かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:「雨の歌」ライヴ

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、庄司紗耶香とメナヘム・プレスラーによる「雨の歌」ライヴのアルバムをご紹介します。

私が幼少のころは、庄司紗耶香と言えば新進気鋭のヴァイオリニストでしたが、今やすっかりベテランですね。巨匠とまでは言わずとも、その名を聴けばやはり期待してしまいますね。

ja.wikipedia.org

www.universal-music.co.jp

そんな庄司紗耶香が演奏するこのアルバム。大ベテランのプレスラーをピアニストに迎えてのコンサートを収録したのがこのアルバムです。庄司紗耶香たっての依頼で実現したコンビなんだそうです。

store.universal-music.co.jp

CDを借りたときには、サントリーホール鎌倉芸術館の二つのホール名が記載されており、いやあどの曲がどのホールで収録されたんだろう?とわからなかったんですが、上記ユニヴァーサルのサイトを見ても2014年4月ということまではわかっても、詳細は分からなかったので、恐らく二つのホールで収録した演奏を組み合わせているんでしょう。曲ごとまとまっているのかそれとも楽章ごとで混ぜているのかまではわからないのですが。どうやら、2014年のツアーはこのほかに大阪のいずみホールでも行われたようなので、そのツアーを記録する、という意味があると思います。私の予想では、前半が鎌倉芸術館ブラームスとアンコールがサントリーホールだと予想しています。拍手の響きが若干違うんですよね。

収録されているのは、以下の通り。

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調K.454
シューベルト:ヴァイオリン・ソナタ イ長調D574
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調作品78「雨の歌」
ドビュッシー亜麻色の髪の乙女(アンコール)

ほぼこの曲順で、ツアーは行われたようです。アンコール以外の3曲は、調べてみると面白いことがわかります。それは、「音楽史に沿っている」ということです。それは作曲者を見ればそうじゃないの?と言われるかもしれません。勿論、それはおっしゃる通りなのですが・・・・・

私が言いたいのは、「ソナタ」というジャンルが成立する過程が、この曲順だとまるわかりだ、ということなのです。そのうえで、味わい深い作品を並べてきた、ということなんです。

モーツァルトのK454は、まだ3楽章という古い様式の中にいるものですが、和音などはすでにベートーヴェンの時代が見え隠れします。

ja.wikipedia.org

ウィキでは「第40番」となっていますが、どうも最近の研究では偽作などいろいろわかってきているため、この公演では番号を振らずにいるようです。むしろウィキの記述で重要なのは、「初演は同年の4月29日に行われ、この時は皇帝ヨーゼフ2世が臨席していた。同年夏に第6番(K.284)、第13番(K.333)と共に作品 VIIとしてまとめて出版され、本曲は「クラヴィーアソナタ、ヴァイオリン伴奏付き」と表記された。本作品はストリナザッキの演奏能力を十分に尊重した上で、従来の「ヴァイオリン伴奏付きのピアノソナタ」から進歩してヴァイオリンがピアノとほぼ互角に渡り合うように配慮している(ただしモーツァルトの自作品目録では、本曲を含む「ヴァイオリンソナタ」は上記の名称で記されており、本格的にヴァイオリンがメインとなるのはベートーヴェンなど19世紀以降である)。」という部分です。

古典派以降では、ソナタと言えばピアノ単独でない限り、ピアノと独奏楽器による協奏作品、という位置づけです。つまりは対等であるわけですが、モーツァルトの時代はまだピアノが主であり、独奏楽器は従である、ということなんです。モーツァルトもその様式を念頭に置きつつも、実は対等にしている、ということなんです。なぜ庄司紗耶香がベートーヴェンではなくモーツァルトを持ってきたか、なんとなく予想できる感じがします。

二人の演奏が実に楽しそうで、生き生きとしているのが手に取るようにわかります。1プロということもあるでしょうが、それにしても冒頭から二人の息がぴったりとして、一つに昇華されているのは絶品です!

続くシューベルトは、「ソナタ」が様式として完成された時代の作品。ゆえに4楽章です。しかし、シューベルトはしっかりとしたヴァイオリン・ソナタは書かなかったようで、私のCDDBには「post.」という記載が入っています。postにはいろんな意味がありますが、総合すれば「ソナタのような」という感じでしょうか。そんな感じは一切しないんですけどねえ。そこがベートーヴェンシューベルトを称賛したという理由なんでしょうね。

ja.wikipedia.org

ベートーヴェンの先進性を受けて、新しい「ソナタ」を完成させてやろう!という若きシューベルトの意欲が感じられる作品で、演奏も庄司紗耶香の流麗かつ生き生きとし、溌溂とした演奏に、堅実なプレスラーのピアノが絡み合い、聴いていてついリズムをとって体が動いてしまいます。

最後のブラームス。これがメインだからこそ「雨の歌」ライヴと銘打っている、ということになるかと思います。ブラームスは完全に古典派を経てソナタという芸術が固まった時代に作曲されたものですが、実は3楽章形式をとっています。なぜそんな古典的な様式を取ったのか、ですが、どうやら親交していたクララ・シューマンの息子フェリックスの死が関係しているようです。

ja.wikipedia.org

ですがウィキにある通り、この曲が「雨の歌」と題されているのは、最終楽章にブラームスが作曲した歌曲「雨の歌」の旋律が用いられているからで、しかもそれはブラームス命名したものではないそうです。一方でブラームスが最終楽章に自身の歌曲から旋律を採ったのは意味があるようで、歌曲「雨の歌」の歌詞がブラームスにとってはセンシティヴなものだったようです。

ontomo-mag.com

ドイツ語にも方言があることを、私はこの説明で知りました。なるほどねえ、と。我が国でも方言って、或る種ノスタルジーを感じるものではないでしょうか?地方にそのまま住んでいる人にとっては日常ですが、地方から都会へ出た人にとっては、自らのアイデンティティを感じるのが方言ですから、ブラームスも同様な気持ちを持っていたとしても不思議ではありません。そしてこのブラームスをメインに持ってきたのは偶然ではないと思っています。それはピアニストのプレスラーの出身がマクデブルクであり、それはブラームスが生まれたハンブルクと同じ北ドイツであり、位置も近い、ということが挙げられます。

www.amati-tokyo.com

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

このコンサートでプレスナーがピアニストなのは庄司紗耶香たってのことだったと述べましたが、それゆえのメインだった、と言えるでしょう。聴いていて、二人で味わっているように聴こえます。そして味わっているのを楽しんでもいるように聴こえるんです。常に歌う庄司紗耶香のヴァイオリン、サポートするプレスナーのピアノ。ブラームス交響曲ばかり聞いていますとつい、ブラームスがとてもセンシティヴな人だったということを忘れてしまいますが、この二人の演奏はブラームスの芸術の本質を思い起こさせてくれます。

コンサートに行けた人は幸せだったろうなあと思います。上質かつ、喜びに満ちた時間が過ぎていく・・・・・最高です。CDだけでは貧弱なオーディオだと空気感などはなかなか感じられないところですが、リッピングしてかつソニーのMusic center for PCでDSEE HXを動作させて聴きますと、空気感が半端ない!このアルバムを購入した小金井市、あっぱれです。そういえば、庄司紗耶香は国分寺市出身。そんな背景も、このアルバム購入に至った理由かもしれませんね。小金井といい府中と言い、結構地元に関係するCDは所有していますから。そういえば神奈川県立図書館も、横浜市歌川崎市歌を収録したアルバムを持っていますね。図書館とは本来、こういった地元にまつわる資料を収集、保管し、市民に供するのも設置目的の一つです。客の入りがいいとはいえ、はたして蔦屋図書館はその役割を果たすことができるのでしょうか・・・・・このCDを聴きますと、強烈に感じます。

 


聴いている音源
「雨の歌」ライヴ
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調K.454
フランツ・シューベルト作曲
ヴァイオリン・ソナタ イ長調D574
ヨハネス・ブラームス作曲
ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調作品78「雨の歌」
アンコール
クロード・ドビュッシー作曲
亜麻色の髪の乙女(編曲:アーサー・ハートマン)
庄司紗矢香(ヴァイオリン)
メナヘム・プレスラー(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。