東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリである、バッハのヴァイオリン・ソナタ集をシリーズで取り上げていますが、今回はその第2集をとりあげます。
1719~23年にかけて作曲されたバッハのヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ。そのもう半分の作品がここには収録されていますが(1020~1023は正確には1720年ごろの作曲だとされていますが)、モダン弦楽器とピリオドであるチェンバロの組み合わせの割には、BWV1019の異稿である1019aも収録されていたりと、録音当時の学究性もうかがわせる内容となっています。
なぜそう考えるのかと言えば、この演奏が録音されたのは1978年と1980年なのですが、まだまだ当時は古楽はメジャーではなく(ヨーロッパではとっくの昔に古楽団体はあったにもかかわらず、です)、圧倒的にモダン楽器による演奏こそ、バッハ作品演奏のメジャーだったのです。ですから当時であれば、チェンバロではなくピアノになるはず、です。
ですがこの録音では、チェンバロをつかっているんですね。その分学究的だとは言えるわけなのです。とはいえ、演奏はむしろヴァイオリンのグリュミオーの存在感が突出しているんですけれど・・・・・
けれどもこの演奏の不思議な点は、グリュミオーの歌うヴァイオリンに、訥々としたチェロ、そしてきらきらするチェンバロが全体として喜びに満ちたハーモニーを展開している点です。特によく聴いてみると、チェンバロがヴァイオリンに合わせている感じもあって、古典派以降を演奏してきた経験を持ってバロックである作品にアプローチをしているという点でしょう。決して対等に協奏するというのではないんですが、それでもお互いの対話を、ロマン派的なアプローチで表現するというような感じでしょうか。そこがとても魅力的。
チェロはモダンなのにバロック的に本当にリズムを刻む役割に徹している反面、グリュミオーのヴァイオリンとチェンバロは、むしろ古典派以降の「ソナタ」のような感覚です。バッハのソナタは教会ソナタに順次ていると言われていますが、楽章数からすれば3楽章からは外れている作品もあり、むしろ教会ソナタから脱却しようと実験しているかのように私には見えます。演奏者たちがそれを楽譜から掬い取っていると仮定するならば、決してバロック的なだけではないアプローチの混在は決して不自然ではありません。そしてそのアプローチは見事に成功している、と言えるでしょう。
こういう演奏を聴きますと、私自身のバッハ観である、バロックの最終期の巨匠にして、古典派を準備した革新者、という視点は間違っていないのだと、勇気づけられます。こういう演奏を、税金だけでかりられて楽しめる・・・・・早く図書館が気軽に行ける状況に戻ってほしいものです。
聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ第6番ト長調BWV1019
ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ ト長調BWV1019a(第6番BWV1019の異稿)
ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ ト短調BWV1020
ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ ト長調BWV1021
ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ ヘ長調BWV1022
ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ ホ短調BWV1023
アルテュール・グリュミオー(ヴァイオリン)
クリスティアーヌ・ジャコッテ(チェンバロ)
フィリップ・メルムー(チェロ)
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