かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:テレマンのリコーダーと独奏楽器のための協奏曲集

東京の図書館から、今回は府中市立図書館のライブラリである、テレマンのリコーダーと独奏楽器のための協奏曲集のアルバムをご紹介します。

テレマンのリコーダー協奏曲は、このブログでも幾度か取り上げていますが、今回はその中でも、二重協奏曲が主に収録されています。リコーダーとバスーン、リコーダーとフルート、そしてリコーダー組曲です。

リコーダーとフルートのための協奏曲イ短調は有名な曲ですが、このアルバムには極めてバロック的な作品が収録されたと思います。協奏曲二つは4楽章制であり、古風な様式です。一方で組曲も舞曲の名前が入っており、まさにバロック時代の組曲です。

しかし、組曲の中には、舞曲ではないものも入っており、舞曲集というよりは舞曲が入った楽しみの曲という性格があり、時代の転換期を思わせます。

演奏は古楽ではなく、モダン楽器。リコーダーもフルートという名称ではないですし、フルートもトラヴェルソではなくモダンのフルートです。オーケストラもモダンの聖マーティン・イン・ザ・フィールズ教会アカデミー。録音が1961年ですから、まだ古楽演奏がヨーロッパでもメジャーではない時代です。テレマンの作品を、モダン楽器で出来るだけバロック時代に近い編成で演奏しようという試みになります。

それでも、編成的には大きいなあという印象もあります。特にリコーダー組曲ではその印象が強いです。協奏曲ではそれほどでもありません。おそらくですが、本来はそれぞれで編成が大きかったり小さかったりしたのだと思います。それでも、編成は変えているとは思いますが、それでも大きく聞こえるだけ、モダン楽器って発達した楽器なんですよね。

勿論、私達の耳はモダン楽器で鳴れていますので、これで違和感ありませんが、しかしバロック時代の楽器は今よりは性能で劣ります。なので大きくしたり小さくしたりは今よりももっと激しかったと思われます。交響曲などない時代で、オペラ以外の最大編成は協奏曲です。まだまだ、古楽研究が演奏にそれほどフィードバックされていない時代の演奏ですから、仕方ないと言えるでしょう。

それでも、聖マーティン・イン・ザ・フィールズ教会アカデミーなので、さすが生き生きとした演奏です。テレマンというバッハよりも古い時代の作曲家の作品も、聴きどころ満載であることを、演奏で証明してみせています。こういう点は、1960年代の録音とはいえ、考えさせられる演奏です。確かに、古楽モダンという差はあるけれど、演奏するという点において、大事なものは何かを問いかけるからです。

その大事なものというのは、モダンや古楽で差があるものなのか?ということです。作品が持つ魂をどれだけ掬い取れるのか。その魂を表現するために、モダンならどのような表現ができるのか。古楽器ならどうするのか。その違いが楽しめるのが現代という時代であり、私達は恵まれていると言えるでしょう。むしろ、現代だからモダンのみ!というのはちょっと寂しいなあという気がします。そもそもクラシック音楽のクラシックとは古典という意味。古典を味わうのだから、古典的な演奏があってもいいわけです。そのうえで、モダンな解釈も十分あり得ます。現代はモダン楽器の時代なのですから。これが歴史学とは異なり、クラシック音楽を楽しむ特権だと私は思います。歴史学だと、現代の尺度を当てはめるのは原則ご法度ですから。

これは、大河ドラマを見るのに、歴史に即していないからダメだ!というのと同じだと思います。たしかに、大河ドラマで史実にどこまで忠実なのかという部分において微妙なことはよくあります。ただ、あくまでも「ドラマ」なんです。ドキュメンタリーではない。そこをどこまでわかって見るのかで、楽しみ方は違ってきます。私は史実を知ったうえでドラマを見るので、そこは異なる部分を楽しんでいます。一番やってはいけないのは、例えば「ベルリン陥落」のようにさぞ史実と異なることが史実である!と言って強制することだと思います。それが史実とは違う!と発言したら強制収容所に入れられ死刑になるようなことはダメだということです。そんな社会を実現させてはいけません。

史実は史実です。これはそれを覆す史料が出てこない限り覆してはいけません。しかし、ドラマに於いては史実に則りつつも、表現を変えるようなことはしてもいいと思います。あくまでもドラマなので。NHKの場合、それをドラマの最後にゆかりの場所を取り上げることで、史実を伝えたうえで、物語の異なる部分を楽しんで下さいネということをやっています。特に今年の「光る君へ」の場合、史料が残っていない部分は演出で現代的なものも散見されます。これはドラマというものである以上、仕方がないことです。史実に完全に則ったドラマを作りたければ、要求する人たちがお金を出して、作るべきだと思います。それに共感し賛同して、協力する人はきっといると思います。それがクラシック音楽では古楽演奏です。古楽演奏をする人たちもパイオニアだったころは、いろんな批判をものともせずに信念のもと演奏することによって、市民権を得たのです。それが日本においてはバッハ・コレギウム・ジャパンだったり、テレマン室内管弦楽団だったりするわけです。

奇しくも、そのテレマンの名を掲げた楽団が、日本にあると言うこと、そしてそれが西の都大阪にあると言うこと。しかし、反骨の町大阪だけでなく、首都である東京にも、バッハの名を関した楽団があると言うこと。それがわが国ということ、なんです。この意味を、日本人の私達だからこそ、考える必要があるのではないでしょうか。

 


聴いている音源
オルグ・フリードリッヒ・テレマン作曲
リコーダー、バスーンのための協奏曲ヘ長調
リコーダー、フルートのための協奏曲ホ短調
リコーダー組曲イ短調
ミカラ・ペトリ(リコーダー)
ウィリアム・ベネット(フルート)
クラウス・トゥーネマン(バスーン
イオナ・ブラウン指揮
聖マーティン・イン・ザ・フィールズ教会アカデミー

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。