かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:シュポア クラリネット協奏曲第2番・第4番他

今月のお買いもの、平成27年4月に購入したものをご紹介しています。今回はディスクユニオン新宿クラシック館にて購入しました、シュポアクラリネット協奏曲の第2番と第4番のアルバムを取り上げます。レーベルはナクソスです。

第2番が1808年、そして第4番が1829年と、ともに神奈川県立図書館所蔵CDのコーナーで取り上げているクレメンティ交響曲とほぼ同じ時期に書かれている作品です。前期ロマン派の壮快で、かつ豊潤な響きを味わうことが出来ます。

共にクラリネットはかなり動き回る作品で、ヴィルトォーソを重視した作品だと言えるでしょう。シュポアがいて、ウェーバーがいて、そしてシューマンが現れる・・・・・音楽史の流れは本当はそうなのだなと認識するには十二分の作品が並んでいます。

こういったアルバムを、なぜ私たちは避けてきたのでしょう?恐らく、学校で教える音楽史が影響しているのだと思います。ベートーヴェンの次がウェーバーというよりは、おそらくブラームスになってしまうんですよね・・・・・・シンフォニストの系譜からすれば、そうなってしまうのは致し方ないのかもしれません。

しかし、このクラリネット協奏曲全集を聴けば、それはやはり無理があるなと思います。古典派からいきなり後期ロマン派へと飛ぶわけがありません。確かに、科学の進歩においては、基礎科学が充実してきたときにいきなり技術革新によって発展段階が「飛ぶ」こともありますが、音楽においてはそういうことは殆どありません。人の心というものがそれほど変化するわけではないからです。

ただ、科学技術の進歩の影響を受けて、いきなりフェーズが変ることはあります。そうしたことが起ったのが20世紀であって、それ以前ではそれほど起りえず、となると、交響曲が少ないという理由だけで、前期ロマン派の作曲者たちを袖にしてしまっていいのだろうかという想いは、ブログを続けるにしたがって私の中には強くあります。

このシュポアのアルバムは、その私の疑問というか、疑念に明確な答えを与えるものだと思っています。シンフォニストであり、なおかつ多くの協奏曲や室内楽曲も作曲した前期ロマン派のまさしく「巨人」とも言えるのがシュポアです。ちきりんさんが言うように、自分の頭で考えれば、このシュポアの作品を蔑にする訳にはいかないでしょう。

最後の「ダンツィの主題による幻想曲と変奏曲」は、同時代の作曲ダンツィ(この人はいずれまた取り上げますが、前期ロマン派において素晴らしいクラリネット奏者であり、作曲家です)の主題を使って、クラシックの伝統である変奏曲に仕上げつつ、幻想曲とした作品で、クラリネットヴィルトォーソ、ダンツィの主題をシュポア自身の色に染め上げ、みごとな「綾」に仕上げています。

オケはナクソスではおなじみ、スロヴァキア放送ブラティスラヴァ交響楽団。独奏者を引き立てながら、アンサンブルの秀逸さでその存在感は充分です。ソリストは第1集同様オッテンザマー。ヴィルトォーソだからと言って決して力任せではなく、クラリネットを存分に歌わせ、しかし端正さを持ち合わせるという、味のある演奏を実現させています。

前期ロマン派の作品では、こういった演奏はいいなと思います。勿論、それだけがいいとは思いませんし、ショパンあたりであればもっと感情移入する作品もありますが、シュポアはあくまでも古典的美を基本に置きつつ、ロマンを追い求めた作風です。充分に作曲者の意図を反映した演奏だと思います。

こういったアルバムは、さすがナクソスだなあと、感心します。




聴いているCD
ルートヴィヒ・シュポア作曲
クラリネット協奏曲愛2番変ホ長調作品57
クラリネット協奏曲第4番ホ短調
ダンツィの主題による幻想曲と変奏曲 変ロ長調作品81
エルンスト・オッテンザマー(クラリネット
ヨハネス・ヴィルトナー指揮
スロヴァキア放送ブラティスラヴァ交響楽団
(Naxos 8.550689)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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