神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回と次回の2回にわたりまして、シュポアのヴァイオリンとハープのための作品集を取り上げます。
多作家で素晴らしい作品を生み出したシュポアですが、本当に録音が少ないwこの音源もようやく探して見つけたものだったと記憶しています。元音源は忘れてしまったのですが、確かナクソスだったと思います。
やっぱり、こういう音源はナクソスですよね~。困ったときのナクソス頼み?ってやつですかね。なのでぜひともナクソスさんもどんどんハイレゾへと移ってくれると嬉しいのですが・・・・・
さて、シュポアという作曲家はベートーヴェンの作品ではおなじみの音楽家です。第7番や「戦争交響曲」などの初演の指揮を行ったのはシュポアです。つまり彼は古典派の作曲家・・・・・と思いきや、前期ロマン派と言っていいと思います。
ここで、ウィキの記述で注目なのが、「夫婦で演奏するために書かれたヴァイオリンとハープのための二重奏曲もある。」という部分なのです。そう、この作品集の大部分を占めるのは、その夫婦で演奏するための作品なのです。ちなみに、シュポアの妻はハーピストでした。そのため、いわゆる「ハープソナタ」が多く書かれています。
それにしても、夫婦でアンサンブルって、素敵ですよね~。現在ではごく当たり前になっている夫婦でのアンサンブル。しかしシュポアが生きた時代は必ずしも女性演奏者が認められていたわけではありません。ということは、この一見するとギャラントな作品たちは実はとてもラディカルな作品であるということが言えるのです。
本当にどの曲も美しく、うっとりしてしまう作品ばかりなのですが、しかし、当時の社会を考えたとき、それは美しいという仮面をかぶった闘争である、と言えるでしょう。つまり、妻が演奏家であり、その妻とアンサンブルを行うということ・・・・・これはもう少し後のシューマンとクララでも同様です。つまり、この作品はそんな美しい旋律とは裏腹に、社会の改革の意思を明確にしている作品だといえるのです。
もちろん、男女のアンサンブルというのは古典派の時代からありました。モーツァルトも姉ナンネルとアンサンブルするための作品を書いています。そう考えると、古典派という時代は決して古臭い時代なのではなく、むしろ社会が変わっていく時代だったといえるでしょう。ベートーヴェンの存在はそんな歴史的必然だったともいえるのです。
シュポアなんて美しいだけじゃないか!とベートーヴェンを「熱烈に」信じる人は言うかもしれません。けれどもベートーヴェンが美しいものを目指さなかったのでしょうか?そんなことはありませんよね。ですから、ベートーヴェンは交響曲第7番の指揮をシュポアに任せているんです。それだけのタレントだったわけなのですが、現在の評価はあまりにも低すぎるという気がします。
まあ、それは現代がそれだけ幸せであるという証拠でもありますが・・・・・先人たちが築き上げてきた人権の拡大。その果実を私たちは受け取っているわけなので。
演奏するラングドンやウェブはそんなことを知ってか知らぬか、美しい演奏を私たちに披露します。けれどもどこかさみし気な部分もある作品はそのさみし気な部分を大切に、歌っているのがいいですね~。美しい曲を単に美しく弾くだけならプロならだれでもできると思うんです。大切なのは美しい曲だからこそ、どれだけ自分の「歌」として提示するのか、です。このアルバムで演奏する三人は実に「歌って」います。もっと歌ってもよかったかもしれませんが、それはやりすぎかもしれませんが・・・・・
けれども、本来はこういったサロン的アンサンブル作品は、歌って歌って歌いまくる!というほうがいいような気もします。例えば、私たちが新年会などでカラオケで盛り上がりますが、あれは下手でも歌いまくるからでしょ?室内楽でも同じです。プロという高いレベルでどれだけ「歌いまくる」のか・・・・・こういったサロン的作品だからこそ、重要な気がします。その点では多少評価は下がるんですが、とにかくほかに音源がないwそういった状況では、及第点だと思います。
聴いている音源
ルートヴィヒ・シュポア作曲
ヴァイオリンとハープのためのソナタ・コンチェルタンテ ニ長調作品113
ヴァイオリンとハープのためのソナタ ハ短調
ヴァイオリン、チェロとハープのための三重奏曲 ホ短調
ヴァイオリンとハープのためのソナタ 変ロ長調作品16
ソフィー・ラングドン(ヴァイオリン)
ヒュー・ウェブ(ハープ)
スーザン・ドリー(チェロ)
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