かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:グルダのベートーヴェンピアノソナタ全集8

神奈川県立図書館所蔵CD、グルダベートーヴェンピアノソナタ全集の今回は第8回目で、第28番と第29番「ハンマークラヴィーア」です。

どちらも、決して弾き急ぐことなく、ゆったりと弾いていますが、軽いタッチが音楽を重々しくしていません。特に、ハンマークラヴィーアでは、重いどころかとても軽く、しかし決して軽薄ではなく壮麗さも持っています。

そして、一音一音がはっきりと聴こえるのも変わりません。

この2曲から、ピアノソナタも後期の創作になるわけですが、まるで後になればなるほど、弾き急ぎません。やはり、グルダも作品全体をきちんと俯瞰し、尊敬の念をもって番号順に弾いているということになります。その上で、本来は作曲順こそ順番に弾くのでは適当なのだと宣言していることが、この第8集でも明らかになっています。

勿論、私がピアノが弾けたらもっと突っ込んだこともわかるでしょうからもっと面白いと思いますが、残念ながらそこまでは出来ません。しかし、全集をいくつか聴いてきますと、それぞれの演奏上の特徴というものはつかむことが出来ます。

その経験からこのグルダの全集を聴き、そしてこの第8集を評価すると、やはりグルダも初期の作品とこの後期の作品とでは弾き方を変えているということになろうかと思います。一音一音を大事にするという点は変わりませんが、異なってくるのはテンポです。

私は第1集を説明した時に、かなりの頻度でテンポが速いと書いたはずです。しかし、後になればなるほど、ゆったりとしたテンポという言い回しが増えています。これを自ら俯瞰すれば、当然ですが後ろの作品になればなるほどグルダは簡単には弾いていないことがよくわかります。

グルダの技術であれば、たとえばハンマークラヴィーアも快速に弾くことはできるでしょう。ではなぜここでゆったりと弾いているのか。

これは私の私見ですが、特にこの後期の最初のふたつはピアノソナタの歴史に燦然と輝く作品であり、特にハンマークラヴィーアはピアノソナタの歴史を変えたとも言われる、エポックメイキングな作品であるからという点を重視しているからといえるでしょう。

山根弥生子さんに較べればテンポは速いですが、しかし決して第1番のような快速さは影をひそめ、小節の最後は丁寧にリットしています。それでいて、ppとffの差ははっきりとしていますし、そこに重厚で壮麗な神殿があるかのような演奏が現出されています。

こう見てみますと、グルダはかなりテンポを自在に扱うことで、いろんな想いを曲に表わしているなと思います。単にタッチだけでなく、わかりやすいテンポといったもので私たちに語りかけます。皆さんはベートーヴェンの想いをどう受け止めますか?私はこうなのですが、と。番号順で弾かれることがベートーヴェンの本来の意思でしょうか?と。

そして、日本人の皆さん、あなたたちの国民の中には、決して番号順ではなく、作曲順に弾こうという、「真にベートーヴェンの意思を継ぐもの」がいますけれど、その演奏は聴かないのですか?と。

それに気が付かされたのが、この全集なのです。グルダのこの素晴らしい演奏によって、私はもう一度山根弥生子さんをきちんと聴こうとしましたし、彼女の演奏のエントリを上げた時には実はすでにグルダを借りており、このグルダの演奏が念頭にあって立てたのです。

果たして、海外の演奏家だけが素晴らしいのかと、グルダに叱られているような演奏です。



聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノソナタ第28番イ長調作品101
ピアノソナタ第29番ロ長調作品106「ハンマークラヴィーア」
フリードリッヒ・グルダ(ピアノ)



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