かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:プレトリウス テルプシコーレ舞曲集

東京の図書館から、今回は府中市立図書館のライブラリである、プレトリウスのテルプシコーレ舞曲集を収録したアルバムをご紹介します。

プレトリウスという作曲家は、クラシックファンの間ではそれほど知られている作曲家ではないのでは?と思います。むしろ天文学が好きな人のほうがご存じかもしれません。なぜならば。彼の名からつけられた小惑星があるからです。

ja.wikipedia.org

時代としては16世紀~17世紀ですから、バロック期よりも前、ルネサンス期の作曲家です。ルネサンスと言えばイタリアという印象が強いと思いますが、あくまでもそれは中心地だったというだけで、ルネサンスの文化はヨーロッパ中に広がっていました。ですのでプレトリウスが生きたドイツでもルネサンス文化が花開いていてもおかしくない、ということになります。

現在残されている作品のほとんどは教会音楽だと言われ、世俗音楽は一つだけしか残されていないとされています。一つしか作曲しなかったのかと言えば私はそう思っていませんが、体系的に残されたものは一つしか残らなかった、ということではないでしょうか。実際プレトリウスが活躍したのはドレスデン宮廷(神聖ローマ帝国)だったということを考えれば、教会音楽だけというのは考えにくいからです。ただ、この時代は王権神授説の時代ですから、宮廷とはいえ、音楽の中心が宗教がらみであることは容易に想像できるでしょう。

なのでプレトリウスと言えばプロテスタントのための音楽というのが一般的のようなのですが、その中で唯一の世俗曲というのが、今回ご紹介するテルプシコーレ舞曲集なのです。上記ウィキペディアの中では「舞曲集『テルプシコレー』」と記載されているのがそれです。

以下に、借りてきたCDに記載のあったトラック名を挙げておきますが、実はリッピングするともっと多くの舞曲の名前が出てきます。一つの楽曲に二つの舞曲名が記載されていることもしばしばで、この舞曲集は明らかに、宮廷での実用音楽であると考えていいと思います。なぜなら、舞踏会で踊られるダンスが一つの音楽とは限らないから、です。

クラシック界隈でダンスと言えば、ウィンナ・ワルツのように一つの舞曲を想起しがちなのですが、舞曲はそもそもは階級の上下関係なく広く踊られるものですし、一つだけで終わることは珍しく、いくつか組み合わされることも多いのです。テンポが変化することもしばしばです。聴いていて明らかに「これは実用音楽だな」と感じるのはテンポやリズムが変化する曲も多いことで、この時代宮廷とはいえ、世俗となるとあまり変化がない、もっと言えばその差は私たち日本人から見ればかなり小さい差でしかない、ということに気が付きます。権威や階級には大きな差があったにもかかわらず、です。

その差とは、「厳かなものがあるかどうか」。たったこれだけです。或いは楽器編成とかです。例えば、第8曲ではラッパが入りますが、これは宮廷だからこそです。金属でできた楽器など庶民は使えませんから。もっと編成は簡素で、ギターなど庶民でも手が届きやすい楽器一つだけとかに留まります。しかし宮廷はそれ以外にさらに楽器が加わるわけです。これが宮廷の「権威」なのですね。

そう考えると、なぜ後期ロマン派で編成が大きくなっていったのかは、理解しやすいわけなのです。それが市民革命を経て音楽が「庶民化」したということなのです。ベートーヴェンが最新楽器で作曲をしたり、ロマン派の作曲家が大編制の交響曲を書いたりしたのにはそういった「王権から市民へ」という歴史が背景にあるのですね。

プレトリウスの音楽は現代の私たちからすれば素朴な音楽なのですが、しかしそれでもこの「テルプシコーレ舞曲集」は比較的宮廷の音楽を伝えるものとなっているわけなのです。それは当時の社会を理解しないと難しいと思います。

演奏するのは、イギリスのニュー・ロンドン・コンソートで、指揮はフィリップ・ピケット。ピケットはそもそもリコーダー奏者であり、その彼が設立したのがニュー・ロンドン・コンソートでした。

ja.wikipedia.org

この楽団とピケットが広めたのが、まさに今回ご紹介しているルネサンス音楽の魅力であり、そしてその代表的作曲家が、プレトリウス。聴いていて団員が楽しんでいるなあと感じる部分が随所にあり、自然と魂が喜んでいるのが自分でもわかるんです。しかも、ソニーのMusic center for PCでDSEE HXを作動させて聴きますと、きらびやかな空気すら感じるのですよね。その時代で限られた編成でいかに権威を示すのか、そして権威を示しつつも楽しい雰囲気を出すにはどうすればいいのかが、演奏から自然と想像できるのがこの演奏の素晴らしいところ。そして舞曲が宮廷において、一つのコミュニケーション・ツールだったことも想像できるのも素晴らしい点です。

舞曲とは何ぞや?というときにダンス用の曲でしょ?と多くの人が答えると思います。それは間違っていませんが表面的だともいえます。ダンスとは身分の上下に関係なく、一つのコミュニケーションツールです。その場のひとたちを一つにまとめる役割りだったり、知らない人同士が分かり合える手段です。戦争が多かった中世ヨーロッパにおいて、宮廷にてダンスが果たす役割とは、相手のことを知ることです。そのことにより関係性を深め、理解し、いさかいを避けようとするための手段が舞踏会です。それは庶民がいさかいを避けようとして民謡を元に踊るのと実は構造的になんら変わりがないわけです。その踊るということを一つの装置として、権威付けに使ったのが舞踏会であり、その場で必要とされたのが舞曲、というわけです。

そして、神聖ローマ帝国において発展した舞曲は、やがてバッハで芸術の高みへと昇らされ、それは市民革命を経て、クラシック音楽の伝統として受け継がれ、市民化していくのです。その伝統は、ジャンルを超えて広がり、世俗音楽の現在究極系と言っていい、ロックやポップスでも同じように踊れるような作品が生み出されていることにつながっているのです。

この演奏はそんな音楽史を踏まえて、実に踊っているようにすら感じられるのです。楽しんでなんぼ、踊れてなんぼ、と。ルネサンス期の舞曲が果たした役割を考えれば自然な流れだと言えるでしょう。その意味では、我が国では伝統とか言うときに盆踊りとかを真剣に取り入れた作曲家が少ないことは、懸念すべきことだと思っています。勿論取り入れた作曲家はいますが、あまりクローズアップされていないような気がするのです・・・・・例えば伊福部昭とか、です。伊福部の音楽はあまりにもゴジラだとかがクローズアップされるのですが、一方で伊福部は、生まれた北海道の民謡などにインスパイアされた作品も多いことは触れられていないような気がするのです。或いは、小山清茂の「管弦楽のための木挽歌」とかです。私が小学生や中学生の時には必ず副読本などで紹介されていたのが小山清茂の「管弦楽のための木挽歌」なのですが、なぜ教科書などで取り上げられていたのかは、大人になってルネサンス期の音楽を聴いて初めて理解できるんですね。

ja.wikipedia.org

音楽史を俯瞰した時、小山清茂の「管弦楽のための木挽歌」は実に、クラシック音楽の歴史に立脚した作品なのだと痛感させられるのです。さて、現代の私たちは歴史の恩恵を受けていますが、そのありがたみをどこまで理解しているのか。このアルバムを聴きますと、私自身省みないといけないなあと反省させられます。

 


聴いている音源
ミヒャエル・プレトリウス作曲
テルプシコーレ舞曲集
 パッサメッツォ
 ブーレ
 燭台のブランル
 ブランル・サンプル/ブランル・ゲ/ブランル・ドゥブル
 村のブランル
 フィル―
 魔法使いのバレー~王女のバレー~バレー~王女のバレー
 バレー~バッカナールのバレー~水夫のバレー~鶏のバレー
 燭台のブランル
 スペインのパヴァーヌ~スパニョレッタ
 コルネットのためのパッサメッツォ
 クーラントM.M.ヴェストロワ~クーラント~戦争のクーラント
 サラバンド
 太鼓のヴォルト~ヴォルト~ヴォルト~戦争のクーラント
 ヴォルト~ヴォルト~ヴォルト~ヴォルト
フィリップ・ピケット指揮
ニュー・ロンドン・コンソート

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。