かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:シュポア ヴァイオリンとハープのための作品集2

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、シュポアのヴァイオリンとハープのための作品集を取り上げていますが、今回はその第2集です。

この第2集では、どちらかと言えばシュポア夫妻に加えてさらに友人たちが加わったような編成の作品が中心に収録されています。その意味ではラディカルさは多少薄まっているといえるでしょう。

それでも、その中に女性がいるということだけで、当時は十分ラディカルだったはずです。そういうことを、本場の人たちは知っているんですね。だからこそシュポアも演奏されるわけですが、翻って我が国は、どうもファッションでしかないような気がします。

だからこそ逆にシュポアには精神性がない、あるのはベートーヴェンブラームスブルックナーだ!とか言っちゃうんですよねえ。困ったもんです。芸術を作り上げる人のどこに精神性がないんですか?考えればわかる話です(私の職場風で言えば「常識で考えろ」)。なくてどうして芸術が紡げるでしょうか。

むしろ、欧米の作曲家たちの根底には、常に「霊性」というものがあるように思えます。魂と言い換えてもいいかもしれませんが・・・・・あえて、「霊性」という言葉を使いたいと思います。他者への共感だったり、連帯だったり・・・・・そういったことを「霊性」と呼ぶのですが、その「霊性」こそ、音楽の本質であるように思うのです。

この第2集にある作品もそういった「霊性」から紡ぎだされたものが多いように感じます。「ヴァイオリンとハープのためのソナタ・コンチェルタンテ ニ長調」の第2楽章は、モーツァルトの「魔笛」の旋律を使っていますが、まるでシュポア夫妻がその旋律を使って楽しんでいる様子すら目に浮かんできます。

また演奏がそうさせるのでしょうけれども。この第2集でも歌うヴァイオリンとハープ。第1集を聴いた限りではもっと歌ってもいいと述べましたが、この程度でちょうどいいのかもしれません。過度に歌いすぎれば今度は普遍性が失われる可能性すらある・・・・・そもそも、この作品たちは「楽しむことにより連帯を深める」ことが目的であり、ひとことでいえばフェローなんですよね。その「フェロー」という点に着目すれば、実にいい塩梅の「歌」であることに気付かされます。

こういう演奏を聴きますと、ますますシュポアは聴きたくなるんですが・・・・・・うーん、どうしたものですかねえ。DLあるいはストリーミングの時代なのですから、思い切ってリスクをとってもいいような気はするんですけれど、まあ、現場としてはそう簡単にはいかないんでしょうねえ。演奏の少なさは本当に残念です。私自身がヴァイオリンなどを弾けるのであればぜひともライフワークにしたいところなんですが。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・シュポア作曲
ヴァイオリンとハープのためのソナタ・コンチェルタンテ ニ長調作品114
ダンツィとフォーグラーの主題による幻想曲 ロ短調作品118
ヴァイオリンとハープのためのソナタ・コンチェルタンテ ト長調作品115
ゴルゴダの丘」~マリアのアリア
ドラマ「相続契約」~エマの歌
ソフィー・ラングドン(ヴァイオリン)
ヒュー・ウェブ(ハープ)
アリソン・スマート(ソプラノ)
ロジャー・モンゴメリ(ホルン)
スーザン・ドリー(チェロ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。