルディーネは改宗を拒否し、プロテスタントを貫きます。ザクセンという町は、日本で言えば戦国時代の一向宗寺内町のように、敬虔なプロテスタントが多かった地域で、改宗などする人もほとんどいなかった街なのです。つまり、アウグスト2世の改宗には批判的な人たちばかりだったということなのです。その中でプロテスタントを生涯貫き通した王妃の死を悼み、学生から追悼礼拝の機運が生まれ、実行に際しバッハに作曲の依頼が来たというわけなのです。つまりは、カトリック風に言えばまさにレクイエムです。2部制になっており壮麗で最後見送る様子を舞曲で表現している様子は、どこかバッハの力の入れようを表わすように思うのは私だけなのでしょうか・・・しかも、学生からとなればそれほど高額なギャラはもらえないはずなのに、です。

2曲目の「いざ打てかし、願わしき時の鐘よ」は偽作とされていると言いましたが、実はバッハ全集が編集されたときにすでに偽作とされていたようです。そしてこれもどうやら葬儀用と言いますから、この第6集は全て葬儀のための音楽ということになるかと思います。

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1曲だけのカンタータですが、そもそもは何かのカンタータの一部だったようですし、成立には実際にはバッハも関与しているとの研究もあります。バッハが他人の作品を借りて作曲したカンタータの一部だったという可能性もありそうです。一応作曲者はゲオルグ・メルヒオール・ホフマンとされています。


3曲目の「消し去り給え、いと高き者よ、わが罪を」はモテットにカテゴライズされており、歌詞は詩編第51番なのですが、演奏を聴けば合唱をやられている人はまさか!と声を上げることでしょう。実はこの曲の作曲者は、イタリアの作曲家であるペルゴレージで、原曲はそのペルゴレージの「スターバト・マーテル」なのです。

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スターバト・マーテルがそもそも、「悲しみの聖母」です。イエス磔刑で亡くなった時に嘆き悲しんだ、聖母マリアのその悲しみを表現した曲です。そこにバッハは詩編第51番の歌詞を載せたというわけです。そのうえで細部で主に楽器を足して補強し、第12曲と第13曲を入れ替えています。

それにしても、なぜバッハがペルゴレージスターバト・マーテルを改作し、そこに詩編第51番の歌詞を載せようとしたのかが興味あります。詩編第51番の内容を見てみると、どうやらラテン語では都合が悪いのでそれに似た内容を詩編から採用したように感じます。

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それにしても、そもそもが違う歌詞なのによくぞ違和感がないなあと感心します。この辺りは、バロック時代の作曲家バッハらしいと言えるのかもしれません。原曲と聴き比べてもそれほど音符などが異なっているようには聴こえません。もしかするとペルゴレージがそもそも詩編第51番でも歌えるように作曲したのかと思ってしまいそうなくらい、ぴったりです。

実は、ペルゴレージとバッハとでは共通している部分もあり、それは新しいものを採り入れる柔軟性です。ペルゴレージは実はバッハよりは25歳年下ですが、バッハがこの曲を「書いた」時にはすでに故人です。スターバト・マーテルの成立が1736年。「消し去り給え、いと高き者よ、わが罪を」の成立が1746~47年頃と、実は10年程度しか離れていません。それがなぜなのかを考えた時、ペルゴレージの先進性しか考えられないのです。ペルゴレージは時代的にも実はバロックというよりはギャラント様式でもあり、「スターバト・マーテル」が作曲されたときは保守的な人達からは批判されました。バッハはそのような目にはあっていないものの、実は合奏協奏曲がほとんどなく古典的な協奏曲ばかりを書いています。この点からは、以前も言及していますが、バッハはバロックの大家であると同時に、新し時代を開いた作曲家でもあったことは明白なのです。特にヨハン・セバスティアン・バッハの息子たちは様式的にはギャラントであり、その典型がモーツァルトへと橋渡ししたカール・フィリップ・エマヌエルです。

その視点で考えますと、バッハは先進的であったにも関わらず夭折したペルゴレージを悼むために改作したという可能性もあると個人的には考えています。息子たちとあまり変わらない年でありながら、夭折した作曲家にどこか親近感を持っていたような気がします。虫子たちに重ね合わせているとも言えるように思います。だからこそ、「スターバト・マーテル」をモテットとして作り直したとすれば、自然なように思うのは私だけなのでしょうか。

鈴木雅明氏は特に変更などはしていませんが、どの曲であっても、悼む気持ちという点にフォーカスしているように思います。BWV198の第10曲の舞曲は、まるで葬礼の列のような印象を受けるような表現ですし、BWV53も、どこかさみし気な部分も感じる表現。そしてBWV1083も、哀しみがどう覆い隠してもあふれ出て来るような表現にフォーカスしています。それがバッハの編曲の肝だと言いたげに。常に楽譜からバッハの意図をくみ取ろうとする、学者でありつつも表現者である鈴木氏の、人間性に共感する演奏になっているように感じます。それにしても、よくぞ葬礼の音楽をこれだけあつめられるものだと感心します。この辺りはさすが鈴木雅明氏だと言えましょう。悲しい時に、この一枚で癒されそうです。

 


買ってきたCD
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ「公妃よ、さらに一条の光を」BWV 198
カンタータ「いざ打てかし、願わしき時の鐘よ」BWV 53(偽作:ゲオルグ・メルヒオール・ホフマン?)
モテット「消し去り給え、いと高き者よ、わが罪を」(詩篇第51番)BWV1083(原曲:ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージスターバト・マーテル」)
ジョアン・ラン(ソプラノ、BWV198)
キャロリン・サンプソン(ソプラノ、BWV1083)
ロビン・ブレイズカウンターテナー
ゲルト・テュルクテノール、BWV198)
ドミニク・ヴェルナー(バス、BWV198)
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン
(BIS 2181SACD)

※再生はmousePCにおいてPowerDVD及びTuneBrower 192kHz/32bitリサンプリング再生WASAPI排他モード、使用スピーカーはソニーSRS-HG10

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。