かんちゃん 音楽のある日常

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東京の図書館から~小金井市立図書館~パールマンとバレンボイム、ベルリン・フィルによるブラームスのヴァイオリン協奏曲

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を収録したアルバムをご紹介します。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲はヴァイオリン協奏曲の中でも有名な曲であるにもかかわらず、実は私はCDを持っていなかったのです。実は以前廉価盤で買おうと思って延期しまくった挙句、結局買えなかったです・・・

そのため、図書館の棚で見つけまして、迷わず借りたということになります。そして、この曲は成立に寄与したのがヨーゼフ・ヨアヒム。ブラームスハンガリー舞曲の編曲でも知られていますが、実はこの曲のカデンツァはヨアヒムが作曲しています。

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この録音はそのヨアヒムのカデンツァを採用。つまり、初演の香りがする演奏ということになります。おそらく、初演がヨアヒムなのでブラームスはわざとカデンツァを書かなかった可能性が高いでしょう。ブラームスはそもそもピアニストですしね。これ、ベートーヴェンと一緒なんです。モーツァルトが忙しくてカデンツァを書かなかった作品があるのとは異なり、あくまでも「餅は餅屋」という意識でカデンツァを書かなかったと考えるのが自然です。ブラームスベートーヴェンも共にピアニストなので自作のピアノ協奏曲はしっかりとカデンツァを書いていますので(ベートーヴェンの第5番「皇帝」を除く。これにはそもそもカデンツァが存在せず、せいぜいアインガング)。

つまり、ソリストは、名ヴァイオリニストであったヨアヒムの存在を感じながら、演奏するということになろうかと思います。その挑戦を今回しているのが、名ヴァイオリニストであるイツァーク・パールマン。私が好きなヴァイオリニストの一人です。

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ヨアヒムは現在の名ヴァイオリニストたちにつながる教育者でありましたが、パールマンはその系統からは外れたヴァイオリニスト。しかし、実は間接的には関係があって、ジュリアード音楽院時代に師事したのがイヴァン・ガラミアン。この人はモスクワ・フィルハーモニー協会附属学校においてレオポルト・アウアーの門人コンスタンチン・モストラスにヴァイオリンを師事した人で、そのアウアーはヨアヒム門下なのです。

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つまり、パールマンは遠い祖先のようにヨアヒムを感じているとも言えるのかもしれません。実際、パールマンが「しびれた」ヴァイオリニストの一人はヤッシャ・ハイフェッツ。そのハイフェッツはまさにヨアヒム門下のアウアーに師事した人です。

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こういう、様々な系統をパールマンは学んだということを考えるとき、その根っこにあるのはやはり彼が障害者であるということでしょう。単にユダヤ人ということだけではなく、さらにポリオによって下半身の自由を失ったということもあると思います。それはともすれば踏ん張りがきかないということを意味します。これ、私自身もリウマチになって気が付くのですが、人間の足などの下半身がいかに日常生活において重要な役割を果たしているかなのです。ヴァイオリンを弾くには、両足で踏ん張らないといけないはずですし、バランスも取らないといけません。それを、パールマンは椅子だけでやらなくてはなりません。これが意外と楽なように見えて難しいのです。腰だけで何とかなると思ったら大間違いなんです。バランスというのは、人間は体全てで取っているんです。当然、ヴァイオリンを弾くにも同様なんです。オーケストラでヴァイオリンを弾いている方は、よくわかるのではないでしょうか。座っていたとしても、体全体でバランスを取りながら演奏するのと、ほとんど体を動かさずに演奏するのとでは、その結果が全然異なるはずですし、それは表現にも関わります。

パールマンはその欠点を補うために、様々な指導者に学ぶ必要があったのだと思います。そのうえで基礎的な記述の裏付けをして、デビューしたのだと考えられましょう。品があり、華もあり、そして生命の躍動も感じられるパールマンのヴァイオリンは、そのようにして出来上がったと考えていいでしょう。

そのパールマンを支えるオーケストラは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。これ自体はあまり珍しくないですしパールマンがそもそもドイツ・グラモフォン専属だったことを考えれば自然なことです。ですが、ロケーションがシャウシュピール・ハウスなんです。実は、そこはベルリン・フィルの本拠地ではありません。シャウシュピール・ハウスは旧東独、東ベルリンだったからです。

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ここを本拠とするオーケストラは、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団。かつてはベルリン交響楽団と言いました。東西両ベルリンに同じ名前のオーケストラが存在するのがしばらく続いたのですが、西ベルリンにあるほうのベルリン交響楽団が財政的に厳しくなり、東ベルリンにあるベルリン交響楽団に名称変更を要請、応じて変更されたという沿革を持ちます。

ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団のほうが実はベルリン・フィルよりも歴史は長く、伝統もあるのですが、そのオーケストラの本拠地での演奏なのです。このシャウシュピール・ハウスは現在コンツェルトハウスと名称が変わっていますが(そのタイミングでベルリン交響楽団はコンツェルトハウス管に名称変更をしています)、実はシューボックス型のホールです。そもそもは、演劇やオペラが上演できるようなホールだったためです。ベルリン・フィルの本拠地ベルリン・フィルハーモニーはワインヤード型のホールで、日本のサントリーホールが参考にしたホールです。

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これは、シューボックス型とは異なる響きを持っており、ベルリン・フィルは滅多に演奏はしません。1944年から現在のフィルハーモニーが出来上がるまでは経験があるでしょうが、とはいえこの録音当時、どれだけその演奏の経験があるかと言えば未知数です。この録音が1992年、現在のフィルハーモニーが完成したのが1963年。30年ほどの時差があります。相当の年齢の団員じゃないと経験していないでしょう。ただ、来日公演などで日本のシューボックス型(しかも多目的ホール!)は経験があることが、この演奏に関して有利に働いた可能性はあるでしょう。そのせいか、特に弾きにくそうな様子は演奏からは全く聞こえてきません。

そして、指揮はダニエル・バレンボイム。ピアニストの割にはフレージングを大切にする指揮者ですが、バレンボイムという点も有利に働いているように感じます。バレンボイムも指揮者としてあるいはピアニストとして、世界のいろんなホールを回っています。その中には当然ですが日本のシューボックス型多目的ホールもあります。そして、パールマン自身も、実は幾度か来日公演の経験があることで、シューボックス型には慣れている三組がタッグを組んだと言えそうです。

その点では、日本のシューボックス型多目的ホールは残響という点ではいわゆる「いいホール」には劣りますが、決して欠点だけではないとも言えるでしょう。実は、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の初演はライプツィヒ・ゲヴァントハウスですが、その時代のゲヴァントハウスはまるで日本のシューボックス型多目的ホールだったのです。

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現在は3代目でとても残響のいい素晴らしいホールですが、1879年という時点では現在と全く異なる音響だったわけなんです。となれば、むしろベルリン・コンツェルトハウスのようなシューボックス型のほうが初演時に近い音響であると言えます。ヨアヒムのカデンツァと言い、徹底的に初演時を再現することにこだわった演奏だと言えます。むしろ、今というタイミングで図書館でこの音源に出会って聴くことが、私にとっては神様が定めた既定路線だったのかもしれません。シューボックス型多目的ホールからワインヤード式のサントリーホール、そしてシューボックス型で残響のいい杉並公会堂などのホールも経験している今だからこそ、この録音で全体を初めて聴く意味が理解できると思うのです。ブラームスがどこで誰が演奏することを念頭に置いて作曲したのか・・・その精神をどう受け取るのかと、演奏から問われている気がするのです。そして、演奏からは「多目的ホールだからと言って食わず嫌いにならないほうが精神世界は豊かなんだよ」と教えられている気がします。

 


聴いている音源
ヨハネス・ブラームス作曲
ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
イツァーク・パールマン(ヴァイオリン)
ハンス=イェルク・シェレンベルガーオーボエ・ソロ)
ダニエル・バレンボイム指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

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