かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

音楽雑記帳:ラ・フォル・ジュルネTOKYOのあるべき姿とは?

音楽雑記帳、今回は先日聴きに行きました、ラ・フォル・ジュルネTOKYO2023をふり返りつつ、今後のあるべき姿を考えてみます。

そもそも、ラ・フォル・ジュルネとは何かと言えば、フランスで行われているクラシック音楽の音楽祭で、その日本版です。ラ・フォル・ジュルネとは「熱狂の日」という意味を持ちます。

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モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」は、当時の価値観をひっくり返す脚本だったことは意外と知られていません。モーツァルトベートーヴェンに比べますと改革者という意味付けが低いのですが、しかし音楽史、あるいは社会史を考えた時にはとても重要な役割を果たした作曲家です。ベートーヴェンモーツァルトの音楽には軽薄さを感じていたとはいえ、その作品を熱心に研究し、そして隠された「意図」に気付いた一人だったのです。

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軽薄だとか言われるモーツァルトがなぜ、価値観をひっくり返すと言われるボーマルシェの脚本を元にオペラを書こうとしたのかと言えば、モーツァルト自身が当時の音楽界では低く見られており、それが自身の低い階級にあることを十分理解していたからです。その意味では我が国ではあまりにもモーツァルトは軽く見られすぎだと言えるでしょう。

ラ・フォル・ジュルネの基本方針である「クラシック音楽の裾野を広げ、その素晴らしさを老若男女あらゆる人々で分かち合い民主化する」というのには私自身とても共感しますし、だからこそ今年はベートーヴェンでもあった、と言えるでしょう。コロナ以前ではモーツァルトも取り上げており、私自身行く予定でいましたが予定がなかなか合わなかったというのがあります(特にゴールデンウィークなのが・・・・・サービス業はつらいよってところです)。

そもそも、コンサート会場は「分かち合いの場」でもあります。全く見知らぬ人たちが同じ演奏を聴き、感動する場がコンサートであると言っていいでしょう。ある意味、ラ・フォル・ジュルネはその原点に立ち返った音楽祭だと言えるのです。

そして、オーケストラだけなく、室内楽の演奏や独奏演奏があったり、マスタークラスがあったりするのは、まさにコンベンションと言ってもいいでしょう。その意味では東京国際フォーラムという場所はそもそもコンベンションセンターという意味合いもありますから、適していると言えます。今年は広場での「熱情」サックス版は楽しかったです。素晴らしい演奏でしたが時間と健康状態の都合上私は途中で帰りましたが、本来なら外で立っていても聴きたかった演奏でした。

そういったコンベンションとしての役割は素晴らしいのですが、時として演奏の質という意味では、考えさせられる点がありました。この東京においては、有楽町を中心にして東京という街にいかに人を惹きつけるか、という側面も持っています。ゆえに中心は三菱地所ですし、そして協賛にはかつて丸の内に本社のあったJR東日本東日本旅客鉄道)が噛んでいます。実際東京国際フォーラムから見れば通りを経て反対側の「丸の内オアゾ」でも無料のコンサートが行われていたのはそこがもともとJR東日本の本社があった場所であり、さかのぼればJRが公社であった国鉄の本社があった場所だからです。

丸の内オアゾと、国際フォーラム近辺のいわゆる「三菱村」において無料のコンサートもたくさん開かれており、タイムスケジュールも現地では配られています。まさにお祭りそのもの!私などは父の田舎の祭りである御柱において出ている出店のような雰囲気を感じました。お酒を飲んでいる人も結構いましたし。

それはとてもいい雰囲気ですし、人が集まってくることにとっては素晴らしい「装置」だと思うのですが、一方で先日アップしたエントリで言及しましたように、ホールがコンベンション対応であるがゆえに、クラシック音楽を聴くには曲によっては満足できないものもあります。

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上記のコンサートはソリストやオーケストラもプロですので悪かろうはずがないんですが、クラシックを聴きなれたものからしますと、アインザッツにおいてはもの足りなさを感じてしまったのもまた事実です。一方、その2日後に聴きに行きましたコンサートでは全くそん色なかったのも事実です。

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コンベンションという側面にとらわれすぎて、音楽が持つ生命力は失われる懸念はないのか?と感じてしまったのです。第九という大編制では本当に素晴らしい演奏なのですが、三重協奏曲だとただ単に美しいだけになってしまいます。それははたして本当の意味で「クラシック音楽民主化」が果たせるのでしょうか?

その意味では、たとえば川崎の音楽祭である「フェスタ・サマーミューザ」が参考になるのでは?と思っています。フェスタ・サマーミューザにおいてはメイン会場はミューザ川崎ですが、実は市内のいろんな場所で行っており、その一つには川崎駅からはかなり離れた、小田急新百合ヶ丘駅前の「テアトロ・ジーリオ・ショウワ」が会場になっているコンサートがあります。

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サマーミューザを参考にするとすれば、たとえばメイン会場はあくまでも有楽町の東京国際フォーラムで行い、場合によっては近隣のホールも使うという選択もあるのでは?と思います。JRに関係する場所であれば小金井宮地楽器ホール(隣の駅東小金井に貨物ヤードがかつて存在)、あるいはオリンパスホール八王子(まさにかつて貨物ヤードがあった場所)もあるんです。小金井市や八王子市では遠いのであれば、なかのゼロホールもありますし、山手線の内側なら文京シビックホールもあります。錦糸町にはすみだトリフォニーホールもあります。

そういった都内や都下のホールも巻き込んでもいいような気がするのです。特に多摩地域には素晴らしいホールが目白押しです。三菱色が強いのでどうしても有楽町から離れられないのでしょうが・・・・・

今回は室内楽の演奏を聴く機会がなかったのですが、室内楽などが行われるホールBだと、どのような響きだったのかというのは興味深いです。思い切って室内オーケストラでも交響曲が演奏できることを示しつつ、実はとても楽しめるコンサートなのだということを示してもよかったのでは?と思います。

一度行きますとわかるのですが、本当にいろんなイベントが開催されているんですよね~。対談が行われていたりもしますし、一日券を買って楽しみ倒すほうが絶対に楽しいと思えます。その意味では東京国際フォーラムが適していると思いますが、しかしそれがゆえにもともとクラシック音楽を聴きなれた人は足が遠のかないか?という懸念を私は持っています。もちろん、裾野を広げるという意味においてはとても素晴らしい音楽祭であることは間違いありません。方向性は正しいと思っています。私が何年かけてブログでやって来たことを一日でやってしまうんですから。さすが三菱の資本力だと思います。

ですが、こういった音楽祭はリピーターも必要です。首都圏から皆地方へ出掛ける、あるいは東京周辺へ遊びに出かける時期に、むしろ都心へ来る機会を作ることは都心に常に活気をもたらすと思います(だからこそJR東日本は協賛していると考えます。東京へ地方から来るという理由になりますし、上下線ともに利用があるためです。この辺りは鉄道解説系youtuber鐵坊主氏は避けていますね)。如何にリピーターを増やしていくかを考えると、単に楽しいと思わせるだけではなく、そもそも「クラシック音楽を聴くことは喜びなんだ!」という気づきが大事だと思います。如何に今後も楽しさだけでなく「音楽を聴く喜び」をクラシック音楽というジャンルで果たせるかが、リピーターが増えるかどうかだと思います。

その意味ではやはり、来年も足を運ぶ必要がありそうです。はたして私自身できるのかは非常に微妙なところですが、できれば来年も足を運び、定点観測のような形にして、毎年恒例とできればいいなあと思います。

 


地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。