かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ミャスコフスキー シンフォニエッタ集

東京の図書館から、今回は府中市立図書館のライブラリである、ミャスコフスキーシンフォニエッタ集を収録したアルバムをご紹介します。

おそらく、このブログでは初登場となるミャスコフスキー。我が国ではプロオケではあまり演奏例がありませんがアマチュアオーケストラではたまにプログラムで見かける作曲家。ポーランド生まれの旧ソ連で活躍した作曲家です。

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元々ロシア人で、たまたま親の仕事の関係でポーランドに生まれた作曲家のようです。しかしながらその出自が、音楽に影響を及ぼしていそうな気配を感じます。少なくとも、このアルバムに収録された作品達を聴いている限りでは・・・・・

ミャスコフスキーショスタコーヴィチ越えの27曲もの交響曲を書いたシンフォニストなので、本来は交響曲を聴いて語るべき作曲家だと思っています。しかしながらまだ交響曲はほとんど聞いたことがないので、とりあえずシンフォニエッタで書いてみよう・・・・・そんな意図をもって借りた記憶があります。

ミャスコフスキーは生涯で3曲シンフォニエッタを書いていますが、ここにはそのうち中期から晩年にかけての2曲が収録され、さらにカップリングとして2つの管弦楽小品を収録。ミャスコフスキーの、少なくとも弦楽オーケストレーションがどんなものなのかを聴けるようになっています。

第1曲目のロ短調作品32-2。CDのクレジットでは「第1番」となっていますが特に番号が振られているわけではなさそうです。1929年にセレナード変ホ長調とフルート、クラリネット、ホルン、ファゴット、ハープと弦楽のための協奏曲ト長調の2曲と共に作品32を構成し、その2番目の作品となっています。しかしその実態は限りなくセレナーデに近いと言えます。そして静かな音楽はイギリス音楽家と見まごうかのようです。

第2曲目のイ短調作品68。1945~46年にかけて成立した作品です。4楽章をとっていますがこれも雰囲気としてはイギリス風セレナーデのような感じ。或いはドヴォルザークの弦楽セレナード。ある意味とても古典的な雰囲気すら感じます。晩年のミャスコフスキーはジダーノフ批判に晒されますがそれは1948年のこと。しかしその萌芽をミャスコフスキーは敏感に感じ取っていたのかもしれません。

最後の第3曲目、弦楽のための2つの小品は1939年に成立し、1945年に改定が行われましたが未完に終わった作品。そのためかウィキでは作品番号が付いておらず、CDのクレジットでは作品46BIS(未完という意味)が与えられています。どちらが本当なのかはなかなか判断しにくいですがあえて私はウィキの判断を採用しています。それは作品46は交響曲第19番変ホ長調にすでに与えられているからです。ただ、作品46は吹奏楽のための交響曲であり、管弦楽版へと編曲途中だったという解釈もできます。CDはそっちを採用しているのだと思います。

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それでも、ショスタコーヴィチなどと比べますと、いわゆるロシア的という側面があまり見受けられません。それはミャスコフスキーポーランド生まれということと関係があるのではと私は判断しています。ポーランドというと私の年齢に近い人ならどうしても旧東側とみてしまいがちなんですが、そもそもはロシアというよりは西欧と関係が深い東欧スラヴ民族の国家である、ということは念頭においていいと思います。

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お隣はドイツで、第2次世界大戦がドイツのポーランド侵攻から始まったことを考えれば理解できるかと思います。同時に反対のお隣がロシア(旧ソ連)。二つの国に挟まれた国なので、その二つの国の影響をうけた歴史となっており、文化もその両国の影響を強く受けています。

しかも、ミャスコフスキーが生きた時代、ポーランドはドイツと旧ソ連に分割され国家が無くなるという憂き目にも遭っています。そんな「生まれた国」を、ミャスコフスキーはどのような目で見ていたのでしょう。こうなると、交響曲はやはり聴きたくなってきます。

演奏するのは、ミッシャ・ラフレフスキー指揮クレムリン室内管弦楽団。この「クレムリン室内管弦楽団」というのがどんなオケなのかはよくわからないんですが、ナクソスでは東欧の作曲家たちの作品演奏で結構目にするオーケストラで、聞いていても堅実かつ透明感のある演奏をしています。秘めた中にどこか遠くに理想を見、憧憬しているかのような感じすら浮かび上がる演奏になっており、クレムリンという名前の割にはどこか作曲家に共感している節があります。その意味では今のロシアの政権に近い芸術家と比べますと雲泥の違いを見るのは私だけなのでしょうか?

おそらくこの音源、元はナクソスだったはずなのですが、それゆえか録音も素晴らしく、DSEE HXを動作させて聴いていますと、実に素晴らしい空気感が漂います。ミャスコフスキーという作曲家の、秘められた想いを掬い取るかのような演奏は、淡々とした音楽の中に情熱すら感じ、魂を揺さぶります。

欧米を批判するなら、やはりこういった演奏こそ、聴きたいものです。はたして今のロシアのオーケストラに可能か否か?交響曲を聴くのを待ちたいと思います。

 


聴いている音源
ニコライ・Y・ミャスコフスキー作曲
シンフォニエッタ第1番ロ短調作品32-2
シンフォニエッタ第2番イ短調作品68
弦楽のための2つの小品 作品46BIS(1945年改訂版)
ミッシャ・ラフレフスキー指揮
クレムリン室内管弦楽団

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