かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:バレンボイムが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集9

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、10回シリーズで取り上げています、ダニエル・バレンボイムが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の今回は第9集を取り上げます。

第9集には、第29番「ハンマークラヴィーア」と第30番が収録されています。ついに来た、という感じがします。

おそらく、このハンマークラヴィーアがあるからこそのプログラムだったに違いありません。瀬川玄氏の演奏を聴きに行った時も、それほど曲数は多くなかったように記憶しています。

なぜここで瀬川氏が出てくるかと言えば、この演奏、初めてハンマークラヴィーアを生で聴いたその瀬川氏の演奏がよみがえってくるものだからです。勢いで弾いてしまうピアニストも多いのですが、バレンボイムはあくまでもじっくり味わって弾いているのです。

だからと言って歌っていないわけではなくむしろ歌いまくっていますし、それが全く鼻につかずむしろ共感の嵐です。ピアノという楽器を愛している姿がとても素敵です。

なぜこの曲は「ハンマークラヴィーア」と呼ばれるのかを考えるとき、ベートーヴェンの有名なエピソードを思い出さずにはいられませんが、ではなぜ、未来の人は弾けるだろうとして作曲したのか、です。それは可能性を信じて、楽器を愛していたからこそ、とは言えないでしょうか。

当時フォルテ・ピアノと呼ばれた楽器は、貧弱ながらも革新的な楽器でした。なぜなら当時クラヴィーアと言えば「弦をはじく」チェンバロのことを指すからです。だからこそ、ベートーヴェンはあえて「ハンマーを使ったクラヴィーア」による究極の表現なんだ、という意味を込めて「ハンマークラヴィーア」という名称を使ったに違ないと私は考えます。この点に関しては、珍しくピティナよりウィキのほうが詳しく解説しています。

ja.wikipedia.org

難聴で様々な試行錯誤を作曲でしてきたのちにたどり着いたのは、もうどうでもいい、心で聴こえていれば大丈夫だといういい意味での諦観です。和声的に使う最大音がだんだん下がっていたものがこのハンマークラヴィーアを作曲するあたりからまた上がっているという数量的調査もあります。ピアニストであり指揮者であるバレンボイムがそのあたりに敏感でないということはないでしょう。ならば現代の私はピアノという楽器を最大限味わって弾くんだ、という意思を感じるのです。

どの音まで出るかもそうですが、そもそもどれだけ表現できるかということであるわけです。バレンボイムはそのベートーヴェンの挑戦、あるいは意向、遺志を受けて、敢然とピアノに向かい、表現した演奏であると言えるでしょう。演奏に対して誠実というか。それは私が初めて聴いた瀬川氏の演奏と重なるのです。

この演奏が収録されたのは2005年。すでに16年が経過していますが、まだまだ演奏を続けているというのも素晴らしいこと。つくづく、今回の来日公演を聴きに行かなかったのは、仕方ないとはいえ、残念に思います。第30番もしっかり味わって弾いているのも好印象で、二つとも特別視せず、自分で味わって弾いている姿勢が、私の魂をずっと揺さぶり続けています。こういう演奏こそ、プロの仕事だと思います。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調作品106「ハンマークラヴィーア」
ピアノ・ソナタ第30番ホ長調作品109

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