かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:内田光子の「12の練習曲」

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、内田光子が弾くドビュッシーの12の練習曲を収録したアルバムです。

ドビュッシーピアノ曲も随分と聴いてきましたが、内田光子が弾いていると知り、借りてきたものです。それも、「12の練習曲」を、です。

ドビュッシーの「12の練習曲」は練習曲と名がついていますが決して簡単なものではございません。技術と表現力が問われる作品で、もとよりそのための「練習曲」です。

ja.wikipedia.org

なお、ピティナの方には解説が載っておりません。ピアノを弾く人ならば言うまでもないのでしょう。しかしピアノを弾かない私にとっては、これを弾くピアニストって本当に尊敬します。ウィキの説明文を読めば読むほど、エチュード、つまり練習曲と言っても・・・と絶句します。ですが視点を変えれば、ドビュッシーはピアニストを信じ、その向上のために書いたわけです。それでも、第6曲は親指以外で演奏することが前提なので「八本の指のための練習曲」と名付けられていますが、しかし初演のピアニストが親指を使っていとも簡単に要求するレベルで弾いたことで、必ずしも親指を使うなということではなく、「親指以外を推奨」となっているそうです。聴いてもそれほど苦労して弾いている印象は受けませんが、それが内田光子というピアニストのレベルである、と言えるでしょう。

ドビュッシーの曲は、常に何かを私たちに驚かせるというか、印象付ける曲が多いように思います。それは、ベートーヴェンが「ハンマークラヴィーア」で将来のピアニストを信じたことを受け継いで、ピアニストを信じているからこそだとも言えます。一方で、難しいものは難しいという記述も誠実です。何よりも、ピアニスト自身に考えさせることが主眼になっているのも、フランスの作曲家らしさだともいえるでしょう。どことなくほんわかしつつも、作品に存在感があるのは、ドビュッシーの内面が作品に反映されたともいえるでしょう。

練習曲と言っても様々な顔を持つ一つ一つの曲を、内田光子は存分に味わっている様子が聞こえてきます。弾いている表情が目に浮かぶようです。こういう録音、大好きですね!聴いているこっちも、共に存分に味わい尽くしているのに気が付かされます。素敵な料理を二人で味わっているような・・・

それが、この曲においてドビュッシーが求めたもの、と言えるかもしれません。

 


聴いている音源
クロード・ドビュッシー作曲
12の練習曲
内田光子(ピアノ)

 

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