今回のマイ・コレは、モーツァルトの協奏交響曲を取り上げます。ヴァイオリンとヴィオラ、そしてヴァイオリンとピアノです。ヴァイオリンが五嶋みどり、ヴィオラが今井信子、エッセンバッハ指揮・ピアノ、北ドイツ放送交響楽団の演奏です。
以前からも時々言及している協奏交響曲ですが、それを知ったきっかけがこの一枚です。当時ネット上でお付き合いがった友人からご紹介いただいたのが購入のきっかけです。ほぼ10年くらい前になります。
モーツァルトの時代、パリを中心に流行っていたのが協奏交響曲というジャンルで、基本的には今日でいう協奏曲の内容に繋がるものです。
ウィキの以下の項目では「18世紀における交響曲の一つ」と説明がありますが、これは協奏曲の誤りです。交響曲の一つとなるのはむしろ後期ロマン派以降、現代にいたってからです。
協奏交響曲
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%94%E5%A5%8F%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2
なぜなら、18世紀の場合、必ず3楽章でさらに独奏楽器が付いた協奏曲であって、内容的に交響曲であるものを協奏交響曲と呼んだからです。
モーツァルトの時代、協奏曲の構造にはバロック風が残っていました。つまり、独奏楽器が演奏している時にはオケが休み、オケが演奏している時には独奏楽器が休むというものです。それがだんだん崩れてきたのがこの時代で、特にそのきっかけになったのがこの協奏交響曲と言ったジャンルだったのです。
すでにその萌芽はバロックで見られていまして、あのヴィヴァルディの「四季」こそそうなのです。協奏交響曲はそういった歴史の上に成立したジャンルなのです。
しかも、当時の協奏交響曲は複数楽器がヴィルトゥーソを競う(つまり、セッションする)ものを協奏交響曲と呼びました。だからこそ、ジャンルとしてはベートーヴェン以降の協奏曲へとつながるものであって、決して交響曲ではないのです。20世紀になって、交響曲が協奏曲的になってきてから、交響曲のジャンルへと数えられるようになったのです(ですので、私はハイドンのものが交響曲に入っているのには異を唱えます)。
つまり、この説明はそういった歴史的背景がすっ飛ばされているということだけは、留意する必要があります。しかし、それ以外はウィキの説明で事足りると思います。
さて、モーツァルトは協奏交響曲をいくつか作曲していますが、完全な形で残っているのは一つしかなく、それがこのCDに収録されている「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調K.364(320b)」です。これ以降の作曲家は二重協奏曲として作曲しているものを、モーツァルトはあえて協奏交響曲として作曲しました。
実際、モーツァルトは二重協奏曲も幾つか作曲していますし、完全な形で残っているのはそちらのほうが多いのですが、ヴァイオリンとヴィオラだけは協奏交響曲としてのみ残されています。モーツァルトはヴァイオリンも優れた演奏者でしたが、そのせいかは今となってはわかりません。
ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 (モーツァルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E5%8D%94%E5%A5%8F%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2_(%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88)
K.364 (320d) ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調
http://www.marimo.or.jp/~chezy/mozart/op3/k364.html
そういった背景を、二人の演奏者はよく知ったうえで演奏しています。特に、協奏交響曲では後にパガニーニが使うスコルダトゥーラという調弦法(これからしても交響曲とは言いがたく、「モーツァルト事典」では協奏曲にカテゴライズされていまして、交響曲にははいっていません)がヴィオラ(これもモーツァルトが得意とした楽器でした)に指示されています。これがとても艶のある音楽となっていまして、それにあいまって繊細でかつ大胆な二人のタッチが素晴らしい効果を演出してます。
ヴァイオリンとピアノは、まさしくモーツァルトが得意とした楽器ですが、第1楽章の途中までしか残されておらず、このCDでは音楽学者のフィリップ・ウィルビーによってなかば作曲されたものが演奏されています。なぜならば、ヴァイオリンとピアノのものは120小節しか残されなかったためです。しかし、古典派の時代は形式が決まっていること、そして和声学には転調において法則というものがあることから、再構成したのがこのCDの演奏です。しかし、さすがに第2楽章以降はモーツァルトのソナタから転用しています。
K.Anh.56 (315f) ピアノとヴァイオリンのための協奏曲 ニ長調 (断片)
http://www.marimo.or.jp/~chezy/mozart/op7/k315f.html
これを聴きますと、私は実はモーツァルトがピアノ協奏曲の初期に行なったことを思い出します。第1番から第4番までは、他人の旋律、主にソナタを使ってそれを協奏曲へとアレンジすることで協奏曲とは何かを学んでいきました。それと同じことが、このヴァイオリンとピアノでは学者によって行われた、ということなのです。ブックレットでもこれがオーセンティックなモーツァルトとは言えないがという言葉がありますが私もおなじ印象です。しかしそれは第1楽章であって、第2楽章以降はもとはモーツァルトの作品なのです。モーツァルトがピアノ協奏曲第1番から第4番までで行ったことを再び学者がやっただけです。
ですから、第2楽章と第3楽章のほうがモーツァルトらしい音楽になっています。そのものなのですから。
全体的にはその点がよく考え抜かれた演奏です。必要以上に重くすることなしに、常に軽めの演奏を心がけ、このもともと不完全であったものを気品ある完全なものへと変化させています。
こういった演奏を聴くことは勉強になるだけでなく、とても幸運だと思います。もしこの演奏を聴いていなかったら、神奈川県立図書館から借りてきた音源の、ピアノ協奏曲第1番から第4番までをきちんと聴けたか、わかりないと思います。単につまらないと思っていたかもしれません。
私にとって、この二つの曲はヘビーローテーションであるだけでなく、モーツァルトを理解するために必要なツールともなっています。
聴いているCD
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲
ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調K.364 (320d)
ヴァイオリンとピアノのための協奏曲ニ長調K.Anh.56 (315f)(フィリップ・ウィルビーによる完成版)
五嶋みどり(ヴァイオリン)
今井信子(ヴィオラ)
クリストフ・エッシェンバッハ指揮・ピアノ
北ドイツ放送交響楽団
(Sony Classical SRCR 2595)
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