かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:クレンペラーとニュー・フィルハーモニア管弦楽団によるベートーヴェンのミサ・ソレムニス

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、オットー・クレンペラーが指揮したベートーヴェンのミサ・ソレムニスのアルバムを取り上げます。

ミサ・ソレムニスと言えば幾人かの作曲家が作曲していますが、最も有名なのがベートーヴェンというのも、また珍しいと思います。ベートーヴェンキリスト教には批判的だったと言われますので・・・

とはいえ、私自身はベートーヴェンがそれほどキリスト教を嫌ってはいなかったと考えるのは、以前も付言したことがあったかと思います。その証拠が、ミサ曲ハ長調の存在です。作品番号もつけられておりかつミサ曲では基本的な聖なる調とされるハ長調が選択されていることを鑑みますと、私自身はベートーヴェンキリスト教をに対し批判的だったとは考えにくいのです。むしろ批判的だったのは、教会、特にカトリックだったろうと考えます。

私自身がそうなのですが、私は基本仏教徒ですが、寺院、もっと言えば宗派には批判的な所があります。もっと原典、つまり経典を読んだうえで、仏陀が何を悟り、救いに赴いたのかが重要だと考えます。ベートーヴェンキリスト教に対して、イエスの受難の意味を聖書を読んで原点に立ち返るべきと考えていたようにしか見えないのです。

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その集大成が、ミサ・ソレムニスではないかと考えるところです。クレンペラーの解釈は、とても人間的な面があり、リズムが強調されたり、テンポが揺れていきなり速くなったりしています。それは神をあがめる人間の内面を表現しているように聴こえるのです。

最も重要なのは、サンクトゥスに於いて、その「サンクトゥス」の部分がppで始まっている点を、とても繊細に演奏している様子に見られます。モーツァルトあたりまでは、サンクトゥスは強い音、f以上の強さが当たり前です。しかしベートーヴェンはミサ・ソレムニスにおいては、そのサンクトゥスをまるで静謐さを表わすように小さい音で書いているのです。その点こそ、ベートーヴェンの宗教観だったのではという視点が、クレンペラーには満ち溢れています。

そして、そのクレンペラーの解釈に共感するかのように、オーケストラはついていきますし、合唱は力強く繊細でもあります。ネットでレビューを見ますと、音のクリアさがとか書かれていますが、私はPCにおいてTune Browserで192kHz/32bitにリサンプリングしてソニーのSRS-HG10をスピーカーとしてつないで聴いていますが、結構クリアです。確かに1965年の録音なのでステレオ初期ですが、しかしイギリスロンドンはキングスウェイ・ホールでの録音です。響き過ぎずいい音響だと思いますので、再生装置でかなり変わるのでは?という気がします。まあ、再生装置を択ばないのがいい録音ではありますが。

そして、この音源、一枚なんです。ベートーヴェンのミサ・ソレムニスと言えば、2枚組も珍しくないのですが、一枚に収めているのも特徴です。レコードの時代ではさすがに2枚だったとは思うのですが、CDの時代でも2枚組は珍しくないところに、一枚に収めるのもいいですね。私は図書館で借りてきてリッピングして聴くわけですが、その過程で二つに分かれてしまうものも少なくないのですが、初めから一枚だと全く分かれようがないので、演奏の魂をしっかりうけとることができるように思います。

クレンペラーの解釈を、ベートーヴェンキリスト教を嫌ってはいないというテクストで語られることはほとんどないと言ってもいいんではと思いますが、私自身はむしろクレンペラーの解釈は私とほぼ同じだろうと考えています。ベートーヴェンは決してキリスト教を嫌ったのではなく、権威としての教会を嫌ったのだ、という解釈です。つまり、むしろ教会がキリスト教の精神をゆがめているとさえ、ベートーヴェンは考えていたのでは?という解釈です。それだと、実は聴けば宗教的な部分も随所にみられるのに、他の作曲家と比べてミサ曲臭くなく聴こえることは整合性が取れます。

ベートーヴェンが生きた時代は、権威としての教会の力が衰え、人間が中心になっていく時代です。その象徴が政府であり、王であり、そして市民です。そして王権から市民革命へと至り、共和制国家が成立するという時代です。その過渡期、あるいは扉が開いた時代と言えるでしょう。同じ時期に交響曲第9番を書き、政府からは危険人物指定されていたベートーヴェンが、単にキリスト教が嫌いということは考えにくいですし、クレンペラーの解釈もその時代背景に即しているように思うのです。

王権はベートーヴェン以前は「王権神授説」によりその権威が支えられていましたが、時代が変わってむしろ教会の権威に頼らない方向に移行しつつありました。教会の権威に頼らない政府や王権を支持しつつ、未来は市民による共和制を描いていたのだとすれば、ミサ・ソレムニスは極めて整合性のとれる宗教曲だと言えるでしょう。クレンペラーの教養と見識の深さが、演奏に満ち溢れていると感じるのは私だけなのでしょうか・・・

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ミサ・ソレムニス 作品123
エリザベート・ゼーダーシュトレーム(ソプラノ)
マルガ・ヘフゲン(アルト)
ワルデマール・クメント(テノール
マルッティ・タルヴェラ(バス)
ニュー・フィルハーモニア合唱団(合唱指揮:ヴィルヘルム・ピッツ)
オットー・クレンペラー指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。